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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

制度、システムに内在する問題か?

2024年11月09日 09時38分27秒 | あれこれ考えること

多民族国家故に法の支配を優先し、理想を掲げて先頭を走ってきたアメリカ
しかし現在は理想とか倫理観とか正義感よりは、現実の生活の苦しさとか
蔓延する希望を持てない状況を一気に変えると期待できる方に投票した
と今回の大統領選を分析して語った人がいた
株価とか一部の企業収益が好調でも
それを実感できない庶民の感覚(日本と同じだ)
だからこそ、せめて今までと同じよりは変化を求めたとのことだ

不意に10年ほど前に読んだ本を思い出した
「僕たちは親よりも豊かになるのはもう不可能なのか」リヴァフロイモビッチ
内容をあまり記憶していないのは例のごとくだが、この本のタイトルは
今でも強く心に響く
僅かな記憶をたどるとアメリカでは大学を出ても就職先が見つからない
奨学金の返済で四苦八苦している、という悲惨な状況が紹介されていたようだ

そこでフト思ったのが、アメリカのこの状況は民主党政権でも共和党政権でも
実は同じ状況になるのではないのか?ということ
つまりは根本的なところで、必然的にこうなってしまう力が働くのではないか
と思えてしまった

話は飛ぶが「国家はなぜ衰退するのか」という本では、衰退の理由として
少数者の収奪という概念が挙げられていた
この少数者というのを、日本社会で見られたある人に親しい人が得をしている
という人々(悪人?)ではなくて、多数決を保持している政党にロビー活動ができる人々
と考えると、特に悪人という存在でなくてもこの事態は生まれてしまうような気がする

つまりは資本主義とか、多数決による民主主義に内在する問題ではないだろうか?
こんな風に想像したのはおそらく最近読んだ「資本主義はなぜ私たちを幸福にしないのか」
とか「資本主義の宿命」「超訳資本論」などの本の影響だと思われる

この考え方はたとえ一方的に賛同はできないとしても、人がそれらを想像したり
前提として考えたとしても何ら不思議は無いと思える

ということで、現実にはなにも社会に影響を与えることのできない田舎のおっさんが
いま頭の中で想像したのはこんなこと、ということ
資本主義はNHKの「欲望の資本主義」というシリーズで問題提起しているが
どうも唯一無二の存在ではなさそうな気がする

しかし、かといって他の方法が見つかるわけでもない
だからこそ、政治的には全人格的な人物(議員)が四方八方に目を配り
覚悟をもって臨んでもらいたいものだ

大河ドラマ「光る君へ」では一条天皇が中国の故事を学んで
良い政治をしようとするシーンがあったが
それを、つい羨ましく思ってしまう

 

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どちらを信じるか

2024年11月08日 09時11分17秒 | あれこれ考えること

今朝は冷えて、ようやくこの季節らしくなった
仕舞っていたダウンを探し出して、着ないまでも寒さ対策の準備はしておいた
今年は本当におかしな天候で、あのバカ暑さの始まりの年なのではないか
と不安を覚える

おかしいのは天候だけでなく人の世もそうかも知れない
兵庫県知事選が11月17日に行われる
県会議員全員による不信任案が可決して、知事が失職して
新たに知事選挙が行われることになったが、ここでまた異常事態が発生した

前知事の斎藤氏の出馬は当然ありとしても
当選を目的にしない人物が県知事選に出馬したのだった
それは都知事選でもお騒がせをした党の人物で、彼は街頭演説でも
当選を目的としていないことを公言している
彼の目的は前県知事の斎藤氏を応援するために演説の機会を確保しているらしい

そしてここからが問題なのだが、彼は自身のYoutubeで一方的に
自殺した職員が実は不倫していて、それがバレるのを恐れてあのタイミングで
自死を選んだと言い切っている(それは彼の推理に過ぎないが)
彼は以前には当選を目的とした国政選挙では、とんでもなく見苦しい政見放送を行った人物だ

問題なのはこのYoutubeを見る人が少なくないということと、それを信用する人も結構いる
ということで、残念ながら自分の周りにも存在する

ところが、彼の自死はそんな理由ではないとする意見もSNSにあがっている
人望が高かった職員には、パワハラ等に関する部下からのたくさんのメールが
届いていて、これを部下に迷惑をかけずに一人で処理して訴えたとする内容だ
取り上げられたパソコンには、個人名がはっきり残っているメールがあるので
誰がどう言う考えを持っているかわかってしまう
その秘密にしておきたかった彼らの名前が明らかになるかもしれないという
苦悩から彼は自死を選んだという

