パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

徒然なるままに

2007年09月10日 22時24分04秒 | Weblog
安倍首相、また唐突にテロ特措法が延長できなければ
内閣総辞職の決意とか
しかし、たくさんん言葉の割には軽く聞こえるのは何故だろう
また記者の質問「責任を取るという事ですか?」にも
なんか訳の分からない事をゴタゴタ言った後に
「職にしがみつく気はない」の答え
一国の総理の会話力としてはおおいに疑問だ

舛添大臣、年金の横領、着服した者を
草の根をかき分けても探し出す決意と張り切っているが
そんな事、誰が大臣でもやるべき事じゃないのかな
彼だからできたり、するのではなく
大臣の責任とはそういうものだ
そして今、舛添氏に拍手喝采をしている(?)
マスコミも本来はもっと厳しく追及していって
不明瞭なことを暴きださなくては

サッカー親善試合オーストリア戦
相変わらずの得点力不足が気になるというより
中村俊が入るとテンポがのろくなる気がしてしまう
どうしても彼は従来の司令塔、ゲームメーカー的な事を
したがって、それはオシム監督の目指すサッカーとは
若干違っている様な気がする
ただ結果的には中村のプレーから得点やチャンスが生まれているので
オシム監督も頭が痛いだろう

それにしても、人間はどうしても好みがあって
公平にはなれないものだと
つくづくオシム監督を見て感じてしまう
そして人間は運によって大きく違ってくる
という当たり前の事実に改めて実感する次第だ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍首相は運が悪いのではない

2007年09月05日 21時25分04秒 | Weblog
呆れるくらい後から後から出てくる政治と金の問題
いい加減に国民の大半は、
政治家はみんな不正なことをやっている、
と実感したのではないだろうか

労災のたとえで、一人のけが人が出れば
10人のヒヤッとした経験を持つ人が存在する(?)
を適用すれば、まだまだ怪しい人物は
政党のいかんを問わず、残念ながら多く存在するだろう

安倍首相、周りに失言大臣や
見つかってしまった大臣を置いて
運が悪そう!
と見えるかもしれない
しかし、運が悪いのではなく
「類は友を呼ぶ」
と諺に従えば、彼がそんな運(人)を引き寄せているのだ

その人を見るには彼の友を見よ!
とすると、友とは言えないかもしれないが
側近の体たらくを見ると安倍さんも
どうなんだろう?
本当にこの人が日本の首相でいいのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当に景気は良くなっている?

2007年09月04日 21時40分43秒 | Weblog
 厚生労働省が3日発表した毎月勤労統計調査(速報)によると、
7月の全国の勤労者の現金給与総額は、前年同月比1・9%減の38万6446円と8か月連続で減少した
とのこと。

一方 財務省発表の2007年4―6月期の法人企業統計によると、
全産業の経常利益は、前年同期比12.0%増の16兆2396億円だった。
経常利益が前年同期を上回るのは20期連続で、
いざなぎ景気(1965―70年)の19期を超え過去最長となった。
全産業の売上高は3.3%増の360兆7826億円で、17期連続の増加

この事実は何を現しているか?
景気回復の一方、賃金の伸びが抑えられ、
回復の恩恵が企業から家計へなかなか広がらない実態が改めて浮き彫りになった
と、ある新聞紙は解説している

結局、外国人アナリストがいうように企業の利益が
一般人に還元されていない、という事ではないだろうか
いや、もっと極端な考え方をすれば
一般勤労者の負担、犠牲のもとに企業収益が
上がっていると言っていいのではないか

今は強いもの(企業)が、弱いものを
代わりは幾らでもいる!の脅しの言葉で
非常に厳しい条件で仕事を発注している
そして、厳しさは不公平にも発注側には蚊帳の外にいる

それは仕方のない事なのだろうか?

自分がどうしても納得できないのはこうした事だ

不公平さを伝え、問題視するように伝えるべきマスコミも
許認可を受けた事業の、選ばれた人々達なので
結局は自分たちに不利になる様な事は伝えない

とすれば、どうすればいいのか?

まずは知る事から始めなければならないだろう
そして、何かがおかしい!とか
簡単に辛抱したり、諦めてはいけない事柄があることを
多くの人が共通認識として持ち
それからその時点で考えうる解決策を模索するしかないのではないか!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神仏を尊び、神仏に頼らず

2007年09月01日 21時51分27秒 | Weblog
ブツブツ言う姿が明るくなくて、好きな人ではないが
言ってる事だけに注目してみると
案外洞察力に満ちている楽天、野村監督
(もっとも修羅場の数、経験も多いから
 彼より年下の者がえらそうなことを言うのは失礼かもしれないが)
そんな野村監督がポッと発した言葉に
「神仏を尊び、神仏に頼らず。宮本武蔵by吉川英治」
がある

自分も若い頃「宮本武蔵」を読んだ事があるので
そんなシーンがあったような記憶もないではない

吉岡一門との決戦に向かうときだったか
武蔵が近くにあった地蔵さんだったか、とにかくそういうものに
つい頼ろうとして向かったのだが、
フト自分の弱い心に気づき、このままでは
いつまでも何かに頼る人間になってしまう、と
武蔵は地蔵さんに背を向けて戦いに向かった
そんな状況だったように記憶している

実際のところ、言わんとする事はわかるけれど
どんな風にしても上手くいかないとき等
つい神仏に頼って(身を委ねて)しまいたくなるときがある
自分一人で心の整理をしたり、重大な判断をするのは
とても手に負えないみたいに感じられて
だれか自分以外の絶対と信じられる様なものから
指示とか命令とか安心の根拠が欲しくなってしまうのだ

端から見ていると
あんなものを信じて大金を使って馬鹿らしい
と思う様な事もいろいろあるけれど
頼るものが、それしかないとしたら
(例えば末期癌患者の癌封じの祈り等)
残念ながら人間は藁をもつかむ心境になってしまうだろう

実は、人ごとの話じゃなく、
今、自分はそんなピンチに陥っている
あまりにもよくない事が続きすぎて
お祓いでもしてもらわなければ
くらいの軽いものではあるのだが
それでも、それで安心が得られるのなら、
そして仮に上手くいったりするのなら
これも柔軟な考え方としては有りなのではないのか
とさえ思い始めている

普段なら、世の中はいい事も悪い事もあるさ
その一つ一つを自分でクリアしていかなければダメだ
くらいに思っているのだが、どうも弱気になっているらしく
何かに頼りたくなっている自分を感じる
しかし、その一方で、そんな風に乗り越えたとしても
自分で自分が褒められない、と批判する自分もいる

結局、多くの人々も同じ様な悩みを持っているに違いない
そして実は解決法はどちらでもよいかもしれない
ただ、本当の意味で自分を褒めてあげたい、と言える人は
それだけで尊敬に値しそうな気がするし
自分もそのようになりたいが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする