ジョン・J・ミアシャイマー『大国政治の悲劇――米中は必ず衝突する!』(五月書房, 2007年)が先ごろ刊行された。ソフトカバーの体裁から受ける印象とは異なり、5000円以上という価格設定にかなり強気な出版社の姿勢が伺える。しかし学術性の見地に立てば、注釈と文献一覧を一切省いてしまう判断は疑問の残るところである。研究者だけでなく広く一般読者にも読んでもらいたいために注釈等を省略したとすれば、価格を低く抑えるべきだろうし、学術書としての意義を強調したいならば、それなりの価格になったとしても、ある意味で本文よりも重要性の高い注釈や文献一覧は外すべきではなく、それゆえにミアシャイマー初の邦訳著書の位置づけが中途半端なものになってしまった印象が強い。ポール・ケネディ『決定版・大国の興亡――1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争』(草思社, 1993年)のように、後に注釈を全訳した決定版を刊行する可能性もあるといっても、すくなくともこうした点について、訳者は「毅然とした」態度を示すべきではないだろうか。
ところで、ミアシャイマーの邦訳が刊行されたのに続いて、ネオリアリズムの「正典」であり、1980年代以降の(北米)国際関係学(IR)における論争の中心を占めていたケネス・ウォルツの Theory of International Politics (McGraw-Hill, 1979) の邦訳も勁草書房から「ポリティカル・サイエンス・クラシックス」の一冊として刊行される予定である。ようやくネオリアリズムに関する主要な議論を日本語で読める状況が生まれつつあるわけであるが、これを捉えて「日本もようやくアメリカの状況に追いついた」とみなすことが妥当か否かは判断の分かれるところだろう。
かつてスタンリー・ホフマンが論じたように、IRが「アメリカ製社会科学」であることを考えると、アメリカ学界における理論や論争の構図が大きな影響力を持ち、そうした動向に注意を払う必要があることは確かだろう。他方で、学問の成立や発展の状況は、各国の政治文化や知的環境、あるいは地政学的要因によって規定される。IRに関しても、近年になって英国学派の再評価が進められたり、ドイツやフランス、そしてスカンジナヴィア諸国におけるIRの独自の展開が注目さているように、アメリカ学界とは異なるIRの姿が看取される(たとえば、Jorg Friedrichs, European Approaches to International Relations Theory: A House with Many Mansions, Routledge, 2004、およびKnud Erik Jogensen and Tonny Brems Knudsen eds., International Relations in Europe: Traditions, Perspectives and Destinations, Routledge, 2006を参照)。その意味で、ウォルツやミアシャイマーなどのネオリアリズムの受容が遅れた要因を日本の学界の後進性や閉鎖性に求めて嘆くことは、アメリカ学界の動向を無批判に受け入れ、それに追随することをIRの「進歩」と履き違える倒錯した姿勢と変わるところがない。
たしかに、田中明彦が指摘するように、アメリカ学界で「ウォルツとの対話」が行われていた「1980年代の日本の国際政治学は、ほとんどウォルツの『国際政治論』に注目しなかった…。この時期の日本の国際政治学で理論面に関心を持った人々が注目したのは、覇権安定論であり、世界システム論であり」、「日本の学界では、ウォルツを無視した人と誤読した人しかいなかった」(「序章――国際政治理論の再構築」『国際政治』124号, 2000年: 4, 10頁)。田中明彦『世界システム』(東京大学出版会, 1989年)や猪口邦子『戦争と平和』(東京大学出版会, 1989年)はいうまでもなく、リベラルな平和主義に立つ鴨武彦『国際安全保障の構想』(岩波書店, 1990年)も1章分をロバート・ギルピンの覇権安定論批判に当てているように、主張の違いを超えて、ネオリアリズムとは言えば覇権安定論あるいは循環論を指し、ウォルツの議論は二極安定論を説く勢力均衡論のひとつという共通の理解が形成されていた。
ウォルツの構造的リアリズムではなく、覇権安定論がネオリアリズムとみなされた理由は、過度の科学主義に対する懐疑的な姿勢とともに、現実の日米関係ならびに国際関係の文脈に求めることができるだろう。周知のように1970年代後半から1980年代にかけてアメリカ衰退論争が巻き起こった(ベストセラーになったケネディの『大国の興亡』はその象徴である)。日本外交の基軸である日米関係を支える論理が「ヘゲモニーに逆らってはいけない」という太平洋戦争の教訓に基づいたものであり、その含意として導かれたバンドワゴンの論理であるとすれば(土佐弘之「『現実主義』は現実を切り捨てる」『世界』2005年6月号)、アメリカの覇権の行方はすぐれて現実的な(外交)政策上の課題となることは明らかである。戦後の日本外交を肯定するにせよ批判するにせよ、独立変数であるアメリカに左右される従属変数としての地位にある日本において、ウォルツよりもギルピンやモデルスキーの議論がきわめて具体的で実践的なものとして受け止められたとしても不思議ではない。
1977年にスタンリー・ホフマン宛の返信でE・H・カーは「英語圏の国々における国際関係の研究は、強者の立場から世界を運用していくための最適の方法に関する研究に過ぎません」と述べたことがあるが(遠藤誠治「『危機の20年』から国際秩序の再建へ――E・H・カーの国際政治理論の再検討」『思想』945号, 2003年: 61頁に引用)、カーの指摘は、IRが支配者の学問であること、そして科学という名の普遍性を喧伝する点で帝国性を帯びていることを暗に示している。日本においてウォルツやミアシャイマーの議論が誤解あるいは無視されてきたことは、こうした帝国性に対する抵抗の一形態として捉え返すこともできる。ウォルツやミアシャイマーと並ぶネオリアリストのスティーヴン・ウォルトの論文名「ひとつの世界、多数の理論」になぞらえるならば("International Relations: One World, Many Theories," Foreign Policy, no. 110, 1998)、観察対象である世界はひとつだとしても、それを観察し、説明し、理解するためのIRは複数存在する。
ところで、ミアシャイマーの邦訳が刊行されたのに続いて、ネオリアリズムの「正典」であり、1980年代以降の(北米)国際関係学(IR)における論争の中心を占めていたケネス・ウォルツの Theory of International Politics (McGraw-Hill, 1979) の邦訳も勁草書房から「ポリティカル・サイエンス・クラシックス」の一冊として刊行される予定である。ようやくネオリアリズムに関する主要な議論を日本語で読める状況が生まれつつあるわけであるが、これを捉えて「日本もようやくアメリカの状況に追いついた」とみなすことが妥当か否かは判断の分かれるところだろう。
かつてスタンリー・ホフマンが論じたように、IRが「アメリカ製社会科学」であることを考えると、アメリカ学界における理論や論争の構図が大きな影響力を持ち、そうした動向に注意を払う必要があることは確かだろう。他方で、学問の成立や発展の状況は、各国の政治文化や知的環境、あるいは地政学的要因によって規定される。IRに関しても、近年になって英国学派の再評価が進められたり、ドイツやフランス、そしてスカンジナヴィア諸国におけるIRの独自の展開が注目さているように、アメリカ学界とは異なるIRの姿が看取される(たとえば、Jorg Friedrichs, European Approaches to International Relations Theory: A House with Many Mansions, Routledge, 2004、およびKnud Erik Jogensen and Tonny Brems Knudsen eds., International Relations in Europe: Traditions, Perspectives and Destinations, Routledge, 2006を参照)。その意味で、ウォルツやミアシャイマーなどのネオリアリズムの受容が遅れた要因を日本の学界の後進性や閉鎖性に求めて嘆くことは、アメリカ学界の動向を無批判に受け入れ、それに追随することをIRの「進歩」と履き違える倒錯した姿勢と変わるところがない。
たしかに、田中明彦が指摘するように、アメリカ学界で「ウォルツとの対話」が行われていた「1980年代の日本の国際政治学は、ほとんどウォルツの『国際政治論』に注目しなかった…。この時期の日本の国際政治学で理論面に関心を持った人々が注目したのは、覇権安定論であり、世界システム論であり」、「日本の学界では、ウォルツを無視した人と誤読した人しかいなかった」(「序章――国際政治理論の再構築」『国際政治』124号, 2000年: 4, 10頁)。田中明彦『世界システム』(東京大学出版会, 1989年)や猪口邦子『戦争と平和』(東京大学出版会, 1989年)はいうまでもなく、リベラルな平和主義に立つ鴨武彦『国際安全保障の構想』(岩波書店, 1990年)も1章分をロバート・ギルピンの覇権安定論批判に当てているように、主張の違いを超えて、ネオリアリズムとは言えば覇権安定論あるいは循環論を指し、ウォルツの議論は二極安定論を説く勢力均衡論のひとつという共通の理解が形成されていた。
ウォルツの構造的リアリズムではなく、覇権安定論がネオリアリズムとみなされた理由は、過度の科学主義に対する懐疑的な姿勢とともに、現実の日米関係ならびに国際関係の文脈に求めることができるだろう。周知のように1970年代後半から1980年代にかけてアメリカ衰退論争が巻き起こった(ベストセラーになったケネディの『大国の興亡』はその象徴である)。日本外交の基軸である日米関係を支える論理が「ヘゲモニーに逆らってはいけない」という太平洋戦争の教訓に基づいたものであり、その含意として導かれたバンドワゴンの論理であるとすれば(土佐弘之「『現実主義』は現実を切り捨てる」『世界』2005年6月号)、アメリカの覇権の行方はすぐれて現実的な(外交)政策上の課題となることは明らかである。戦後の日本外交を肯定するにせよ批判するにせよ、独立変数であるアメリカに左右される従属変数としての地位にある日本において、ウォルツよりもギルピンやモデルスキーの議論がきわめて具体的で実践的なものとして受け止められたとしても不思議ではない。
1977年にスタンリー・ホフマン宛の返信でE・H・カーは「英語圏の国々における国際関係の研究は、強者の立場から世界を運用していくための最適の方法に関する研究に過ぎません」と述べたことがあるが(遠藤誠治「『危機の20年』から国際秩序の再建へ――E・H・カーの国際政治理論の再検討」『思想』945号, 2003年: 61頁に引用)、カーの指摘は、IRが支配者の学問であること、そして科学という名の普遍性を喧伝する点で帝国性を帯びていることを暗に示している。日本においてウォルツやミアシャイマーの議論が誤解あるいは無視されてきたことは、こうした帝国性に対する抵抗の一形態として捉え返すこともできる。ウォルツやミアシャイマーと並ぶネオリアリストのスティーヴン・ウォルトの論文名「ひとつの世界、多数の理論」になぞらえるならば("International Relations: One World, Many Theories," Foreign Policy, no. 110, 1998)、観察対象である世界はひとつだとしても、それを観察し、説明し、理解するためのIRは複数存在する。