同じ出来事に対する解釈でも、このようにいろんな捉え方がある
他人(自分)にはどちらが本当だったのかはわからない

結局は受け取った側がどちらが本当に近いかを判断せざるを得ないが
今の世の中は両方の意見を目にすることが多分殆ど無いだろう
ネットの社会では好みにあう情報をこれでもかと薦めてくる
そしてますます自分の親和性のある情報のみを正しいものと思い込んでしまう

人の感情は、得したときより損したときの方が心に残るが
同様に悪口のほうが褒めることよりも心に残る
週刊誌の新聞広告では悪口は圧倒的な存在感を発揮している

いろんな意見、考え方があるのは人が違うから当たり前のことだ
しかし、だからといって根拠なく悪意のある考えを口にするとか
他人を扇動するようなことは良いとは思えない
仮にそういう悪魔のささやきが個人の中に生まれても
それを抑える自制心というのが人にはあるはずだと思いたい

ところが今の世の中は、どこがどう間違ったのか
悪意をもったメッセージが異様に多い気がする

天候と同じように変だな!と思うことはこのこと
もう少し当たり前の世の中にならないかな、、と切に思う



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アメリカ人の気持ちはわからないが、、

2024年11月07日 09時36分36秒 | まとまらない話

アメリカ大統領選は思いのほか短期でトランプさん勝利で決着がついた
投票行動が感情とか意志の現れとするなら、外から見ているだけの自分は
アメリカ人の気持ちがわかるとは言えない
そこをわからずしてあれこれ批評するのは余計なお世話だろうが
それでも気なるので、日本のこれからの参考になればと少し考えてみる

よく言われるのが白人労働者の現状が30年前と比べて悲惨な状態ということ
その原因が不法移民の人々が安い労働賃金で彼らの職場を奪ったということ
だから、まずは不法移民を無くせ、、そのためには、、といろんな手段を考える
だが、そもそも企業経営は経費を安く抑えてモノを売るというのが常套手段
移民を(怪しい移民と感じていても)雇用するのは雇用する企業の必要性からと思われる

日本でも3K現場とかコンビニ、飲食店の店員さんは外国人の姿をよく見かける
それは彼らが日本人の職場を奪ったというより、彼らがいないと回っていかない
というのが現実のようだ
つまりは移民に対しこういう需要があって、この状態になっている
ということでいるのではないだろうか(アメリカの場合は企業経営の理屈から)

一見トランプさんは労働者の味方のようなイメージを演出しているが
彼は法人税の減税、高所得者の減税を訴えていて、それは従来の共和党の方針だ
彼は彼の立場の人間を護ることに心血を注ぐことになる

トランプさんのアメリカ人を鼓舞するMAGAは、
実はプーチンとか習近平の大国主義と似たようなものではないだろうか
アメリカの全世界における位置が低下しているのは現実だが(だからこそMAGA)
現在の世界は数年前出版された「文明の衝突」ハンチントンで紹介された
状況になっているのではないか

日本製鉄のアメリカのUSスチールの買収計画
カナダの企業のセブンイレブンの企業買収計画は
資本主義が進めばどの国に限らず必然的に起こり得る状況のようだが
これは感情が受け付けないことがある
イデオロギーよりアイデンティティ、ナショナリティが優先するのが現実のようだ
日本でも「日本凄い!」のオンパレードはその感情を揺さぶるのだろう

トランプさんは前期、イスラエルの在米大使館をテルアビブからエルサレムに移転した
アメリカの法的には、そうすべきところを長らく保留状態になっていたのを
エイヤッと実行しただけだが、長らくほったらかしになっていたのにも理由がある
それは1967年の第三次中東戦争でイスラエルがエルサレムの地を獲得したことを
アメリカが公認することになるとの恐れからだ
つまりは今起きているイスラエルの問題は、トランプさんはよりイスラエル寄りの
判断をするから解決への道は遠そうな不安が浮かぶ

それにしても今年は選挙の年だ
国内では都知事選、先日あったばかりの衆議院選、近くの自治体では豊橋市長選
名古屋市市長選、そして日本中の話題になっている兵庫県知事選
でもそれら全てが問題を抱えているし、既に行われたものでは
特異な現象が現れて、世の中の秩序自体が破壊されつつあるような気分にもなった

