まがポケってサイトで、作者と編集者3人の計4人で、完結後座談会がアップされているのだけど、そこで、
「小学生の頃、修学旅行で出会った女の子を探しているんだけど、五つ子で誰かわからない」
というのが初期の企画だったというのが明かされているのだけど、
はぁ? いまさら、なにいってるんですか?
という気になった。
要は、思い出の子を五つ子の中から探し出す話ってこと。
なんだ、結局、「運命の子」を探し出したかっただけなのか、という点では、マジで『君の名は。』をやりたかったのがわかって、あっさり興ざめ。
だってさ、これ、高2のときに出会った五つ子の中から花嫁となる娘を見出す話じゃなかったっけ?
探し出すのは、「思い出の子」や「運命の子」じゃなくて「花嫁」でしょ?
いや、だったら、タイトルをちゃんと『五等分の思い出の子』とかにしとけよ、ってマジで思う。
これ、完全に後出しジャンケンじゃん。
ホント、春場ねぎって、嘘つきだなぁ。
単純に、自分に実力がなくて、物語を畳めなくなったから、あわてて、四葉で終わりにしただけでしょ?
はっきりそういえばいいのに。
122話の完結を見たから自信を持って言えるけど、多分、物語の進行がおかしくなったのは、京都旅行のあたりからでしょ。
あのあたりから明らかに物語の矛盾が露呈してきた。
だってさ、もしも「思い出の子」を見つけるのがミッションのマンガなら、京都に行った風太郎が、「思い出の子」である「京都の子」のことを探さないわけないじゃん。
しかも、京都に行く時点ですでに、零奈が五つ子の誰か、ってところまでわかっていたわけでしょ?
五月じゃないけど、楔は打たれていたんだよ。
だったら、その流れに乗って、風太郎が京都で五つ子の一人ひとりに、お前とはここで会ったか?って聞いて回らないとおかしい。
だって、思い出の子に会えることに恋い焦がれている男なんでしょ、風太郎は?
でその結果が、途中経過を全てすっ飛ばして、一花、二乃、三玖の求愛を投げ飛ばして、四葉を選んだ理由なわけでしょ?
でもさ、あの京都編の内容を見れば、そんな目的が風太郎になかったのは100%、わかるじゃない。
だから、「思い出の子を見つける」なんて、すぐバレるウソをつくなよ。
あぁ、そうか、今、気づいたけど、
あの京都編の最後で一花が風太郎に言った「全部、嘘」って、このことだったんだ。
あそこまで春場ねぎが描いてきたことが「全部、嘘」ってことだっだんだ。
それまでの物語、全部、チャラにします、っていうメタ発言でもあったんだ。
なるほど、それなら理解できる。
あそこで、春場ねぎは、全部投げ出して、バンザイ!しちゃったわけね。
自分自身で、きっと大きな解決不能な矛盾を見つけてしまって、あそこで、伏線のあれこれについてはすべて投げ出すぞ、って宣言してしまった。
なるほどー。
となると、その直後の話で、あからさまに、子どものころの、イキった四葉の話を続けたのもよくわかる。
だって、あそこでもう、読者には、四葉が「思い出の子」であることをバラしちゃったわけだから。
事実上、物語は、京都から帰ってきたところで、終わっていた、ということだよね。
春場ねぎからすれば、あの四葉の過去シーンを始めた時点で、背中に背負った重い荷物を下ろすことができて、ホッとした、ということ。
ほら、これで四葉エンドになること、明確でしょ? だって彼女が探していた、運命の京都の子、なんだから。
あとは、ひたすら、四葉以外の姉妹を、緩やかに「花嫁候補」としては排除していく手続きに入るだけのこと。
まず、一花には女優業に専念させることにして、風太郎のもとから事実上去り、花嫁ではなく「愛人1号」にした。
そこからはただただ『四等分の愛人』って話が進んでいただけだった。
で、続いて、二乃に、「焦らし戦略」のリバースで、風太郎に対してメロメロにしてしまって、何があっても風太郎についていく、という気分にさせて、愛人2号の完成。
さらには、三玖については、日の出祭前の水族館デートで、風太郎にきちんと思いを伝えたのにもかかわらず、それは結局、宙吊りのままで、これで愛人3号の完成。
で、最後に五月についても、わざわざ恋心を気付かせた後、ひとり影で身を引く、という、いや、それもう拷問じゃん、みたいなことまでさせで、真性の愛人4号の完成。
