なんだろうなぁ、とにかく、ガハマさんが、ガハママとともに最後の輝きを見せているとき、って感じの寂寥感が、ずっとそこはかとなく漂っていて、つらいなあ。
いやー、これ、ガハママとここまで良好な関係をもったら、普通に考えて、ガハマさんでいいんじゃないの?って思うよなぁ。
でも、今回の八幡とのやり取りは、基本的に全て、前回、雪ノ下から言われた、由比ヶ浜さんの願いを叶えること、という約束に従ったものなわけだよね?
そんな約束を取り付けるところで、そもそも雪乃、やばくない?って思うし、なにより、雪ノ下家の、ヤンだ母や姉よりもガハマ母・娘のほうがいいに決まってるじゃん。
でも、そうじゃないんでしょ?
いろはすじゃないけど、ほんと、めんどくさいなぁ。
今回、冒頭は、小町とのやりとり、
その後は、基本的に結衣とその母とのケーキ作り
で、間に、結衣のグループの「あーし」の人と、
元生徒会長のめぐり先輩が登場、と
雪ノ下のいないシーンが多かったけど、そのほうがすんなり見られるという奇妙さ。
それは、終盤で、いろはすと雪乃、結衣、八幡が廊下で出会って話しているときも同じで。
ほんと、いろはすが「通訳」だよなぁ。
裏返すと、結衣は、その通訳ができなかったんだよなぁ。
てか、この4人のシーンがやっぱり面白いというのが、この作品の本質だと思うんよね。
だから、ここから無理やり雪乃を選ぶような展開にしなくてもよかっただろうに。
まぁ、もともと、あまたある「ラブコメ」の王道展開にケチを付けるのがこの作品の出発点だった、といわれてしまえばそれまでだけど、
でもそれなら、いっそラブコメでだれかを選ぶというオチを否認すればよかったのに。
単純に、ラブコメがあるぞ、あるぞー、と思わせながら、最後は八幡の成長で終わった、というのでもよかったと思うけどなぁ。
だって、それこそが青春じゃん。
ラブコメは拒絶しても、青春は否定しないのが、この物語なのだから、それで突き通せばよかったのにね。
そのあたりは、ラノベというジャンルが尻すぼみしてきた理由でもあると思うんだよなぁ。
「逆張り」が意味を持つのは先駆者だけで、しかも逆張りが歓迎されたのは、逆張りすべき王道ばかりが跋扈する前例があればこその話で、それは確かにゼロ年代には意味のあるものだったかもしれないけれど、でももう2020年だからね。平成も終わっちゃったし
なんか、むしろ、アニメの方は、まさかの雪乃エンドの回避!というので終えたら、製作スタッフを、世相の変化を敏感に読んだことで、称賛するけどなぁ。
てか、いい意味で、アニメと原作とは、メディアが違うのだから、オチも違って当然!くらいの思い切りがあってもいいと思うし、でないと、アニメなんてもはや単なる原作の宣伝材料でしかないという理解のもと、視聴者からも見放されると思うのだけどね。
だいたい、原作エンドは、原作読めばいいだけのことだから。
そうそうどうでいいミスだけど、めぐり先輩のCVの「浅倉杏美」が「朝倉杏美」ってクレジットされてたね。かわいそう。
あ、あともうひとつ、どうでもいいけど、比企谷家の猫のカマクラと、由比ヶ浜家の犬のサブレ、どちらも無駄に作画や動きに力が入っていて、毎回、スタッフの動物愛を感じるところw
特にカマクラのぬるっとした猫っぽい動きは素晴らしいw
いやー、これ、ガハママとここまで良好な関係をもったら、普通に考えて、ガハマさんでいいんじゃないの?って思うよなぁ。
でも、今回の八幡とのやり取りは、基本的に全て、前回、雪ノ下から言われた、由比ヶ浜さんの願いを叶えること、という約束に従ったものなわけだよね?
そんな約束を取り付けるところで、そもそも雪乃、やばくない?って思うし、なにより、雪ノ下家の、ヤンだ母や姉よりもガハマ母・娘のほうがいいに決まってるじゃん。
でも、そうじゃないんでしょ?
いろはすじゃないけど、ほんと、めんどくさいなぁ。
今回、冒頭は、小町とのやりとり、
その後は、基本的に結衣とその母とのケーキ作り
で、間に、結衣のグループの「あーし」の人と、
元生徒会長のめぐり先輩が登場、と
雪ノ下のいないシーンが多かったけど、そのほうがすんなり見られるという奇妙さ。
それは、終盤で、いろはすと雪乃、結衣、八幡が廊下で出会って話しているときも同じで。
ほんと、いろはすが「通訳」だよなぁ。
裏返すと、結衣は、その通訳ができなかったんだよなぁ。
てか、この4人のシーンがやっぱり面白いというのが、この作品の本質だと思うんよね。
だから、ここから無理やり雪乃を選ぶような展開にしなくてもよかっただろうに。
まぁ、もともと、あまたある「ラブコメ」の王道展開にケチを付けるのがこの作品の出発点だった、といわれてしまえばそれまでだけど、
でもそれなら、いっそラブコメでだれかを選ぶというオチを否認すればよかったのに。
単純に、ラブコメがあるぞ、あるぞー、と思わせながら、最後は八幡の成長で終わった、というのでもよかったと思うけどなぁ。
だって、それこそが青春じゃん。
ラブコメは拒絶しても、青春は否定しないのが、この物語なのだから、それで突き通せばよかったのにね。
そのあたりは、ラノベというジャンルが尻すぼみしてきた理由でもあると思うんだよなぁ。
「逆張り」が意味を持つのは先駆者だけで、しかも逆張りが歓迎されたのは、逆張りすべき王道ばかりが跋扈する前例があればこその話で、それは確かにゼロ年代には意味のあるものだったかもしれないけれど、でももう2020年だからね。平成も終わっちゃったし
なんか、むしろ、アニメの方は、まさかの雪乃エンドの回避!というので終えたら、製作スタッフを、世相の変化を敏感に読んだことで、称賛するけどなぁ。
てか、いい意味で、アニメと原作とは、メディアが違うのだから、オチも違って当然!くらいの思い切りがあってもいいと思うし、でないと、アニメなんてもはや単なる原作の宣伝材料でしかないという理解のもと、視聴者からも見放されると思うのだけどね。
だいたい、原作エンドは、原作読めばいいだけのことだから。
そうそうどうでいいミスだけど、めぐり先輩のCVの「浅倉杏美」が「朝倉杏美」ってクレジットされてたね。かわいそう。
あ、あともうひとつ、どうでもいいけど、比企谷家の猫のカマクラと、由比ヶ浜家の犬のサブレ、どちらも無駄に作画や動きに力が入っていて、毎回、スタッフの動物愛を感じるところw
特にカマクラのぬるっとした猫っぽい動きは素晴らしいw