アメリカの分断、それはアメリカだけでなく、全世界に起きているのかもしれないと思う
それを加速化したのがSNSと判断されるかもしれないが
その前に人があまりモノを考えなくなっていることも影響している気がする

と、考えると暗い気分になりそうだが、とりあえず不満でも不平でも表に出して
社会に対してなにか少しでも参考になればと思う

いつものまとまらない話

※再読候補に「文明の衝突」サミュエル・ハンチントンが頭に浮かんだ
 あるはずと思った本は売ったか、貸したかで今は手元にはない
 どうやら市の図書館にはありそうなので、今読んでいるのが一段落したら
    挑戦するつもり

 

 




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「103万円の壁」からいろいろ思うこと

2024年11月06日 09時56分43秒 | あれこれ考えること

税金についての通知が来ても、細々と面倒くさいことが書かれていて
結局のところ何がなんだかわからない
要は国は税金を取り上げるということだろう、、
と開き直ってしっかり読まずに済ませている

ところが俄に注目になっているのが103万円の壁
言葉は知っているが自分には関係ない?
とあまり突っ込んで考えることはなかった
(いい歳をしてこれで良いんだろうか?とも思うが)

そこで、X(旧ツイッター)などにあふれる情報から
自分なりにあれこれ整理してみると、これはあちこちに影響して
思いのほか難しい問題だと思うようになった

そもそも103万円とは、基礎控除48万円と給与所得控除の55万円
をプラスした数字で、このうち基礎控除は、年収額に応じて定められた控除額を
給与所得から差し引くことで、課税所得と税額を抑え、
納税者やその家族の生活を守るために必要な最低限の収入を
確保することを目的としている
また給与所得控除は1625000円までは55万円となっている
つまりは、生きていくのに必要な金額からは税金を徴収しないという考え方と思われる

103万円を上げる上げないという問題は、何年間も変わっていない問題もあるが
そもそも物価高で実質賃金が下がる中で、これらの数字が現実的に
生活を護るための最低限の数字なのか?が人として問われると思う

国のお金を徴収する法律とかシステムは多方面から成り立っていて
税金の問題だけでは手取りの年収の問題は解決しないようで
逢坂誠二さんのブログによると年収は
106万円の壁:一定の条件の場合、社会保険料が発生
130万円の壁:社会保険料が発生
150万円の壁:配偶者特別控除の減少が発生
201万円の壁:配偶者特別控除が受けられない
があると解説している

気をつけないといけないのは、税金は引きあがったところまで取られないとしても
税金とは違った扱い(概念)の社会保険料は新たに発生するから個人の年収は
そんなに増えないかもしれない、、と思われること

その他にも、例えば学生さん家族が学生さんを扶養家族としている場合には
学生さんがアルバイトをガッチリして自分の手元にはいる金額が増え
その数字が限度を超えると親は扶養家族と認められなくなって
親に税金が増えてしまうということが発生する
すると仕送りをしていた親はダメージを負うことになる

なんだか得しているのか?していないのか?
つまりは広い視野をもってあらゆることを考えながら選択しないと
空気にのってエイヤッとするのは危険だと思われる

国は103万円の壁をなくすと国と地方の税収入は合わせて7兆円ほど減ることになる
と計算して、この減額分の事業はできなくなってしまう可能性がある
と不安を口にしている
だが、そもそも国のこの指摘が信用できる考え方なのか?

これらの指摘に対し、103万円の壁を超えよう提案する人々はある仮定
(増えた収入は消費に向かい税の減少はそんなにない!とか
 使い切っていないお金(予備費とか)が毎年あるから事業が滞ることはさほどない)
を提示して不安は無いとしている

正直なところ、な~んも考えていなかった自分は
この問題がどの着地点がいいのかはわからない
ただ、言えることは問題はいろんなことに関わっているから
一視点だけで判断するのはよろしくないと実感した

そしてこうした問題は、おそらくすべてをスッキリ解決する手段はなくて
何を選んだとしてもどこかに不満が残るものになると想像する
それは多数決によるものとしても、正しい正しくないというよりは
人々の一種の覚悟の選択だと思う

だからこそ難しい選択は優れた人間性をもった人々に行ってもらいたいが
現実は、お金にルーズな虚栄心と権力欲に満ちた人々の手で行われるのを
見ると、落ちこんでしまいそうになる

