パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「朗読者」

2018年09月15日 08時17分32秒 | 

寝転がって読んでいても背中に汗をかくこともなくなって、最近は読書モードになっている
図書館から借りてきたのはゲーテの「ファウスト」池内紀訳、福永武彦「海市」
それからベルンハルト・シュリンクの「朗読者」
この年齢になっても心に痛みを感じることがあることに、ホッとしたり情けなく思ったりする

「朗読者」は最近の自分の関心事、ナチ時代のことが書かれていることを知って読み始めた

一人称の、どこかカズオ・イシグロを感じさせる文体は最初から気に入った
官能的な部分も「海市」よりはこちらのほうが、リアリティがあるような印象をもった

15歳の時、少年は(坊やは)36歳の女性と知り合い、知ってしまえば理性で抜けきれない関係になった
その彼女は坊やに本を読んでもらうことが習慣になり、その前後にことに及んだ
しかしある日突然彼女は彼の元を去った

何年か後に彼は彼女を見つける
しかもとんでもないところで
そこは法廷、大学のゼミで取り上げられ、主人公が研究対象として傍聴した強制収容所をめぐる裁判の被告として
ここからの話はネタバレになるので、ここまで

ナチスに関連するこの手のことは、アイヒマンの例を含め、
あの時の状況下で人はどのような行動を取ることができたかに集約される
命令に従っただけ、感覚は麻痺し、自分はそのようにするしかなかった、、と
裁判の場面で彼女は「あなただったらどうしましたか?」と裁判長に尋ねるシーンがある
それは答えにくい問題で、裁判長の心象を害することになる

小説のタイトル「朗読書」の意味は後半の部分で納得がいくようになる

ある人はこの本を二度読まれること薦めている
すべてを知ってからの彼女(ハンナ)の行動をたどってみると
何故彼女がそのような行動をとったのかがリアルタイムで理解できる

あの時、何ができたか、できなかったかは
アイヒマン、ゲッベルスの秘書、そしてこの本のハンナの立場にならないと
本当はわからないのかもしれない
だがそう言ってしまえば、裁判の(あるいは善悪の)結論は出せなくなってしまうので、
どこかで人間はこうあるべきとの総合判断を下すことにして、安心しようとする人間がいる

その状況になってしまうと、人はまともな判断ができなくなってしまう
残念ながらこれは大半の人が抜けきれない傾向
その上で、これらの歴史から学ぶことがあるとすれば、そのような状況を作らないことが一番と思われる
例えば戦争が始まってしまったら、戦争反対は叫びにくい
公共工事の無駄な事業もいざ始まってしまうと、中止はやはり訴えにくい
だから、その前に、戦争が始まる前に、工事の決定がでる前にとことん議論なり反対活動をしなければならない

ところで、この本は何年か前にベストセラーとなり映画化もされたようだ
その時の邦題が「愛を読むひと」(第81回アカデミー賞でケイト・ウィンスレットが主演女優賞受賞)
だがこの映画は見ていない
正直なところ、自分は「朗読者」のタイトルならば見に行ったかもしれない
何か秘密がありそうな、想像力を刺激されるようで
でも「愛を読むひと」のタイトルでは、触手が動かない(なかった)し、
どこか違うぞと言う感覚が強い(映画の捉え方がどうだったか知らないが)

ということで、いつものようにあっちこっちに話が飛んだが、この「朗読者」は
今年の三冊の中に入るかもしれない

コメント
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