constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

冷戦(史)像の拡散と収斂

2009年07月03日 | knihovna
マイケル・L・ドックリル/マイケル・F・ホプキンズ『冷戦 1945-1991』(岩波書店, 2009年)

「ヨーロッパ史入門」と題したシリーズに冷戦を主題とする一冊が加えられたとき、読者はどのようなイメージや期待を抱いて本書を手に取るのであろうか。おそらく、ヨーロッパという地理的空間を舞台として、ヨーロッパ諸国の外交(ならびに内政)の営みが冷戦の形成と定着において果たした役割や、あるいはより平和的で安定した秩序を目指して、冷戦を問い直し、超克していく過程が叙述されるというイメージではないだろうか。換言すれば、主体に関しても構造に関してもヨーロッパ(諸国)が主役として語られる冷戦史が想定されるといってよいだろう。

しかし本書を読み進めていくうちに、こうした期待(あるいは先入観と言ってもよいだろう)は見事に裏切られることになる。本書は、たしかに旧共産圏の公文書に基づいた研究を大いに活用している点で「新しい冷戦史」という研究潮流に位置づけられるかもしれないが、ヨーロッパは米ソの利害が対立する場にすぎず、アクターとして登場する場合にも脇役以上の地位が与えられていないなど、「米ソ冷戦史観」どころか「アメリカ冷戦史観」から一歩も出ていない点で「旧さ」を漂わせている。

あくまでアメリカの視点から見た冷戦史であることは、内容以前に、なによりも章立てに典型的に表れているし、また訳者にアメリカ外交史の研究者を起用したことや、「日本語文献案内」でも「冷戦史・アメリカ外交史一般」と一括りに扱われていることによっていっそうその印象が強められる。その意味で戦後冷戦の時期を対象とした概説書のなかに類書を探すとすれば、「ヨーロッパ」とタイトルに掲げた渡邊啓貴編『ヨーロッパ国際関係史――繁栄と凋落、そして再生[新版]』(有斐閣, 2008年)ではなく、アメリカ歴代政権による時代区分に基づいた構成など共通する点が多い佐々木卓也編『戦後アメリカ外交史[新版]』(有斐閣, 2009年)になるだろう。

もちろんアメリカの視点に基づいているからといって、冷戦に関わる事象を目配りよく取り上げ、ひとつの歴史として叙述する概説書としての本書の価値が損なわれるものではない。しかしヨーロッパ史における冷戦という意識が全面に出ているとは到底いえず、したがって以下に述べるように「訳者解説」の評価についても首肯しかねる点がある。

「訳者解説」によれば、冷戦の終結をめぐる論争に関して、レーガンよりもゴルバチョフの役割を重視する本書の解釈は「冷戦の緊張緩和がヨーロッパ主体で進んできたという著者らの立場を反映するもの」であること、そして「ヨーロッパ諸国が冷戦構造の構築や変容、そして終結において果たした役割を重視している」ことが本書の特徴のひとつだとされる(259頁)。たしかにそれまでアメリカの政権交代にしたがって区分してきた章立てが、7章ではゴルバチョフの登場した1985年が基準となっていることからも、いわゆる「ゴルバチョフ・ファクター」を重視していることが判る。しかしながらゴルバチョフの役割を重視していることが、直ちにヨーロッパ重視という評価と結びつくわけではなく、むしろ「アメリカ冷戦史観」から「米ソ冷戦史観」へと分析の射程が拡がったにすぎず、そこからヨーロッパ冷戦史へは依然としてかなりの距離がある。

さらにいうならば、ヨーロッパ戦後史を語る上で欠かせないヨーロッパ統合の展開についての言及が皆無であることは、著者がイギリス人だからかもしれないが、ヨーロッパ重視という本書の評価に疑問を投げかける。山本健が論じるように、すくなくとも冷戦構造が形成され、確立される1950年代において、シューマン・プランの受容やローマ条約の成立において冷戦(およびドイツ問題)が大きく作用しており、「ヨーロッパ統合の制度的起源と冷戦とはきわめて密接な関係にあった」(「冷戦の緊張緩和とヨーロッパ統合」田中孝彦・青木人志編『〈戦争〉のあとに――ヨーロッパの和解と寛容』勁草書房, 2008年: 221頁)。その一方で「ヨーロッパのデタントは、ヨーロッパ統合の問題を迂回しながら進んだ」(223頁)という山本の指摘は、ヨーロッパ統合の動きがあくまでも西ヨーロッパに限定されたものであることを示唆している。したがってヨーロッパにおける緊張緩和から冷戦構造の解体へに至る経緯を論じるにあたって、「鉄のカーテン」を横断する形で展開した動きに注意を向ける必要がある。その最有力候補である欧州安全保障協力会議(CSCE)の役割、とりわけ「ヘルシンキ効果」の意義について本書もある程度の紙幅を割いているが、掘り下げた考察がなされているとはいえない。また「鉄のカーテン」をこじ開ける決定的な場面を演出したヨーロッパ・ピクニック計画が言及されていないように、トランスナショナルな社会運動の役割に対する認識が不十分な点を見ても、ヨーロッパの役割に正面から取り組んだと必ずしもいえない。

