パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

面倒くさいのは、、、

2020年12月04日 08時46分10秒 | あれこれ考えること

地元のJCのメンバーが心細くなったある時、参加の呼びかけに使われたのが
「面倒くさいけど、面白い」があったそうだ
JCの活動は経験していないのでわからないが、話に聞くと予想に反して(?)
真面目なもので、メンバーにとって後々役立つ有効なものらしい
最初は面倒くさいだけだが、やってみると面白い
実感としてそういう思いに至る、、ことを表している

よく知ると面白いが、きっかけの部分で面倒臭くてかなわん!
ということはよくあることで、先日知人の会話にもそうした話が出てきた
その方は真面目な内容のブログを投稿している
ここであるような独断と偏見を避けて、客観的に物事を捉えている(そう意図している)
だがそうするためには、いろいろ調べなくてはならない(事実認定を両サイドから)
そしてその調べた内容をベースにした投稿は必然的に長くなる
この作業が面倒くさいので、仕事を持っている身には頻繁な投稿はなかなか難しいらしい
彼にとっては「面白いけど面倒くさい」というところだろうか

ところが他にも面倒くさいと思う人々がいる
それは読み手の方々だ
自分のもそうだが、長い説明とか文章を読むのは、物事をいちいち調べるのと同様に面倒くさい
何が言いたいのか端的に分かるようにして欲しい、、
と読んでいてイライラしそうな気持ちも分かる

そうなると、比較的多くの人々は自分自身での詳細な事実確認よりは
発信力のある人の断定的な発言を受け入れて、それを自分の考えとする方が楽だと考え
知らす知らずそうしている(と思われる)

最近の極端に走る傾向の多いSNS上の戦いとか、アメリカ大統領選の日本国内での論争とか
愛知県知事のリコール問題とか、その他、我が市のゴタゴタも本質的な詳細の事実確認よりは
勢いに乗ったわかりやすい断定のために起きてしまっていることのように思われる
そして単純化された断定は感情的な要素が極めて多いのではないか

この感情の占める割合を低くして理性で物事を判断するのが民主主義の本道(大きく出たな!)
とされているが、どうもこの理性だけに特化した考え方も不完全ではないか、、との考え方もあるようだ
考えてみれば理性で判断する前に、何か感覚で危険とか怪しいと感じることはある
それを無意識・潜在的な能力の発露というか「ファスト&ロー」という本の「ファスト」の判断によるのか
いろんな言い方があるようだが、どうも理性だけでの判断は完全ではなさそう

しかしそれでも頼るのは理性の部分としたほうが一般化しやすい
(感情とか直感は個人差が激しすぎるので)
だがその理性による判断をするには面倒という心理的負担が伴う

どうやら情報の伝達は、案外いい加減なところで自分勝手に自分好みに行われていると思われる
この時生じる捉え方、意見の違いを、どうすれば解消できるか、、となるのだが
結局のところ、面倒な過程を踏まないと解消できそうに無い気もする
つくづく面倒くさい、、というのは厄介なものだ
(面倒くさいを解消するために家電がいろいろ進化したのだから、
 面倒ということは全面的に悪いことではないかもしれないが)

ところで実生活では
ちゃんと部屋をきれいにしておきなさい!
と言われるが、面倒くさいので、、、ついつい、、
(面倒くさいは口癖のようになっているかも)


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