(感想2もあります)
前回、ニノによるルビーの殺害を、あかねや壱護の協力で阻止した後、問いただした、で、誰にこんなことをするようそそのかされたの? という問い。
もちろん、その答えはカミキヒカル。
多分、あかねや壱護の別働隊としてカミキを見張っていたアクアが、カミキヒカルの本性を問いただす。
事実上のカミキによる自白のようなものだけど、しかし、教唆といっても、どの部分が該当するのか、は実は曖昧。
そうした「嘘つきの特性」を使って、むしろ、アクア、お前も同類だろ?と迫ることでごまかそうとするのがカミキ・クオリティw
その問いに対して、アクアが譲れなかったのは、実の娘のルビーにまで手をかけようとしたこと。
それは、あれだよね、アイのお墓参りをしていたルビーにカミキが近づいたとき。
あのときは、ギリギリのところで、あかねがルビーを引き取って事なきを得たけど。
つまり、ずいぶん、前からカミキは、ルビーのことも殺害の対象に加えていた。
もちろん、ニノをそそのかして。
だから今回の構図は、すでにあかねとアクアにはわかっていて、あとはいつカミキがしかけてくるか?ということだけだった。
ただ、おそらくはニノの殺害動機が、アイの偽物のルビーへの嫌悪にあることは、ほぼ自明だったから、アイ同様、最後のコンサート当日、が浮き上がったってことなんだろうな。
しかし、カミキヒカル、思っていた以上に「小物」で、こいつ、ほんとにラスボスなのか?と疑問に思ったりする。
アクアに対して、同じ「嘘つきの目」をしている、ということで動揺が誘えると思えるくらいの小物。
なので、カミキを始末したから解決できる、って話なのかな?
というか、このまま、アクアがカミキを傷つけるようなら、あかねが最も心配していた、アクアが殺人者の道を歩むだけになるので、次回、第3者の介入がありそうだとは思ってるけど。
でも、そうでないとしたら、これは、逆に、アクアが、カミキをそそのかして自殺に至らせるようにするのかね?
彼らの目を見ていると、なんだか、ルルーシュの絶対遵守のギアスみたいに思えてくるけどw
蛇の道は蛇。
もっとも、カミキに対する復讐としてはそれがもっとも妥当な、正解のようにも思えるけど。
あるいは、吾郎の外科医としての知識がなにか役に立つとか?
とにかく、次回が、最終章の山場になるのは間違いなさそう。
でもなぁ、ほんとにカミキを倒せば終わりなのかな?
あ、そうそう、前回タイトルの「共振」が「狂信」とかけていたように、
今回のタイトルの「eye」は、言うまでもなく「愛」であり「アイ」だよね。
となると、最終話まで、こうした二重がけするようなタイトルが続くのだろうか?
(感想2へ)
前回、ニノによるルビーの殺害を、あかねや壱護の協力で阻止した後、問いただした、で、誰にこんなことをするようそそのかされたの? という問い。
もちろん、その答えはカミキヒカル。
多分、あかねや壱護の別働隊としてカミキを見張っていたアクアが、カミキヒカルの本性を問いただす。
事実上のカミキによる自白のようなものだけど、しかし、教唆といっても、どの部分が該当するのか、は実は曖昧。
そうした「嘘つきの特性」を使って、むしろ、アクア、お前も同類だろ?と迫ることでごまかそうとするのがカミキ・クオリティw
その問いに対して、アクアが譲れなかったのは、実の娘のルビーにまで手をかけようとしたこと。
それは、あれだよね、アイのお墓参りをしていたルビーにカミキが近づいたとき。
あのときは、ギリギリのところで、あかねがルビーを引き取って事なきを得たけど。
つまり、ずいぶん、前からカミキは、ルビーのことも殺害の対象に加えていた。
もちろん、ニノをそそのかして。
だから今回の構図は、すでにあかねとアクアにはわかっていて、あとはいつカミキがしかけてくるか?ということだけだった。
ただ、おそらくはニノの殺害動機が、アイの偽物のルビーへの嫌悪にあることは、ほぼ自明だったから、アイ同様、最後のコンサート当日、が浮き上がったってことなんだろうな。
しかし、カミキヒカル、思っていた以上に「小物」で、こいつ、ほんとにラスボスなのか?と疑問に思ったりする。
アクアに対して、同じ「嘘つきの目」をしている、ということで動揺が誘えると思えるくらいの小物。
なので、カミキを始末したから解決できる、って話なのかな?
というか、このまま、アクアがカミキを傷つけるようなら、あかねが最も心配していた、アクアが殺人者の道を歩むだけになるので、次回、第3者の介入がありそうだとは思ってるけど。
でも、そうでないとしたら、これは、逆に、アクアが、カミキをそそのかして自殺に至らせるようにするのかね?
彼らの目を見ていると、なんだか、ルルーシュの絶対遵守のギアスみたいに思えてくるけどw
蛇の道は蛇。
もっとも、カミキに対する復讐としてはそれがもっとも妥当な、正解のようにも思えるけど。
あるいは、吾郎の外科医としての知識がなにか役に立つとか?
とにかく、次回が、最終章の山場になるのは間違いなさそう。
でもなぁ、ほんとにカミキを倒せば終わりなのかな?
あ、そうそう、前回タイトルの「共振」が「狂信」とかけていたように、
今回のタイトルの「eye」は、言うまでもなく「愛」であり「アイ」だよね。
となると、最終話まで、こうした二重がけするようなタイトルが続くのだろうか?
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