また本書におけるデタントの用法について、訳者は4章のタイトルが「危機からデタントへ」となっていることに注意を促し、アメリカ外交史研究における使用方法とは異なるデタント理解であり、そこにヨーロッパの視座が看取できると指摘する(259-260頁)。しかし危機の時代から緊張緩和の時代へと移行する過渡期を対象とした4章のタイトルにデタントが使われたのは、この時期にヨーロッパにおいて緊張緩和の試みが模索されてきたことを強調するためであると解釈できる一方で、1969年以降の本格的な緊張緩和に至る助走期間の意味合いを込め、この過渡期の終着点にデタントが待っていたという認識から始点と終点を示す形容として危機およびデタントの用語を使ったとみなすほうが素直な理解であり、それは別段、アメリカ外交史研究の慣習から逸脱した使用法でもない。本書のヨーロッパ的視座を強調したいがための訳者の牽強付会に近く、もし訳者が指摘するような意味をデタントに持たせているとすれば、本書の時期区分との齟齬を露呈させる。それゆえデタントの扱いは本書の特徴というよりもむしろ本書がアメリカ/米ソ冷戦史観に囚われている証左として批判的に捉えられるべき点であろう。

冷戦構造が崩壊したことによって、ひとつの完結した物語として冷戦を叙述することが可能になる一方で、冷戦を通して把握される戦後史の語り口自体を問題化する議論も提起されている。たとえば日本国際政治学会編『日本の国際政治学(4)歴史の中の国際政治』(有斐閣, 2009年)に所収されている佐々木卓也「米ソ冷戦史――アメリカの視点」、山本健「ヨーロッパ冷戦史――ドイツ問題とヨーロッパ・デタント」、宮城大蔵「戦後アジア国際政治史」を読み比べると、冷戦の多義的様相は明らかであり、戦後史を一口に冷戦で語ることがいかに乱暴な行為であるかが判る。そのことは戦後アジアについてあえて冷戦史を使用しなかった宮城の問題関心に端的に見出せる。宮城によれば、「冷戦という枠組みのみによって、この戦後アジアの変容とダイナミズムを捉えることは困難であろう。…。植民地支配からの独立とその後に続く国民国家建設の模索は、まさに戦後においてプロセスとして進行したのである。その動的なエネルギーこそが、戦後アジアが冷戦という静的な状態にとどまらず、常に変化を遂げ続けた根底にあった」(宮城: 153頁)。冷戦に加えて、革命・独立・開発といった複数の要素が絡み合う形で戦後史が展開してきた地域のほうが大部分であり、戦後史を理解するうえで冷戦の占める意味合いは一般に認識されるよりも低い。すくなくともキューバ危機後の1960年代に入って冷戦の拘束性は、冷戦とは別の基軸動因が台頭してきたヨーロッパや東アジアのような地域もあれば、時差を伴って冷戦の力学が波及したアフリカもあるというように、空間的に多様化していったのであり、それは冷戦を下部構造とするような還元主義では捉えきれない現象である。

このように冷戦の拘束性が時間的にも空間的にも強弱を孕むものである点は、あらためて冷戦の本質をめぐる問題を浮かび上がらせる。おそらく冷戦が一定程度の割合で継続的に国家の外交政策や内政に影響を与え続けたのは、まさに冷戦の主役であったアメリカとソ連といえるだろう。そして米ソ両国が冷戦の主役だということが意味するのは、もちろん両国が核兵器に象徴される圧倒的な軍事力と普遍的魅力を備えたイデオロギーを掲げ、世界各地を舞台に対峙したからだけでなく、時間の経過とともに、米ソ以外のアクターが、冷戦という舞台から退場し、そして冷戦の物語とは別様の台本に基づく物語が比重を増していくにつれて、最終的に冷戦という演目を演じ続けたのは米ソだっただけのことであり、それは脇役のいない二人芝居であるがゆえに、必然的に米ソは主役を担わざるをえなかったにすぎない。そしてこの見方は、冷戦の終焉とされる1989-1991年という指標の普遍性について疑問を投げかけることにもなり、冷戦を基準とした20世紀史の時代区分の再検討を促す。