しかも五月の扱いは、最もひどくて、彼女は、四葉の使いっぱに使われ、最後には、風太郎が、二乃と三玖にちゃんと断りの言葉と伝える機会をも、四葉をかばう理由から奪ってしまう役まで任された。
これはちょっと扱いがひどすぎ。
そうして、4人の愛人が決定。
きっと、この4人の様子を見て、四葉は、「お母さん、見てる? 私だけ特別なんだよ」と言ったんだろうな。
で、「思い出の人」を探すことしか頭になかった風太郎は、最後にはキャラチェンジまでして、ただの道化に成り下がり、いきなりプロポーズをかまして終わり。
しかも、その様子をストーカーした愛人4人にも見せつける、というおまけ付き。
これ、マジで意地が悪いし、気持ち悪い。
でも、春場ねぎは、これが世の中のセオリーだと思っていたというわけで。
いや、マジでキモチ悪すぎでしょ。
でもまあ、すでに、先程の座談会の中身が、以前に作者が答えていたインタビュー内容と異なるという指摘は多くの読者から言われているわけで。
つまり、春場ねぎの発言は基本的に、その場限りで調子いいことをいうだけであって、特に一貫性があるわけではない。だから、逐一、作者=神のご託宣のように受け取るのは辞めたほうがいい。
それが、多くのこの作品で裏切られたなぁ、と思っている人たちが共通して思っていること。
春場ねぎは嘘つきなんだよ、しかも思い切り、たちの悪い嘘つき。
クリエイターの風上にもおけない不誠実さ。
だから、彼の発言など、聞く耳をもたないほうがいい、ということ。
で、そこまで、作者の気持ち悪さが見えてくると、改めて、四葉ってキャラクターが、彼そのものの投影なんだな、と思えてくる。
やっぱり、四葉って五つ子のなかで一番気持ち悪いよ。
だって、承認欲求の塊みたいな、ヤンデレじゃん。
あれだけ人助けするのは、それくらい承認されないと今にも死んでしまう病なわけでしょ?
大体、それが理由で前の学校を退学させられたのに、こりもせず、転校先の風太郎の高校でも、同じ体育会系部活のお助けマンをやっているのだから。
しかも、物語中盤では、その「助っ人魂」が暴走して、風太郎の家庭教師の時間をサボったり、その「助っ人人生」から足を洗うのに、またぞろ姉妹の力を借りているわけだから。
まったく反省の色が見えない。
日の出祭で四葉が倒れたときに周りがフォローしてくれたことで、そんな四葉の厄介な性向についてもみそぎはすんだ、みたいな解釈を促すような言葉を、風太郎が言っていたけど、それ、風太郎が昔の四葉のことを知らないだけのことで、実際には、四葉の本質は、なんにも変わってない。
むしろ、四葉自身は、ずっと変わらず空回りしているわけで。
強いて言えば、その「空回り」のなかで、唯一成功しているようにみえたのが、風太郎への最初からの「助力」だったわけだけど、風太郎はそれにすっかりなびいてしまい、最終的に四葉を選んでしまう。
でもそれにしたって、四葉視点で見れば、風太郎が、あの5年前に会った風太郎だと四葉(だけ)は気づいていたことからであり、同時に、やはり姉妹がうまく四葉の穴を埋めてくれたからでしょ。
そんな周りの助力に思い切り支えられているのに、というか、甘えているのに、風太郎に対する思いを封印していたから、という理由だけで、風太郎から特別視されるのは、どう考えてもおかしい。
ていうか、「思い出の人」が四葉だというなら、好きとかプロポーズとか言う前に、四葉の口から、「風太郎くん、久しぶりだね」ときちんと言わせればいいだけじゃない?
そんな当たり前の心理の動きすら、春場ねぎは理解できないし、だから表現することもできない。
伏線を思わされてきたことも、何もかもが、その場限りのネタだったということで。
なんだかなぁー。
もうちょっとまともな作者だと思っていたけれど、まったくの期待はずれ。。
ただの絵師でしかなかったわけで、それが終盤、絵まで劣化しているんだから、もう取り柄もなにもないじゃない。
はーあ、ホント、騙された。
マジでガッカリだよ。
「小学生の頃、修学旅行で出会った女の子を探しているんだけど、五つ子で誰かわからない」
というのが初期の企画だったというのが明かされているのだけど、
はぁ? いまさら、なにいってるんですか?
