先日、共に働く営業職の若手から、
こんな言葉を聞いて、考えさせられた
『だって、役職ついてる人たち、
幸せそうに見えないし…。
工場長が軽トラ🛻で通勤してるし。
他の人の乗ってる車🚘だって、会社が
貸与してるから、トヨタのいい車乗っ
てるけど、自分で購入した車は、何
乗ってるかわからないし。
仮に役職を打診されても、断りますよ
。 不透明な給与体制と、得られるも
のがないから…』
あぁ、車で幸福度を測るのね
そういう見方もあるか。
でも、工場長が軽トラ🛻で通勤するのは
自由だし、他にもホンダのワゴン車持ってるよ。農家でお米の収穫作業もあるから、
軽トラは何かと便利なんじゃないかな。
確かに社長は、トヨタのレクサス乗ってるけど、私から見たら、趣味みたいな物じゃないかと。
乗っている車で、その人が幸せかどうかなんて、他人が判断できることじゃないと思うけど、そんな風に見る人もいるって事よね。
車に興味のない人が社長になったら、どんな風に映るのかな…。
役職者になれば、あんな高級車に乗れるんだ!じゃあ、頑張ろう❗️ってなるのかな。
自分の嗜好と一致してればいいけれど、
気持ちに嘘ついてまで、体裁を繕わなきゃいけないなんて、嫌だなぁ…
幸せそうに見えるかって事と、
元気そうに見えるって事は、似ている?
精神は衰弱気味で、身も心も擦り切れて
いるのに、久しぶりに会った人に
「めっちゃ元気そう!健康体そのものって感じじゃない!」
って言われると、何だか損してるのか特してるのか分からなくなり困惑する
自己申告しない限り、本当の自分を、他人は知る由もない。
ただ、信頼できる人には、現状を伝えているから、その人がわかっていてくれたら、
まあ、いいか…。
戦時下でなくとも、一触即発な日々に
崖っぷちを歩くように生きている私。
比べることに意味はない、と考えているけれど、自分がいまこの状況でギリギリ精神て凌いでいるとき、ウクライナ🇺🇦の人達を想う時、いやいや自分はまだまだ幸せじゃないか!
と思い直すのです。
いったい、なにが幸せなのか。
それは、その人にしかわからないんじゃないのかな。