それもまた社会!なのかもしれないが
それでも力のない庶民にできることは何があるのだろうと?
まだ諦めの境地になっていない自分は腐りながらいろいろ想像してしまう

それにしても、世の中にはわからないことが沢山あるものだ





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再読の候補は、、

2024年11月05日 09時18分27秒 | 

再読しようと思い、思い出しながら読んでいるのが
シュンペーターの「資本主義、社会主義、民主主義」

この人は実際に政治・経済の現場に携わった人で、抽象的な概念に振り回されることはなく
実感を込めて話が進められているので思いのほかわかりやすい

カラオケに行くと、他人の歌を聞いているより次に自分が何を歌うか
曲探しに忙しいことがあるが、今はそんな状態だ
次にどんな本を読むかが頭に浮かんで仕方ない

候補にあがって同時進行で読み初めたのがハンナ・アーレントの「責任と判断」

この本は付箋がつけてあったので、とりあえずそこから読むことにした

流石に付箋のある部分は面白い
だがそこだけでは内容の把握は困難なので、少し前のページから読むことになる
残念なのは付箋の部分をあまり覚えていないことだが
それにいちいち落ちこんでいては仕方ない

再読の本が思いのほか面白かったので、次はと、つい気が急いてしまうが
面白かったという記憶があったこの本が候補にあがる

これは大学の講義をまとめたもので、「監獄の誕生」よりも思考の過程がわかり
理解しやすい
これを読み終えた時、面白かったのでこのシリーズを続けて読もうとしたら
この本はそれほど在庫がなくて、中古があっても高価な金額になっていた
残念ながら市の図書館にはない

とまあ、こうして挙げてみると変な本に今は興味が向かっているかもしれない
硬い本ばっかりなので、物語を欲する気持ちも少し湧いてきている

アマゾンでほしいものリストに登録したのは
ヨン・フォッセの「三部作【トリロギーエン】」と「朝と夕」
なにやら幻想的な物語らしい
だが、この候補も一般的ではないかもしれない

よく「人は食べたものでできている」と言われるが
「人は読んだものでできている」というのもありだと思う


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積読本、再読本などについて

2024年11月04日 09時19分24秒 | 

気力とか忍耐力とか、その他にもある程度の知識が必要な読書
大威張りで趣味は読書とまでは言えないが本は好きだ
気に入った本と出会った時はワクワクして
最終ページに行くのがもったいない気さえする

ベストセラーを読むタイプではなく、その時の自分の中心課題とか
目にして気になったものを選んで読むが
それは一般的な選択とは言えない変な本が並ぶ
(人の本棚を覗くとその人の性格がわかるという話がある)

アマゾンのお勧め本は確かにポイントをついて推奨するので
無駄はないが、それでもそれ故に時には反抗したくなる
時には本屋に行くのはいい刺激になる
本屋でいつも思うのは、人はなんといろんなことを考える生き物だな
ということ
それは驚きとともに呆れるほどだ

昨年は植物絡み、今年は枕草子関係と資本主義、社会主義関係が
関心の対象になっている
本は多少の知識が無いと消化できない
だから再読すると、以前読んだときには見過ごしてしまったことが
知識を得た後は切実に訴えてくるといいことはある
現在再読中のシュンペーターの「資本主義、社会主義、民主主義」は
「超訳資本論」を読んだ後なので、前に読んだときとは心に訴えるものが違う
ただ、この本はもう一回読まねば!
と思っていたことは、つくづく正解だったと思う

と言っても、勢い込んで購入した本もある
それは積読という形になる
今は「花と龍」「神の代理人」「普通の人々」「権威主義の誘惑」が積読状態の本だ

昔は読み終えてからでないと新しい本は購入しなかった
読む終えられないのがなんだか悔しくて
とにかく最後のページまで行くことに必死だった

だが最近は、読み終えられなくても良いや、、とも思えるようになり
そのせいで、積読本は増えていくことになった

この積読本について昨日の中日新聞の読書蘭にこんな記事があった

この批評欄の最後の部分が素晴らしい
「本は冊という単位で考えるべきではない
本はあらゆる本、あらゆるページと、瞬時のうちに連結しては
また離れるということを繰り返している」
一冊にパッケージされているようで、実は世界と無限につながっている
僕たちが読んでいるのは、その無限に広がる網の一部なのである

