いつの間にか「母の日」「父の日」と「敬老の日」のどちらがふさわしいのか?
と思えるようになってきた
その3つは以前は自分が何かをする日だったのが、いつのまにかされる側になりつつある
生きていれば当たり前のようにやってくるこうした出来事も振り返ると
情けないが「(人生は)こんなものか?」と思えてしまう
きっとそんな感じは自分だけでなく、多くの故人も覚えたに違いない
なにか強烈な目的と達成意欲に駆られた人は、その実績をもって自己評価できるかもしれない
だが、毎日を歳とともに「昨日あったことが今日もある」ことの大切さを覚えるようになると
大きな変化は好ましくないように思えることもある
年齢を重ねると保守的になると言われるが、それがこの意味なら理解できる
しかし、年齢を重ねると他人への共感・同情の意識も強くなり、涙もろくもなる
そのために、現在進行系で進む不公平に対しては怒りも覚える
変わらぬことが良い、不公平は早急に変えるべきだの2つの思い
この2つは個人の意識の意識の中で知らずしらず戦う
あるときは正義感が表に出て、あるときは怠惰な面も出て
多分、人はみんなその両面を持っているに違いない
問題は肝心な時にそのどちらの面が表に出るか、、ということで
個人的には流される人にはなりたくない、、という意識が今のところは強い
しかしその分、面倒くさいやつ、、ということになりそうだが、それは仕方ない
おそらく、最後の最後まで迷うだろうな
時よ止まれ、お前は美しい などという境地にはなれないと思う
ま、いいか
ちょっとした個人的な思い(いつものことだが)