パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

誰かがやってくれる?

2020年09月04日 06時23分02秒 | あれこれ考えること

先日読んだ本の中に、本質とは関係ないかもしれないが
以下のような報告があった

1964年ニューヨークで起きた事件
帰宅途中の女性会社員が自宅アパートの側で暴漢に襲われ、ナイフで刺されてしまった
彼女はその後もバッグを持って必死で逃げ回ったが、犯人は追いかけてバッグを奪い、彼女は結局アパートの中庭で力尽きて殺されてしまった
このアパートでは、30名にも及ぶ住民が、およそ20分にもわたって、彼女の悲鳴を聞いていた
中には窓から一部始終を見ている住民もいた
ところが誰一人として警察には通報しなかった
というのは、 全員が警察と関わり合いたくなかったばかりか、どうせ誰かが警察に連絡しているに違いないと思いこんでいたからです。

自分が気になったのは、「どうせ誰かが警察に連絡しているに違いない」と思い込んで
個人としては具体的に行動しない人が多かったこと
いろいろ経験を振り返ってみると、「誰かがやってくれる」というのは、確率的に高くはないと思う
特に政治的な問題とか社会的な行動については、ついつい「誰かがやってくれる」と思いたがるが
現実にはその「誰か」はなかなか現れない
仮にやってくれる人がいるとしたら、なんらかの形でその人の利益に繋がっている人ではないだろうか
そこまで悲観的に見る必要はないかもしれないが、「誰かがやってくれる」を期待するのは
割合非現実的なこととも言える

だから人はモノゴトに対して倫理的にも自覚を持って自ら行動すべき、、、
との結論が出てきそうだし、それを社会的にも要求されそうだ
(無関心はいけないとか投票にいかないのはいけないとか)
しかし、これらの(行動しなかった)人を非人間的などと即座に批判はできない面もある
なぜなら自分もついついやってしまいそうなことだからだ

ところが世の中は色んな人がいるので、先のアメリカの例では同じ状況でも今度は
警察に連絡する人が何人もいて、警察が混乱する、、などということも
起きるかもしれないし、そう思いたい

どうせ誰かが連絡してるに違いない、、と判断し行動しない世界
一方、警察が混乱するくらい多くの人から連絡が来る世界
どうせなら、後者の世界のほうが住みやすそうだ

あまり真面目に考えすぎないところで、
塩梅よくモノゴトが進んで行けば良いのだけれど、、、

 

 

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