映画の内容に触れます。
昨年末に観た作品、
『ニーゼと光のアトリエ』。
たしか映画公開よりもかなり前に新聞で監督が紹介されていて、その記事を読んだ日から、ず〜〜っと日本で上映される日を指折り数えて待ち望んでました
ちょうど自分が臨床美術やアートセラピーの中でユング心理学などを学んでいたときとも重なり、実在した人物、ニーゼ・ダ・シルヴェイラに強い興味を持ったからです。
もちろん監督のホベルト・ベリネールという人も!
ニーゼは1940年代にブラジルの精神病院で活躍した精神科医だ。物語の冒頭で、鉄の扉を叩き続けるニーゼ。私はその彼女の凛とした後ろ姿にまず胸を打たれた。このシーンだけで、ニーゼという人の人柄が圧倒的な強さを持って伝わってくる。
強さだけではなく、深い愛情が全体に滲み溢れているのだけど、私が好きなシーンは、ニーゼが家庭の中で夫や猫たちと愛に包まれながら暮らしている場面
。なんか、ほっとするんですね。
現場の病院では、日々格闘するような戦闘モードにはなるけれど、家に帰ればちゃんと家族がいて猫がいて触れ合いながら生活している部分がニーゼの中にある、ということ 家庭と仕事のバランスが内側から湧き出る自然な愛によって保たれているように見えるのです
仕事でどんなに辛く困難な状況に陥っても、そばにいて寄り添い支えてくれる夫がいる。猫たちと触れ合って優しく癒される
ニーゼという人が、愛の力を信じている人間だから、外に向かっても愛を持って立ち向かってゆけるのだと。
やわらかで清々しい自然と重く分厚い鉄の壁。
画面からは、そんな対比がいたるところで感じられます。
言葉を発するよりも、まずはじっくり観察する態度。心の感度を研ぎ澄まし、いつでもキャッチできるように見つづける
。 言葉がやたらと氾濫しているから、本当に必要な声かけから会話が始まり、真のコミュニケーションが成り立っていくのかもしれない。その積み重ねが信頼関係を築いていくのだと思う
まるでドキュメンタリーを観ているような感覚になるのは、これって演技なの?もしかして本物のクライアントさん?ってびっくりするくらい役者さん達の演技が素晴らしい
。 長い時間をかけて制作された作品には、目に触れないところでの努力が蓄積されているのですね。
粗暴な人が、絵を描くことで穏やかになっていったり、人に積極的に触れ合おうとしたり…
周りからやらされるのでなく
あくまでも自分の中から動き出していく行動に変化していく様子はほんと胸が熱くなります 自我や自意識を自分でコントロールできるようになるって事でしょうか
ラストにニーゼ本人が語りかけるシーンは、胸に突き刺さります。
なんか、子育てにも通じるものを感じたし、自分の事としても励まされた感じです。
この作品を見終わって、幸せな気持ちになれたのはなぜかな?と自問してましたが、それはあのセリフだったのだ、と
確信しました。 物語の終わりのほうで、あるクライアントがみんなの前で笑顔で言うんです。
僕は、大丈夫だよ…、居場所を見つけたんだ
ここで聞いてる仲間が「君の居場所はここじゃないよ!だって家に帰るんでしょ?」と。
それにまた満面の笑みを浮かべて
僕の居場所は、ここだよ!と
自分の頭を指さすのです。
ああ! そうなんだよね! とすごく嬉しくなった瞬間
ああ、なんて心地いいセリフ
居心地のよい居場所が自分の中にあれば、生き抜いていける。そう信じて生きて生きたいし、人に対してもそう願わずにはいられない。だから、
祈る、のかもね