元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

無限の富。

2023-04-02 08:32:34 | 独り言




こちらも如何にも発明家らしいトーマス・エジソン氏の名言だ。曰く「首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる」と。知恵とは、そう言う活かし方があるのだ。さてこれから趣味の話になるのだが、その趣味にはレコード鑑賞もあり、今ではそれが過ぎて、収集家レベルだが、そのレコードをより良い状態で聴きたいが為に、オーディオにもどっぷり浸かった。実は小生、幸か不幸か蓄音機が発明された日が誕生日なのだ。つまりそれが遇っての趣味でもある。その装置の現状だが、取り敢えず縦振動盤以外のレコード全般と、CDとDVD位(通常盤)ならば再生は可能だ。誕生日云々とは言いながら、エジソン方式の円盤レコードが聴けないのは残念だが、マニアレベルでは、縦振動盤専用のカートリッジも(値段はともかく)入手が出来るので、そのうちにはどうにかしようとは思う。1910年代の仏.Pathé盤には(喇叭吹き込みながら音質も良く、)名盤も多数在り、宝の宝庫なのだ。さてそのレコードは、言いようによっては「再現芸術」とも言える。小生は主にクラシック音楽を聴いているが、作曲家の残した譜面から音を起こす作業も、再現芸術であると言えるだろう。丁度、JBpressに「「オペラはエンターテインメントではない」指揮者ムーティが語るヴェルディ」」なる記事があった。そこで指揮者のリッカルド・ムーティ氏は、こんな事を言っていた。



記事によると、3月18日東京文化会館大ホール。東京・春・音楽祭(4月16日まで開催中)の一環としておこなわれた「イタリア・オペラ・アカデミー」での事。そこでは「ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)のオペラは言葉の音楽の関係」について述べられていたが、オペラの「上演において観客を喜ばせることを第一目的とするのではなく、オペラという芸術の原作者である作曲家の意図に対して、もっと誠実であるべきではないか?」との記者からの解説があった。そこでムーティ氏が言うには「かつて大指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニがなぜ1930年代に一度イタリアを離れてしまったのか?  当地ではイタリア・オペラに対する尊敬心がなくなってきてしまったからです。今日においてもヨーロッパでは芸術文化のレベルが下がりつつある。若い演奏家にも観客ひとりひとりにも責任があります。大切なのは、舞台とは“聖なる場所”であるということ。そのように私は教育されてきたのです」と。嘗て橋下徹氏が大阪市長時代に「文楽」への補助金廃止を求めた事があった。その理由としては、「補助金を宛に格が高いだけで、努力もせずに贅沢ばかりをしている」なる意味合いの批判だった。即ち「古典を現在に再現する努力に欠けていた」と。古典はジャンルを問わず【再現芸術】なのだ。だからこそ品格を下げずに現代に正しく伝えなければならないのだ。然も聴衆や観客に媚びずにその良さ(素晴らしさ)を理解してもらう努力が必要なのだ。歌舞伎役者とて、嘗ては「河原乞食」と蔑まれた歴史があるではないか?それを此処まで引き上げたのも役者の努力だ。そんな芸能界には昔々は「スタア」が居た。だがその言葉が現在、死語となったのは、この前の日本テレビの番組、『スッキリ』での「ペンギン騒動」でも明らかだ。その理由は言うのも野暮だ。カリスマや個性と言う言葉が、現在では只の変わり者では頂けない。そこには格はない。単なる社会不適合者が暴れているだけだ。だから“芸能人はヤクザそのものだ”とさえ言われてしまう。

「オペラはエンターテインメントではない」指揮者ムーティが語るヴェルディ(JBpress)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e653a9eb836d0b647f9660bc16a8f65392a23606
歌舞伎役者・片岡仁左衛門が橋下市長に物申す!「本当に文化を愛するなら、もう少し文楽の方にもお力を」
http://hasshinkyoku.blog.jp/archives/9065600.html

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