という気になった。
要は、思い出の子を五つ子の中から探し出す話ってこと。
なんだ、結局、「運命の子」を探し出したかっただけなのか、という点では、マジで『君の名は。』をやりたかったのがわかって、あっさり興ざめ。
だってさ、これ、高2のときに出会った五つ子の中から花嫁となる娘を見出す話じゃなかったっけ?
探し出すのは、「思い出の子」や「運命の子」じゃなくて「花嫁」でしょ?
いや、だったら、タイトルをちゃんと『五等分の思い出の子』とかにしとけよ、ってマジで思う。
これ、完全に後出しジャンケンじゃん。
ホント、春場ねぎって、嘘つきだなぁ。
単純に、自分に実力がなくて、物語を畳めなくなったから、あわてて、四葉で終わりにしただけでしょ?
はっきりそういえばいいのに。
122話の完結を見たから自信を持って言えるけど、多分、物語の進行がおかしくなったのは、京都旅行のあたりからでしょ。
あのあたりから明らかに物語の矛盾が露呈してきた。
だってさ、もしも「思い出の子」を見つけるのがミッションのマンガなら、京都に行った風太郎が、「思い出の子」である「京都の子」のことを探さないわけないじゃん。
しかも、京都に行く時点ですでに、零奈が五つ子の誰か、ってところまでわかっていたわけでしょ?
五月じゃないけど、楔は打たれていたんだよ。
だったら、その流れに乗って、風太郎が京都で五つ子の一人ひとりに、お前とはここで会ったか?って聞いて回らないとおかしい。
だって、思い出の子に会えることに恋い焦がれている男なんでしょ、風太郎は?
でその結果が、途中経過を全てすっ飛ばして、一花、二乃、三玖の求愛を投げ飛ばして、四葉を選んだ理由なわけでしょ?
でもさ、あの京都編の内容を見れば、そんな目的が風太郎になかったのは100%、わかるじゃない。
だから、「思い出の子を見つける」なんて、すぐバレるウソをつくなよ。
あぁ、そうか、今、気づいたけど、
あの京都編の最後で一花が風太郎に言った「全部、嘘」って、このことだったんだ。
あそこまで春場ねぎが描いてきたことが「全部、嘘」ってことだっだんだ。
それまでの物語、全部、チャラにします、っていうメタ発言でもあったんだ。
なるほど、それなら理解できる。
あそこで、春場ねぎは、全部投げ出して、バンザイ!しちゃったわけね。
自分自身で、きっと大きな解決不能な矛盾を見つけてしまって、あそこで、伏線のあれこれについてはすべて投げ出すぞ、って宣言してしまった。
なるほどー。
となると、その直後の話で、あからさまに、子どものころの、イキった四葉の話を続けたのもよくわかる。
だって、あそこでもう、読者には、四葉が「思い出の子」であることをバラしちゃったわけだから。
事実上、物語は、京都から帰ってきたところで、終わっていた、ということだよね。
春場ねぎからすれば、あの四葉の過去シーンを始めた時点で、背中に背負った重い荷物を下ろすことができて、ホッとした、ということ。
ほら、これで四葉エンドになること、明確でしょ? だって彼女が探していた、運命の京都の子、なんだから。
あとは、ひたすら、四葉以外の姉妹を、緩やかに「花嫁候補」としては排除していく手続きに入るだけのこと。
まず、一花には女優業に専念させることにして、風太郎のもとから事実上去り、花嫁ではなく「愛人1号」にした。
そこからはただただ『四等分の愛人』って話が進んでいただけだった。
で、続いて、二乃に、「焦らし戦略」のリバースで、風太郎に対してメロメロにしてしまって、何があっても風太郎についていく、という気分にさせて、愛人2号の完成。
さらには、三玖については、日の出祭前の水族館デートで、風太郎にきちんと思いを伝えたのにもかかわらず、それは結局、宙吊りのままで、これで愛人3号の完成。
で、最後に五月についても、わざわざ恋心を気付かせた後、ひとり影で身を引く、という、いや、それもう拷問じゃん、みたいなことまでさせで、真性の愛人4号の完成。