なるほど、読書体験は滔々と流れる時間経過の一部分で
それは明らかに社会にも、個人の生き方にも
そして今後についても関与していると実感する

フト思いついたが、今後(来年)は再読を中心に読んでみるのも悪くないかも
その候補の本を選択する過程もなんだか面白そうだ


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真の勝利者は多くの感情を経験したサポーター

2024年11月03日 09時35分04秒 | サッカー

日曜日、どんな話題にしようかと迷ったがお気楽な方にする

昨日のサッカー、ルヴァンカップの決勝戦 グランパス対アルビレックスの試合は
国立競技場に悪天候にもかかわらず6万人以上の観客(サポーター)を集めて行われた
連日テレビ放送される野球に比べてサッカー界は一部のマニアに支えられて寂しい限りだが
この試合、いろいろ思うところがあった

試合は前半グランパスが2点先行したが、2−0の試合ではで負けてるほうが1点入ると
すっかり流れが変わる典型的なゲームで、アディショナルタイムにアルビレックスが
しぶとく同点に持ち込む

延長線でもグランパスが前半先行するが、またもやアルビレックスが同点に持ち込む
結局、PK戦となってグランパス5−4アルビレックスでグランパスの勝ちとなった

この試合は熱戦ではあったが高いレベルの試合ではなかった印象が残った
それは肝心なシュートのまずさ、いつも気になっているゴールの上を通過するものが
相変わらず多かったこと
そして縦に出すパスの質もイマイチだったこと
これは久保の属するラ・リーガの試合を見て比較すると圧倒的に劣っている

日本全体として取り組むべきはシュートの質をあげることで
いつまでもシュートセンスの一言で済ませてはいけないと思う
(もちろん、シュートセンスのあるひとは必要だが)

この試合、真の勝者は会場に出かけたサポーターではないだろうか
特に新潟のサポーターは、120分の間に目まぐるしい感情の揺れを覚えたようだ
グランパスが先行してハーフタイムに入った時、テレビカメラは新潟のサポーターを写した
その中である女性はもう涙を浮かべていた
点が入らないサッカーにおいては2点差は絶望的と思い
新潟の初栄冠を望んで足を運んだことが報われないと思い込んでいるような表情だった

ところが、この試合新潟が頑張ったというよりは勝負の神様は粋な計らいをした
印象としてはグランパスのほうが一日の長がある印象だったが
勝負事としてはサポーターに味方し二度同点に追いつく状況をプレゼントした

この試合を眼の前で応援したアルビレックスのサポーターは
1点返したことで絶望から歓喜へ、しかし時間内に追いつけるかハラハラした気持ち
時間経過がものすごく速く感じる焦り、そして同点で終えたときのホッとした感じ

延長線ではまた1点先行されて失望、絶望感に陥ったと思えば
またもや同点に追いつく喜び
そして勢いは自分たちにあると思う希望
だが、それは叶わなかったという失望感

短い間に行ったり来たりの感情の揺れは、そう滅多に味わうことのできる経験ではない
そしてこの感情の揺れの経験は、最終的には「面白かった」
の一言で総括できるのではないだろうか

負けたのは悔しい
今度勝つためには何が必要かをサポーターの時点でも考える
そして、それは「もう一度こんな感情が揺れ動く経験をしたい」
と実感したのではないだろうか

ということで、本当に幸せだったのは勝ちでランゲラックの有終の美を
実現できたグランパスのサポーター
悔しいけど、めったに味わうことのできない感情の揺れ動く経験をした
アルビレックスのサポーター
それが一番の勝利者だった気がする


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背景知識の差が「嘘」か「ホント」かを決める

2024年11月02日 09時43分06秒 | あれこれ考えること

最近はネット(Youtube)を活用して選挙の投票に結びつけようとする人(団体)が多くなっている
少し前は都知事選の石丸氏、今回は急な露出量の多い国民民主党や玉木さんが目に付く
不思議に思ったのは、急増の露出量だけでなくそこに登場するコメントが言い回しとか
全面肯定の姿勢がみんなとても似通っているいることだ(まるで一人何役をしているかのように)
賛意を表す人が多いとしても、もう少し違うトーンも混じるのが普通だと思える

だからコメントは多くの個人の思いの発露というよりは
ある目的をもった集団とか個人が、そう考える数が多いということを普通の人に伝え
世論作成に少数者が利用しているのではないかと思う
(それがネット利用ということなのだろうが)
そのYoutubeチャンネル(国民民主党絡み)の管理者を調べようとしたら
どうもはっきりしたことはわからない(自分の調べ方が稚拙なのだろうか)

賛成・反対のコメントが入り交じるのが小川淳也氏のYoutubeで
否定的なコメントを削除しないのは「それもまた社会」とする小川さんの姿勢の現れだが
否定的な意見はやはり版で押したような表現や認識が多い
(ここでもある集団が関与しているか?)

