智徳の轍 wisdom and mercy

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◎常住論――その三昧と四劫の構図

2005-08-03 | ☆【経典や聖者の言葉】

二八 「比丘達よ、仏陀自らが証知し現証して説く、甚だ深遠で見難く覚え難く、しかも寂静で美妙であり、尋思【じんし】の境を超えることができ、極めて微細で、賢者だけが理解することができる、他の諸法がある。これによってのみ、諸々の人は仏陀を如実に賛嘆して、正しく語ることができるのである。
 それでは、比丘達よ、どのような法が、仏陀自らが証知し…(中略)…賢者だけが理解することができるという諸法なのであろうか。
二九 比丘達よ、沙門や婆羅門の中には、過去を考え、過去に対する見解を持つ者がいる。彼らは、過去に関しては、十八種の根拠により、様々な浮説を主張するのである。それでは、彼ら尊敬すべき沙門や婆羅門は、何により何に基づいて、過去を考え、過去に対する見解を持つものとして、過去に関しては、十八種の根拠により、様々な浮説を主張するのであろうか。
三〇 比丘達よ、沙門や婆羅門の中には、常住論を抱く者がいる。彼らは、四種の根拠により、我【が】と世界とを常住であると説くのである。それでは、彼ら尊敬すべき沙門や婆羅門は、何により、何に基づいて、常住論として、四種の根拠により、我と世界とを常住であると説くのであろうか。
三一 さて、比丘達よ、沙門もしくは婆羅門の中には、熱心・精勤・修定・不放逸・正憶念によって、その心が三昧に入っているとき、例えば、一生・二生・三生・四生・五生・十生・二十生・三十生・四十生・五十生・百生・千生・百千生・多百生・多千生・多百千生といった、様々な過去における生涯を思い出すような、心三昧を得る者がいる。そして、『あの生において、私はこれこれの名前を持ち、これこれの名字を持ち、これこれの階級に属し、これこれの食物を取り、これこれの苦楽を感受し、これこれの寿命を持った。その私はあそこより死没して、別の生に生まれ変わった。その生では、これこれの名前を持ち、これこれの名字を持ち、これこれの階級に属し、これこれの食物を取り、これこれの苦楽を感受し、これこれの寿命を持った。その私はそこより死没して、この生に生まれ変わった』と、このように、その事情と境遇とを併せ持った、過去における様々な生涯を思い出すのである。そこで、彼は次のように説くのである。
『我と世界とは常住であり、生産することはなく、山頂のように常住であり、石柱が立つように不動である。そして、諸々の有情【うじょう】は流転【るてん】し輪廻【りんね】し死去し出生するが、なおかつ我と世界とは常住に存在しているのである。それはどうしてであろうか。私は熱心・精勤・修定・不放逸・正憶念によって、心が三昧にとどまるとき、例えば、一生…(中略)…多百千生といった、様々な過去における生涯を思い出すような心三昧を得て、「あの生において、これこれの名前を持ち…(中略)…この生に生まれ変わった」と、このように、その事情と境遇とを併せ持った、様々な過去における生涯を思い出した。そして、このことによって、私はどのようにして我と世界とが常住であり、生産することはなく、山頂のように常住であり、石柱が立つように不動であり、諸々の有情は流転し輪廻し死去し出生するが、なおかつ我と世界とは常住に存在しているのかを知ったからである。』
 比丘達よ、これがすなわち第一の立場であって、これによりこれに基づいて、ある沙門や婆羅門は、常住論として、我と世界とを常住であると説くのである。

【解説】
◎常住論――その三昧と四劫の構図
 仏教では、世界(宇宙)の成立に始まる変遷の一サイクルを四つに分けている。この一サイクルを四劫【しこう】と呼び、それは、成劫【じょうこう】、住劫【じゅうこう】、壊劫【えこう】、空劫【くうこう】という四つの期間から成り立っている。
 成劫は、世界の創造期であり、住劫は世界が維持されている期間、壊劫では世界が壊滅し、空劫で世界は虚空と化する。
 ここでは、三昧に入って、「例えば、一生…(中略)…多百千生といった、様々な過去における生涯を思い出すような心三昧を得て」とされているが、この思い出した生涯がすべて世界が維持されている住劫でのものであった。つまり、彼らは住劫しか知らないわけで、そのために、この世は常住である、そして、私達はその中を生死流転しているのだという考え方が出てきているのである。彼らの三昧は、この宇宙の創造から破壊、虚空を超えたものではないということである。