しかも五月の扱いは、最もひどくて、彼女は、四葉の使いっぱに使われ、最後には、風太郎が、二乃と三玖にちゃんと断りの言葉と伝える機会をも、四葉をかばう理由から奪ってしまう役まで任された。
これはちょっと扱いがひどすぎ。
そうして、4人の愛人が決定。
きっと、この4人の様子を見て、四葉は、「お母さん、見てる? 私だけ特別なんだよ」と言ったんだろうな。
で、「思い出の人」を探すことしか頭になかった風太郎は、最後にはキャラチェンジまでして、ただの道化に成り下がり、いきなりプロポーズをかまして終わり。
しかも、その様子をストーカーした愛人4人にも見せつける、というおまけ付き。
これ、マジで意地が悪いし、気持ち悪い。
でも、春場ねぎは、これが世の中のセオリーだと思っていたというわけで。
いや、マジでキモチ悪すぎでしょ。
でもまあ、すでに、先程の座談会の中身が、以前に作者が答えていたインタビュー内容と異なるという指摘は多くの読者から言われているわけで。
つまり、春場ねぎの発言は基本的に、その場限りで調子いいことをいうだけであって、特に一貫性があるわけではない。だから、逐一、作者=神のご託宣のように受け取るのは辞めたほうがいい。
それが、多くのこの作品で裏切られたなぁ、と思っている人たちが共通して思っていること。
春場ねぎは嘘つきなんだよ、しかも思い切り、たちの悪い嘘つき。
クリエイターの風上にもおけない不誠実さ。
だから、彼の発言など、聞く耳をもたないほうがいい、ということ。
で、そこまで、作者の気持ち悪さが見えてくると、改めて、四葉ってキャラクターが、彼そのものの投影なんだな、と思えてくる。
やっぱり、四葉って五つ子のなかで一番気持ち悪いよ。
だって、承認欲求の塊みたいな、ヤンデレじゃん。
あれだけ人助けするのは、それくらい承認されないと今にも死んでしまう病なわけでしょ?
大体、それが理由で前の学校を退学させられたのに、こりもせず、転校先の風太郎の高校でも、同じ体育会系部活のお助けマンをやっているのだから。
しかも、物語中盤では、その「助っ人魂」が暴走して、風太郎の家庭教師の時間をサボったり、その「助っ人人生」から足を洗うのに、またぞろ姉妹の力を借りているわけだから。
まったく反省の色が見えない。
日の出祭で四葉が倒れたときに周りがフォローしてくれたことで、そんな四葉の厄介な性向についてもみそぎはすんだ、みたいな解釈を促すような言葉を、風太郎が言っていたけど、それ、風太郎が昔の四葉のことを知らないだけのことで、実際には、四葉の本質は、なんにも変わってない。
むしろ、四葉自身は、ずっと変わらず空回りしているわけで。
強いて言えば、その「空回り」のなかで、唯一成功しているようにみえたのが、風太郎への最初からの「助力」だったわけだけど、風太郎はそれにすっかりなびいてしまい、最終的に四葉を選んでしまう。
でもそれにしたって、四葉視点で見れば、風太郎が、あの5年前に会った風太郎だと四葉(だけ)は気づいていたことからであり、同時に、やはり姉妹がうまく四葉の穴を埋めてくれたからでしょ。
そんな周りの助力に思い切り支えられているのに、というか、甘えているのに、風太郎に対する思いを封印していたから、という理由だけで、風太郎から特別視されるのは、どう考えてもおかしい。
ていうか、「思い出の人」が四葉だというなら、好きとかプロポーズとか言う前に、四葉の口から、「風太郎くん、久しぶりだね」ときちんと言わせればいいだけじゃない?
そんな当たり前の心理の動きすら、春場ねぎは理解できないし、だから表現することもできない。
伏線を思わされてきたことも、何もかもが、その場限りのネタだったということで。
なんだかなぁー。
もうちょっとまともな作者だと思っていたけれど、まったくの期待はずれ。。
ただの絵師でしかなかったわけで、それが終盤、絵まで劣化しているんだから、もう取り柄もなにもないじゃない。
はーあ、ホント、騙された。
マジでガッカリだよ。