話は変わって「嘘も100回言えば真実になる」という言葉がある
プロパガンダとか世論作成に携わる人にはおなじみの概念だが
これは本当か?を調べた研究があるそうだ

それによれば、何も知らない人に対して嘘の混じったメッセージを数多く送ると
上記の言葉通りの結果が現れるが、経験とか知識でいろんなことを知っている人は
自分の価値判断がベースになるので、数多く嘘のメッセージを送られても
信じないという傾向があるそうだ

つまりは個人の背景知識の差が正誤の判断に関係するということだ
だからこそ、人は多くのことを正確に知らなければならないということになるが
これは思いのほか難しい

それは、多くのことを知っている人が(例えば政治的・社会的なことについて)、
その知っていることを、知らない人に話すと「話が長い、分かりづらい」とウザがられ
あるときは上から目線からだ!と嫌われるのは残念ながら事実だからだ
(その態度は反知性主義的と思うが、この反知性主義のパワーは案外大きい)

たとえ嘘でも簡単なフレーズの切り抜きのような言葉をありがたがるのが最近の日本で
だからこそ、簡単に騙されてしまうとなるのだが
問題は当人たちは騙されていると思っていないことだ

イギリスのユーロ離脱の可否を問う国民投票でも、判断の根拠となる情報には
嘘がかなり混じっていたそうだ
それを信じて、後になってしまったと思った人が少なからずいたそうだ
同様なことがアメリカの大統領選でもあるようだ
(アメリカでも反知性主義が大きな顔をしているらしい)

背景知識を増やすには、自分は本が好きなので読書はいい方法と思う
世の中は読書離れが進んでいると言われるが
最近は小学校で始業前などの朝の読書の試みが広まって
それで読書の面白さを感じた子どもの読書時間は増えているらしい

何かが変わるには時間がかかる
とりあえず、こうした子どもが多くなって簡単に騙されないようになって欲しいものだ


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選挙結果は「よかった」とする人が58%だそうだ

2024年11月01日 09時37分42秒 | あれこれ考えること

NNNと読売新聞が行った緊急の世論調査では、今回の選挙結果について
「よかった」と答えた人は58%。「よくなかった」は25%と報じている
また、「政治とカネ」の問題が選挙の結果に影響したと思うかには
「思う」が90%で、有権者は選挙前は経済政策が重視すると言いながらも
現実的には、この問題は決め手になっているようだ

考えてみれば裏金を不記載と言い換えても、国会議員の行動は
手続きがきちんとなされていることで正当性が確保されているが
記載ミスとしても自らの正当性を確保する行為ができないというのは
肝心な採決の際にそういう(誘惑に負けそうな)人間性の判断は
信用できるのかとも問題につながる

国会議員は脱税まがいなことをしているから腹が立つというよりは
こんな些細なことも出来ない人物は失格!といった感情が
形になった気がする(個人的には)

また連立政権に国民民主党が加わることには「反対」が51%、「賛成」は25%だそうだ
この世論結果は何らの影響はあるのだろうか(ないだろうな)

結果が良かった!とする人の具体的な意志は一体なんだろう
それは言語化でき説明できる内容というよりは
なんとなく漠然と良かったといったところではないだろうか

良かった一つは、専門家によれば国会運営が与党の好き勝手にできない
(委員会の委員長の選出、野党の議案提案権の発生)ことがあるそうだ
確かにこれまでの委員会では野党の要請に対して「後日理事会で考慮します」の
委員長の一言があっても、現実的には与党の数の力で?
ほどんど無視されていたが、今後はそれはなくなりそうな感じらしい

ところで個人的に良かったと思えることは
落ちて欲しい人物がそれなりに落ちていることと
国会でいつも内容の濃い質問そしていた人が当選したこと

意外だったのは、今回の選挙のMVPだった共産党の数字が
全く奮わなかったこと
現実世界では共産党も党員が高齢化しているようだし
何かがネックになって報われないようだ
その理由を彼らはどのように分析するのだろうか?




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