気張ってみたものの本当に最後までいけるか自信がなかったプルーストの「失われた時を求めて」
と言っても5分の1に短縮されたヴァージョンだ
読み始めたのが1月15日くらいで、読み終えたのが昨日の名古屋からの帰りの電車の中
約一月で読んだことになる
いや、読んでいない、とにかく最後のページまでたどり着いただけ、、という方が正確だ
なにしろ苦労した、ひとつのセンテンスが長いし劇的な事柄が起きるわけではなく
だらだらと頭に浮かんでくることを描写していて、おまけに登場人物の名前と地位とか覚えられない
いちいち気にしてると前に進まないので、得意の「ま、いいか!」で突っ走った
確かに単純に面白いとはいえない
しかし、何故かやめる気はしなかった
上の「祖母の病気と死」の章は、この小説の中で初めて感情的に揺さぶられた
客観的に愛する祖母の亡くなっていく様を書いているのだが、自分の祖母のことを思い出されて涙が出てきた
この時に多分決心した「最後まで読もう!」と
一冊目をようやく読み終えると、二冊目は文体に慣れたせいもあるかもしれないが今度はそんな苦労しなかった
内容もとちょっと下世話な話になって同性愛だとか、恋人に飽きて別れようとするが先を越されて何処かに旅立たれると
やたらと口惜しくて諦めきれない感情になっていく細かな気持ちの揺れはとてもリアルで気持ちにフィットしてきたが
ふとこの様に自分の気持ちにフィットし始めたのは小説が終局に向かってドラマティックになっているせいではなく
プルーストも年令を重ねて来た時期の作で、それが今の自分の年齢に抵抗感なくなったのかもしれないと思ったりした
この小説のタイトル「失われ時を求めて」の失われた時の考察がびっしりと書き込まれた「見出された時」の
「木よ」と「時を超えて」そして「一冊の本」はまさに長編小説の楽しみ真骨頂みたいなもの
今まで細々描写されていた事、エピソードや思い、風景が一気に回帰する
この効果はすごい、、そしてプルーストの本当に表現したかったこと、伝えたかったことがものすごい力で頭を襲ってくる
ところが、急に変なことが頭に浮かんだ
これはヘルマン・ヘッセの大好きな小説「シッダールタ」の最後の部分に何か似ている、、と
またサルトルの「嘔吐」にも似ている、それどころかメルロ=ポンティの「目と精神」にも似ている
その他にもゲーテの「ファウスト」の第二部「「止まれ、時よお前は美しい、、」(だったかな)に部分の気持ちにも似ている
ここまでくると連想は勝手に羽ばたいて音楽の分野にまで達した
ベートーヴェンの32番のピアノソナタの第2楽章の境地にも似ている、、
結局のところ人の達する境地というのは表現の方法は違うかもしないが、印象としてはどこか似たものになるのではないか
などと根拠のないことを思い浮かべたわけだが、何故かそれはそんなに違っていない気がしている
この「失われた時を求めて」は全体の5分の1の縮小版で、他の部分はどんなことが書かれているのか気になるが
さすがに今は全部読もうという気は起きてこない
その代わりにウキペディアでこの小説のことを復習している
すると、情けないことにこんなの小説のなかにあったかな、、と思われるようなところがあって(注目していなかったせいで?)
自分の読書力に自信を失うことになるが、、、
でも、ま、いいか!
今は縮小版でも最後まで行ったことで、自分で自分を褒めることにしよう