2期第1話になったら、いきなり、まどか、ほむら、さやか、の3人が登場したのにはびっくり。
てか、1期の最後に出てきたさやかって、普通に魔法少女していたときのさやかだったのね。
フォルテッシモの髪飾りをつけていたから、てっきり映画の『叛逆の物語』の後の話だと思っていたのだけど。
むしろ、あの1期の最後のマミさんとの対決で、さやかは、魔女がもともと魔法少女であった事実に気づいた、ってことか。
しかし、あの時、すでに潰された手を再生するなんて荒業をさやかは行っていたのだけど、この時間軸では、そんなことも可能なの?
うーん。
いや、まどかたちが登場すると、あー、これはまどマギの世界の話なのねー、というのがよくわかって、それはそれでいいのだけど。
ただ、魔法少女が魔女になってしまう、という秘密を、こんな感じで時間的余裕のある段階でまどかたちが知ってしまう展開、ってのはどうなんだろうね?
ほむらが世界線を旅してきた、というのはオリジナルのまどマギのときからあった設定だったけど、問題は、それは実際に実施されるとね-、ってことかな。
なんていうか、シュタゲのゼロとか、ネギま!の続編のUQ Holderみたいなことにならないといいのだけど。
要するに、蛇足的な展開。
まぁ、本編のドラマティックな展開を崩さないわけがないんだよね。
別時間軸や別世界線の話が。
確かにまどマギが登場した10年前のときなら、まだ「やり直し」的別ルートの話には新鮮味があったけど。
でも、2010年代の物語って、ソシャゲ展開も含めて、「本編」に対する別世界での物語が粗製乱造されてしまって、なんか、もうお腹いっぱいなんだよな。
で、アタリマエのことながら、オリジナルの物語を超えるようなものがでてくることはそうそうない。
だいたい、本来なら、ファンダムの世界の二次創作で勝手に盛り上がるようなものを、公式が手を出しているようなものだから。
正編そのものの正統性が疑われてしまうって感じ。
まぁ、まどマギの場合は、『叛逆の物語』の正統的続編である『ワルプルギスの廻天』を出すからいいけど。
でもなぁ、これもタイトルからわかるように、ワルプルギス、という魔女の存在に、もともとあったもの以上の過剰な意味を、多分、後付の意味をつけるようになるようで、すでにちょっと敬遠したくなっている。
てか、今回の、「覚醒前夜第1話」でも、さやかの口から、ワルプルギスは世界を巡回する最悪の魔女って、いわれてしまっているから、きっとその延長線上で、最悪の魔女、として特権的存在に祭り上げられてしまうのだろうなぁ。。。
そもそも、ワルプルギスは、ほむらの成れの果て、という話もあった・・・よね?
そうなると、すでに『叛逆の物語』で示された、まどかvsほむら、のデビルマン的な「神vs悪魔」の対決に還元されてしまいそうで。。。
でもそれって、最初にまどかが願った「魔法少女の解放」というゴールからもう、思い切りそれてしまっているよね?
なんか、そういうところが、せっかくきれいに終わっていたのに、後付の物語や設定をペタペタ足していくことで、ただただアグリーな者になっていくだけのような気もするんだよなぁ。
てか、これは、エヴァンゲリオンにも感じていることだけど、声優さんにしても、そのときの役で受けた、という誉れみたいなものはあるわけで、それを10年後にも同じようにやる、というのも、結構、アグリーな感じになっていくものだと思うのだよね。
そういう意味では、まどかやさやか、ほむらが活躍する姿をもう一度見れるのは素晴らしいけど、同時に、それって、そんなに喜ぶべきことか?とも思ってしまう。
これは、ループもの、という便利な物語装置の負の側面だと思うんだけどね。
ともあれ、まどかたちが見滝原にどう合流するのか。
というよりも、きっと中心になるのは、まだメガネっ娘属性のままのほむらなのだろうけどね。。。
てか、1期の最後に出てきたさやかって、普通に魔法少女していたときのさやかだったのね。
フォルテッシモの髪飾りをつけていたから、てっきり映画の『叛逆の物語』の後の話だと思っていたのだけど。
むしろ、あの1期の最後のマミさんとの対決で、さやかは、魔女がもともと魔法少女であった事実に気づいた、ってことか。
しかし、あの時、すでに潰された手を再生するなんて荒業をさやかは行っていたのだけど、この時間軸では、そんなことも可能なの?
うーん。
いや、まどかたちが登場すると、あー、これはまどマギの世界の話なのねー、というのがよくわかって、それはそれでいいのだけど。
ただ、魔法少女が魔女になってしまう、という秘密を、こんな感じで時間的余裕のある段階でまどかたちが知ってしまう展開、ってのはどうなんだろうね?
ほむらが世界線を旅してきた、というのはオリジナルのまどマギのときからあった設定だったけど、問題は、それは実際に実施されるとね-、ってことかな。
なんていうか、シュタゲのゼロとか、ネギま!の続編のUQ Holderみたいなことにならないといいのだけど。
要するに、蛇足的な展開。
まぁ、本編のドラマティックな展開を崩さないわけがないんだよね。
別時間軸や別世界線の話が。
確かにまどマギが登場した10年前のときなら、まだ「やり直し」的別ルートの話には新鮮味があったけど。
でも、2010年代の物語って、ソシャゲ展開も含めて、「本編」に対する別世界での物語が粗製乱造されてしまって、なんか、もうお腹いっぱいなんだよな。
で、アタリマエのことながら、オリジナルの物語を超えるようなものがでてくることはそうそうない。
だいたい、本来なら、ファンダムの世界の二次創作で勝手に盛り上がるようなものを、公式が手を出しているようなものだから。
正編そのものの正統性が疑われてしまうって感じ。
まぁ、まどマギの場合は、『叛逆の物語』の正統的続編である『ワルプルギスの廻天』を出すからいいけど。
でもなぁ、これもタイトルからわかるように、ワルプルギス、という魔女の存在に、もともとあったもの以上の過剰な意味を、多分、後付の意味をつけるようになるようで、すでにちょっと敬遠したくなっている。
てか、今回の、「覚醒前夜第1話」でも、さやかの口から、ワルプルギスは世界を巡回する最悪の魔女って、いわれてしまっているから、きっとその延長線上で、最悪の魔女、として特権的存在に祭り上げられてしまうのだろうなぁ。。。
そもそも、ワルプルギスは、ほむらの成れの果て、という話もあった・・・よね?
そうなると、すでに『叛逆の物語』で示された、まどかvsほむら、のデビルマン的な「神vs悪魔」の対決に還元されてしまいそうで。。。
でもそれって、最初にまどかが願った「魔法少女の解放」というゴールからもう、思い切りそれてしまっているよね?
なんか、そういうところが、せっかくきれいに終わっていたのに、後付の物語や設定をペタペタ足していくことで、ただただアグリーな者になっていくだけのような気もするんだよなぁ。
てか、これは、エヴァンゲリオンにも感じていることだけど、声優さんにしても、そのときの役で受けた、という誉れみたいなものはあるわけで、それを10年後にも同じようにやる、というのも、結構、アグリーな感じになっていくものだと思うのだよね。
そういう意味では、まどかやさやか、ほむらが活躍する姿をもう一度見れるのは素晴らしいけど、同時に、それって、そんなに喜ぶべきことか?とも思ってしまう。
これは、ループもの、という便利な物語装置の負の側面だと思うんだけどね。
ともあれ、まどかたちが見滝原にどう合流するのか。
というよりも、きっと中心になるのは、まだメガネっ娘属性のままのほむらなのだろうけどね。。。