智徳の轍 wisdom and mercy

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◎仏陀釈迦牟尼のジュニアーナ・ヨーガの位置付け

2005-08-04 | ☆【経典や聖者の言葉】

三四 さらに第四に、尊敬すべき沙門や婆羅門は、何により何に基づいて、常住論として、我と世界とを常住であると説くのであろうか。
 さて、比丘達よ、沙門もしくは婆羅門の中には、推論家・審察家である者がいる。彼は推論に練られ、審察に従って、自ら弁知したことを、次のように言うのである。
『我と世界とは常住であり、生産することはなく、山頂のように常住であり、石柱が立つように不動である。そして、諸々の有情は流転し輪廻し死去し出生するが、なおかつ我と世界とは常住に存在しているのである。』
 比丘達よ、これがすなわち第四の立場であって、これによりこれに基づいて、ある沙門や婆羅門は、常住論として、我と世界とを常住であると説くのである。

【解説】
◎仏陀釈迦牟尼のジュニアーナ・ヨーガの位置付け
 ここでは、推論・審察によっての結論が語られている。これまでの常住であるという結論は、三昧によった。つまり三昧に入って宿命通を使い知ったのだった。したがって、これはクンダリニー・ヨーガの世界であると言える。
 一方、こちらの推論・審察の方は、ジュニアーナ・ヨーガに属する。この経典に出ている順序からいうと、クンダリニー・ヨーガの三昧の上にジュニアーナ・ヨーガの思索を置いているわけで、これはオウム真理教で説かれている各ステージの位置付け(マハーヤーナ・ステージ)と見事に一致している。

◎世界によって異なる四劫の期間

2005-08-04 | ☆【経典や聖者の言葉】

三二 さらに第二に、尊敬すべき沙門や婆羅門は、何により何に基づいて、常住論として、我と世界とを常住であると説くのであろうか。
 さて、比丘達よ、沙門もしくは婆羅門の中には、熱心・精勤・修定・不放逸・正憶念によって、その心が三昧に入っているとき、例えば、一カルパ・二カルパ・三カルパ・四カルパ・五カルパ・十カルパといった、様々な過去における生涯を思い出すような、心三昧を得る者がいる。そして、『あの生において、私はこれこれの名前を持ち、…(中略)…なおかつ我と世界とは常住に存在しているのかを知ったからである』と。
 比丘達よ、これがすなわち第二の立場であって、これによりこれに基づいて、ある沙門や婆羅門は、常住論として、我と世界とを常住であると説くのである。
三三 さらに第三に、尊敬すべき沙門や婆羅門は、何により何に基づいて、常住論として、我と世界とを常住であると説くのであろうか。
 さて、比丘達よ、沙門もしくは婆羅門の中には、熱心・精勤・修定・不放逸・正憶念によって、その心が三昧に入っているとき、例えば、十カルパ・二十カルパ・三十カルパ・四十カルパといった、様々な過去における生涯を思い出すような、心三昧を得る者がいる。そして、『あの生において、私はこれこれの名前を持ち、…(中略)…なおかつ我と世界とは常住に存在しているのかを知ったからである』と。
 比丘達よ、これがすなわち第三の立場であって、これによりこれに基づいて、ある沙門や婆羅門は、常住論として、我と世界とを常住であると説くのである。

【解説】
◎世界によって異なる四劫の期間
 三二・三三と、やはり成劫の前生を知る三昧のことが書かれている。ただし、ここではカルパという言葉が使われているので、その意味とその世界とを説明しておかなくてはならない。
 一カルパというのは、欲界の成劫から空劫までの一サイクルをいう言葉である。この期間を人間の世界の尺度に置き換えると、二千四百万年であり、これはブラフマンの世界の一昼夜でもある。
 そのことから、ここで一カルパ、二カルパ、三カルパ……と言っているのは、ブラフマンの世界のことであろうと考えられる。ブラフマンの世界では、人間界が創造され、維持され、破壊されて空虚な期間を迎えるほどの気の遠くなるような長い間でも、常住のように見えるのである。それは、高い世界へ行けば行くほど破壊の期間が長くなるからで、三昧によってカルパ単位という長い期間の生涯を思い出したとしても、それはその世界の四劫の中の一部、住劫しか知り得なかったなら、その世界は常住であると思ってしまうだろう。ゆえにここでも、「我と世界とは常住に存在している」と思い込んでしまったということである。
 さらに、十カルパ、二十カルパ、三十カルパ、四十カルパ……という、いっそう長い時間の存在する世界の生涯のことが出てくる。これは、アストラル世界の一番上にある光音天【こうおんてん】での生涯を思い出しているのである。光音天は有(存在)の世界であるが、ここでも上に行けば行くほど、ブラフマンの世界に比べてもはるかに破壊へと至るまでの期間が長い。ゆえに常住のように見えるのである。