パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

孤独な音楽

2017年12月29日 09時12分43秒 | 音楽

年の最後(の方)に聞く音楽として最適かどうかはどうかは疑問だが
季節的にふさわしいクリスマス・オラトリオよりも聴きたくなったのが

バッハの「フーガの技法」
タイトルどおりバッハの作曲技術の対位法のフーガの集大成の音楽だ
この音楽は楽器の指定がされていないのでどんな編成の演奏もあるが
自分が持っていたのは、この写真のCDの他にヘルムート・ヴァルヒャの演奏するオルガンによるものがある
最近の気分はこちらの室内楽版に触手が動いた

CDの一枚目は弦楽器による演奏
2枚めになって木管楽器が入って少し音色が豊かになる
しかしなあ、、そこで連想とかいろいろ思いついたが、それは以前から感じていたことでもあった

この音楽はとても孤独感を感じる
テーマはどちらかと言えば同じように対位法の技術を発揮するバッハの「音楽の贈り物」のような
魅力的なメロディではなく、のちのちの発展の可能性を考えて作られたような旋律で
これをちょっと聴いただけでは良い(一般受けする)音楽とは思えない

そして、本当に久しぶりにこのCDを聴いて改めて感じるのが、バッハはこの曲を聴いてもらうことを考えて
作曲したのだろうかということ
これらの音楽を聴いて実感するのは、闇に向かって、または何もない空間に向かって1人でとても整然とした
秩序だった音楽空間を作り上げているということ
とんでもなく頭の良い人が、ありとあらゆる可能性やら秩序を考えながら、頭の中で思索したことを表現したものだが
これは一歩間違うとプロの人にしか理解されないような現代音楽に似ている
わかりやすい音楽だけが良いのではないし、人間の作り上げたものの技術的な完成度を考えるとこの音楽は
空前絶後のものかもしれないが、そして時には非常に魅力的に感じるが、それでも自分は時にこの孤独に耐えられなくなる
だからというわけでないが、バッハが一時期人々から忘れられていたとか支持されなくなったというのはわかる気がする

聴く人がいないかもしれない、でも、その中で孤独の作曲の作業をコツコツと続ける
この行為と似ているのがグレン・グールドの演奏するバッハの音楽だ
その集中力のすさまじい個性的な音楽は、解釈の多様性と言うよりは、演奏が呼び起こす孤独な心の風景が
聴く方にとって辛くて、安易に聴く気になれないでいる
グレン・グールドも聴く人という存在を考慮に入れず自分の為に、自分の思いついたことを、表現する(録音で)
彼が残した(ビートルズと同じような)録音としての作品群は、このメンタリティをより強調することになっている

何かしらすごいな、、と感じながら、少しつらいので聴けない孤独の音楽がバッハの一部の音楽とグレングールドの音楽
今は年齢を重ねたから以前よりも彼らの孤独感を理解できるような気がしないでもないが
それでも、かなり気分が安定していないと聴けない、、かな

でも、よく考えるとこの投稿も誰も見るとは限らずに好き勝手なことを書いているのだから
同じようなものか、、、


 


 

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