二一 「『また、尊敬すべき沙門や婆羅門の中には、信者から布施された食事によって生活し、しかも、例えば、手相占い・八卦【はっけ】・兆相の占い・夢の判断・体相の占い・鼠【ねずみ】のかんだ所の占い・火の護摩【ごま】・杓子【しゃくし】の護摩・殻の護摩・粉の護摩・米の護摩・熟酥【じゅくそ】の護摩・油の護摩・口の護摩・血の護摩・支節の明呪【みょうじゅ】・宅地の明呪・クシャトリヤの明呪・鬼神の明呪・地の明呪・蛇の明呪・毒薬の明呪・蝎【さそり】の明呪【みょうじゅ】・鼠の明呪・鳥の明呪・鴉【からす】の明呪・命数の予言・矢を防ぐ呪法・獣の声を解く法といった、無益徒労の呪法によって、よこしまな生活を送っている者がいるというのに、沙門ゴータマは、このようなあらゆる無益徒労の呪法からも離れておられる。』
このように、比丘達よ、凡夫は仏陀を賛嘆して語っている。
二二 『また、尊敬すべき沙門や婆羅門の中には、信者から布施された食事によって生活し、しかも、例えば、珠の相・杖の相・服の相・剣の相・矢の相・弓の相・武器の相・女の相・男の相・童子の相・童女の相・下男の相・下女の相・象の相・馬の相・水牛の相・牡牛の相・牛の相・山羊の相・羊の相・鶏の相・鶉の相・蜥蜴【とかげ】の相・耳輪の相・獣の相といった、無益徒労の呪法によって、よこしまな生活をする者がいるというのに、沙門ゴータマは、このようなあらゆる無益徒労の呪法からも離れておられる。』
このように、比丘達よ、凡夫は仏陀を賛嘆して語っている。
二三 『また、尊敬すべき沙門や婆羅門の中には、信者から布施された食事によって生活し、しかも、例えば、「王は進軍するだろう、王は進軍しないだろう」、「内国王は力を表わすだろう、外国王は退くだろう」、「外国王が力を表わすだろう、内国王が退くだろう」、「内国王は勝つだろう、外国王は負けるだろう」、「外国王が勝つだろう、内国王が負けるだろう」、「この者は勝つだろう、この者は負けるだろう」と占うような、無益徒労の呪法によって、よこしまな生活をする者がいるというのに、沙門ゴータマは、このようなあらゆる無益徒労の呪法からも離れておられる。』
このように、比丘達よ、凡夫は仏陀を賛嘆して語っている。
二四 『また、尊敬すべき沙門や婆羅門の中には、信者から布施された食事によって生活し、しかも、例えば、「月食があるだろう、日食があるだろう、星食があるだろう、太陽と月は正常な運行をするだろう、太陽と月は異常な運行をするだろう、諸々の星は正常な運行をするだろう、諸々の星は異常な運行をするだろう、流星が落下するだろう、天火があるだろう、地震があるだろう、雷が鳴るだろう、太陽と月と星の昇沈と明暗があるだろう、このような結果を引き起こす月食があるだろう…(中略)…このような結果を引き起こす太陽と月と星の昇沈と明暗があるだろう」と占うような、無益徒労の呪法によって、よこしまな生活をする者がいるというのに、沙門ゴータマは、このようなあらゆる無益徒労の呪法からも離れておられる。』
このように、比丘達よ、凡夫は仏陀を賛嘆して語っている。
二五 『また、尊敬すべき沙門や婆羅門の中には、信者から布施された食事によって生活し、しかも、例えば、「多量の雨があるだろう、降雨はないだろう、多量の収穫があるだろう、収穫はないだろう、平和が来るだろう、恐ろしいことが起こるだろう、疫病がはやるだろう、健康になるだろう」などと占うこと・印相・計算・数法・詩作・順世論をなすといった、無益徒労の呪法によって、よこしまな生活をする者がいるというのに、沙門ゴータマは、このようなあらゆる無益徒労の呪法からも離れておられる。』
このように、比丘達よ、凡夫は仏陀を賛嘆して語っている。
二六 『また、尊敬すべき沙門や婆羅門の中には、信者から布施された食事によって生活し、しかも、例えば、娶【めと】ること・嫁ぐこと・和睦【わぼく】・分裂・借金取り立て・貸し出し・幸運にすること・不運にすること・堕胎すること・人を唖【おし】にすること・無言にさせること・挙手させること・聾【つんぼ】にさせること・鏡に問うこと・童女に問うこと・神懸かり・太陽を拝すること・大梵天【だいぼんてん】を供養すること・口から火を吐くこと・吉祥天を迎え請ずることといった、無益徒労の呪法によって、よこしまな生活をする者がいるというのに、沙門ゴータマは、このようなあらゆる無益徒労の呪法からも離れておられる。』
このように、比丘達よ、凡夫は仏陀を賛嘆して語っている。
二七 『また、尊敬すべき沙門や婆羅門の中には、信者から布施された食事によって生活し、しかも、例えば、願をかけること・願を解くこと・地に座って呪文を唱えること・気力を旺盛【おうせい】にすること・気力を消耗させてしまうこと・住所の相を見ること・地を清めること・口をすすぐこと・沐浴【もくよく】・供犠【くぎ】・吐潟【としゃ】・下痢・上泄【じょうせつ】・下泄・頭痛治療・耳に油すること・目の治療・鼻の治療・眼薬をさすこと・眼に油すること・眼の手術・外科手術・小児治療・樹根と薬とを与えること・薬を取り去ることといった、無益徒労の呪法によって、よこしまな生活をする者がいるというのに、沙門ゴータマは、このようなあらゆる無益徒労の呪法からも離れておられる。』
このように、比丘達よ、凡夫は仏陀を賛嘆して語っているのである。
比丘達よ、これがすなわち、凡夫がこのことによって仏陀を賛嘆して語っているという、ただささいで、通俗的で、戒に関することなのである。」
【解説】
◎大戒、そして宿命の世界へ
この三番目の大戒は、仏陀と、かなり実力を持った修行者との比較だと考えていい。
そして凡夫は、これらの卑しい、大したことのないことを取り上げて仏陀を賛嘆していると言っているのだ。要するに、ここまでが前哨戦【ぜんしょうせん】と言える。
仏陀釈迦牟尼は、後に出てくる宿命の世界、宇宙観を知り、しかもその宇宙観からも離れることが大切であるということが言いたかったがために、ここまでの部分を導入された。
そして、その程度、つまり宿命通を得、宇宙観を知る程度のステージに立たないと、本当の意味で仏陀釈迦牟尼を賛嘆することはできないのだ。