こうした視点に立つならば、冷戦を考察するに当たって、その焦点は、米ソ以外のアクターの主体性に注意を促す「新しい冷戦史」の潮流に反して、アメリカ(およびソ連)に再び設定されなくてはならない。しかしこれは単なる「米ソ冷戦史観」への回帰ではない。むしろ冷戦の本質を理解するうえで、アメリカ(ないしソ連)の外交文化や歴史的アイデンティティの影響を視野に入れることは不可欠である点を示唆している。とりわけヨーロッパ国際政治との距離感でいえば、ソ連よりもアメリカの冷戦外交が議論の中心となってくる。いうなればアメリカニズムとしての冷戦論である(もちろんアメリカの特殊性・例外性に力点を置く議論はアメリカ史研究者にとっては特段目新しくはないだろう)。さて外交とアイデンティティの関係についてデヴィッド・キャンベルは次のように論じている。つまり国家が行う政策としての外交(Foriegn Policy)と、他者性を抽出して、差異化ないし排除によって内部のアイデンティティを構築する実践・様式としてのメタ外交(foreign policy)に区別され、そして前者は、後者を通して構築されたアイデンティティを再生産し、また確立されたアイデンティティに対する挑戦を封じ込める役割を担っているのである(David Campbell, Writing Security: United States Foreign Policy and the Politics of Identity, rev. ed., University of Minnesota Press, 1998:68-69)。そしてアイデンティティ形成における外交の二重機能が最もよく作動しているのが、自由や民主主義といった理念を国家/国民アイデンティティの形成ならびに維持の中核に据える「典型的な想像の共同体 Imagined Community Par Excellence」アメリカであり、自己と他者の境界線が揺らいだり、侵されたりすることへの怖れ、それが醸成する脅威認識の強さは、他国との(平和的であれ敵対的であれ)関係構築に際して従来の外交作法とは異なる意味合いを与える。

アメリカニズムとしての冷戦という把握の試みがすでに永井陽之助によって着手されていることは言うまでもない。中山俊宏が「永井流アメリカ論」の一つと評す永井の『冷戦の起源――戦後アジアの国際環境』(中央公論社, 1978年)がそれである(「鼎談・追悼永井陽之助――『平和の代償』の衝撃」『外交フォーラム』2009年5月号: 21頁)。とりわけ第1章「冷戦思想の疫学的起源」と第2章「冷戦論争のアメリカ的性格」において、アメリカの外交文化がいかに冷戦という特異な抗争形態を作り上げていったのかが見事に描かれている。たとえば「世界史上、大陸型海洋帝国へと脱皮する過渡的段階における米国民の深層心理に探査の針を入れることによってのみ、何故に、コミュニズムのイデオロギーをもつ革命国家たるソ連の方が伝統的な現実主義外交の型にしたがって比較的限定された戦略目的を追求し、慎重に行動したと見られるのに対して、アメリカの方がグローバルな使命観に燃えたつ『イデオロギー国家』であるかのような振る舞いに終始したか、そして、何故にヨーロッパとは異なり、アジアにおいて、朝鮮戦争からヴェトナム戦争にいたるまで、熱戦段階への拡大をともなったか、という冷戦史における最大の謎に答えうるであろう」(永井『冷戦の起源』: 36頁、強調原文傍点)との指摘に象徴される。

現在において、アメリカニズムとしての冷戦論の視点を明示的に提起しているのは、アンデルス・ステファンソンであろう(たとえば、"Cold War Origins", in Alexander DeConde, Richard Dean Burns, and Fredrik Logevall eds., Encyclopedia of American Foreign Policy, vol. 1, 2nd ed., Charles Scribner's Sons, 2002.参照)。ソーカル事件の舞台となった『ソーシャル・テキスト』誌の編集に関わった経験があり、冷戦史研究のジャーゴンに擬えれば「新修正主義者」ともいえるステファンソンの議論が、思想的に相容れない永井のそれと共鳴している点は興味深い。ステファンソンは、ヨーロッパ国際政治システムに対するアンチテーゼとして国際舞台に登場してきたアメリカの国際社会観および外交思想に冷戦の本質的特徴を求める。安全保障や国益といった戦略的な観点を重視するポスト修正主義学派と異なり、アメリカのイデオロギーという理念的側面に着目する視座は「新しい冷戦史」と共通する。しかしステファンソンは、冷戦の生成および展開におけるイデオロギーの作用を的確に理解するにあたって、「戦略目的に対する修辞的な手段という純粋に道具的なイデオロギー理解」にもとづく「新しい冷戦史」の知見は不十分であると批判する。換言すれば、米ソ以外のアクターを付け加えたり、対象領域を広げたり、機密解除された公文書の利用によって、より完全で真の冷戦を叙述しようとする「新しい冷戦史」の方向性とは正反対の視座から、「冷戦とは何か」という根本的問いに接近する。

