パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

正しい人が怖い

2010年11月02日 22時19分24秒 | Weblog
ひところTwitterで話題になったことば
正確には忘れてしまったが、言わんとすることはわかる気がする

目標は高く持て、
責任はすべて自分にある、上手くいかないのは社会のせいではない
結果が出ない努力は本当の努力ではない等など
これらはいわゆる正しい人の言葉

これらは公には正しいコメントかもしれない
ただそれをすべて受け入れてしまうと
人は正常な精神を保つことができるだろうか?

この時代の変革期に上手くいかないのは自分の所為
とトコトン追いつめていっていいものだろうか?

人間は一人一人で生きていく基礎的な力をつけるべき
そのためには人のことよりまず自分を鍛えて、努力して、偉くなって、儲けて、、、
ところが自分だけのことを考えて行動すると全体としては効率が悪い
今見られる姿は実はこんなところではないのか?

人間はそんなにまじめになれない
夏休みの最後の一日
泣きそうになって宿題をやった人間が世の中には五万といる
毎日きちんとやっておけば後でバタバタしないのも分かっている
しかし、できない

人間、ホントはこんなもんじゃないのか?
それでいいんじゃないのか?

頑張れる人は頑張る
そして、そういう人は尊敬に値する
しかし、世の中にそんな人ばかりだと住みにくい

パパゲーノや、寅さんや、落語の見栄っ張り大家さん
そうした人たちがたいして努力しなくても
なんだか生きていける世の中

つまり努力した人だけが報われるのではなく
多くのいい加減なひとも
それなりの感情豊かな生活ができるのが一番と思うのだが
いまは正しい人の反論しがたい言葉が幅を効かせている

なんだかなあ
不真面目を強要するわけではないが
あまりにも大上段から振りかぶられると
どこか胡散臭いし、嘘っぽい
と感じるのは世の中を斜めから眺めすぎ?
コメント
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