パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

敗者の映像

2016年08月18日 08時37分23秒 | 徒然なるままに

最後まで諦めないこと、
それが実証されたような女子レスリングの金メダル
(登坂・伊調・土性 3人共逆転勝ち) 

でも、へそ曲がりな自分はそのことを取り上げるのではなく
勝負が決した時の敗者の姿が気になった
登坂選手と戦ったアゼルバイジャンの選手の負けを実感せざるを得ない時の
魂の抜けたような、そして後悔がいつまでも残りそうな
頭のなかを何かがフラッシュバックしているに違いないような表情

人の表情に気力とか熱意とか思慮、思いやりが現れるものだが
それらが一時的とはいえ、消え去ったような瞬間
これも時のいたずらに身を委ねる人というものの宿命なのだろうが
人はそれほど強いものではないということの現れだ

敗者の写真で今も鮮明に覚えているのが2002年の日韓ワールド・カップの
ドイツ対ブラジルのゲームが終わった後の、
ドイツのGK オリバー・カーンのゴールポストを背に
放心したような虚ろな姿
一気に歳をとったような、それまでチームを支えてきた自分が
何故よりによって肝心な試合にミスをしてしまったか
自問自答しても答えが出ないような
いつまでも自分の十字架のようにフラッシュバックするであろう
ミスしたあのシーン

個人的には頑張って評価を上げている歴史上の人物より
何故か巡り合わせが悪くて少しばかり運の悪い人たちの方に
関心があるが(大津皇子、小栗忠順、土方歳三、村山タカなど)
オリンピックでもワクワクするような勝者だけでなく
何故か運悪く神様に微笑んでもらえなかった選手が気になる
それは日本だけでなく、どの国においても

その意味では、日本選手の喜んでいる映像だけでなく
放心している選手の姿も見たかった
(決して残酷な意味ではなく、彼ら彼女たちはどのように運命を受け入れるのか
と言った興味として)

ハリウッド映画のように失敗や敗戦が、次に挽回されるなどということは
簡単なことではない
時間の経過は若い人には実力のアップを、それなりの年齢の人には
体力低下をもたらす
勝負の神様のさじ加減は人智を超えている
その理不尽な結果にどうやって向かい合っていくか
挽回できる人はいい、でも挽回できないかもしれない多くの人たち
その人達にとって、挽回とは勝負の上のことではなく
最後の最後で人生を肯定的に考えられるかどうか
ではないか(少しロマンティックすぎるか?)

勝者だけにスポットを当てるのではなく
勝者を支え続けた人の行いを報道するだけでなく
勝負には必ず敗者がいて、
その人達がいなければそもそも勝負が成り立たないのだから
彼らにもリスペクトの気持ちを選手同士だけでなくメディアも
持たなければいけないんじゃないのかな

 

 


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