そして(1)戦争以外のあらゆる手段によって遂行される擬似戦争的な敵対状況、(2)軍事的思考および戦争形態に対する外交の従属、(3)熾烈なプロパガンダ戦による敵対者の正統性の否定、(4)世界規模に浸透した国際政治構造の二極化、(5)激しい軍事競争、(6)国内の反体制派の抑圧、を特徴とする冷戦は、いわゆる勢力均衡が作用する国際関係とは異なり、むしろ17世紀にヨーロッパ国家体系が進展した以前の宗教戦争に特徴的な絶対的な敵対性と憎悪、救世主主義への回帰といえる特異な時代であった。田中孝彦の表現を借りれば、ヨーロッパが培ってきた古典外交を批判し、新外交を掲げ、20世紀国際政治に参入してきたアメリカが冷戦の主役となったことは、「歴史の転倒」をもたらしたのである(「冷戦秩序と歴史の転倒――古いアメリカと新しいヨーロッパ」田中・青木編『<戦争>のあとに』所収)。

すくなくとも米ソ間で冷戦を熱戦化させず、冷戦たらしめたのは、核兵器という物質的な要因だけでなく、アメリカ(史)に特有の戦争/平和観ないし自由/隷属観に求められる。それゆえにステファンソンは冷戦をアメリカの「イデオロギー・プロジェクト」と形容するのである。冷戦の性格や論理の原型は、フランクリン・D・ルーズヴェルト政権期に形成され、戦争終結の方式として提示された無条件降伏概念に集約的に現れている。無条件降伏は、その起源が南北戦争にあることから明らかなように、従来の国家間戦争とは異なる戦争観にもとづく降伏の方式であった。無条件降伏を国際社会に適用するとき、侵略者や独裁者との和平は一時的な休戦にすぎず、彼らが排除されるまで戦争状態は継続する。また侵略者に対する完全な勝利と普遍的権利の獲得という目的を達成するために、戦争に対する制約は取り払われ、限りなく正戦論に近づいていく。第二次大戦後、このようなアメリカの世界観が対ソ政策に投影されていく。戦後秩序に対する米ソの構想の違いが明らかになるにつれて、ソ連を友人ではなく、絶対的な敵とみなす認識上の変化が生じた。自由と隷属の二項対立の図式は、自由と全体主義のそれにすんなりと転位し、ソ連との「交渉は適切な力関係が達成され、ソ連が受容可能な領域に引き込まれるまで延期される」という一種の「無外交」が基軸となった。その根底にあるのは、異質な他者の正統性を承認せず、国際社会から排除される敵として認識する外交拒絶主義(diplomatic rejectionism)の論理である。またそれは第二次大戦から得られた教訓、すなわち独裁者に対して譲歩ではなく明白な力で臨むこと、そして孤立主義から脱却し、世界において主導的役割を担うべきだという2つの教訓に起因するものでもあった。

アメリカの歴史や世界観に起因する外交拒絶主義、あるいはアメリカ的戦争様式(American way of war/conflict)に着目して、冷戦が特殊アメリカ的な敵対関係であったことを明らかにした点にステファンソンの議論の意義がある。それは、ヨーロッパ国際政治の文法とは異なるアメリカ特有の外交文化を視野に入れる重要性に注意を促し、「長い21世紀」に入って超領域的な権力主体として世界政治の動向に影響力を与え続けているアメリカの将来を理解するうえで一つの鍵を提供してくれる。

最後に訳について。キッシンジャーの略歴を述べた箇所で「ナポレオン戦争後の議会制度についての研究で博士号を取得し」(146頁)とあるが、「議会制度」は明らかな誤訳だろう。原書を確認していないので原語は不明だが「会議外交」を意味する用語(the Conference System?)だと思われるが、曲がりなりにも外交史の研究者がこのような基礎知識レベルの誤訳を犯すのはいただけない。また本書の初版刊行が1996年とされているが(251頁)、これは1988年の誤りである。さらに「日本語文献案内」で吉川元の読みを「よしかわ」とみなされリストアップされているのも初歩的なミスの類である。

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