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DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

ヒマラヤで眠る友に寄せて-3

2013-04-13 09:33:37 | ButsuButsu
3.コカコーラ街道

翌12月30日、8時50分にトウクチェを出発。

広い河原を、相変わらず化石を探しながら下っていく。

10時20分、ラルジュン村に到着。

この村を過ぎたあたりで、ダウラギリが見えた。

ヒマラヤの山はいいな。

熊谷はふとそう思った。

12時35分に、カロパニ村に到着。

14時まで腰を落ち着けて、ゆっくりとした昼食を取った。

ネパールの人は、1日2食しか食べない。

二人が雇ったポーターも、朝10時ころに朝食を食べると、さっさと出かけてしまう。

一本道のうえ、行き先がわかっているので、煩わしい日本人に付き合うより自分の時間で荷物を運ぶのが楽なのだろう。

カリガンダキ沿いの街道は、別名、コカコーラ街道と言われると門田が言った。

どこでもコカコーラだけには不自由しない。

おそらく、それはネパール中どこでもそうなのだろうと、熊谷は思ってしまう。

いや、今や世界中コカコーラであふれ返っているんだ、などとたわいもない事を考えてしまった。

このことは、後年、熊谷がモンゴルを訪ねたときに間違っていたことがわかった。

モンゴルの田舎には、コカコーラさえなかった。

それだけ、ネパールが欧米文化に俗化しているということなのか。

16時10分、ガーサのホテルに着いた。

この辺は針葉樹が豊かで、まるで上高地に来たようだ。

いよいよ大晦日の日となった。

12月31日8時30分にガーサを発つ。

今日は、一番短い行程である。

美しく着飾ったロバたちに一杯の荷物をつんで運ぶネパールの商人たちと、狭い山路をすれ違いながら少しずつくだっていく。



9時50分、カブレの村に到着。村はずれのルプツェ・チャハラの滝で30分ほど休憩する。

1994年最後の日を、門田と熊谷は、思い切り贅沢に過ごした。

それは、ゆっくりとした時間の流れを楽しむという、最高の贅沢だった。

ヒマラヤに来てまで焦ってもしょうがないじゃないか。

日本で仕事に追われつづけていた熊谷は、そう自分に言い聞かせた。

10時20分、カブレを発ち、11時40分にはダナの村に着いた。

ここで、昼食を取る。

12時40分、ダナを出発すると、わずか1時間で今日の宿泊地であるタトパニに着いた。

この日は、3時間40分しか歩かなかった。

毎日目一杯、走るように山道を歩いていた山歩会の頃のハードな山行とは大違いだった。

タトパニというのは、ネパール語で「熱い水」という意味である。



この地は温泉があり、気温も高いようで、ホテルの隣には八朔のように大きなレモンがたわわになっていた。



タトパニはこのあたりの中心地で、電気もひかれていた。

宿に荷物を預けると、門田は熊谷を温泉に誘った。

電信柱が立ち並ぶ石畳の路を外れてカリガンダキの河原に降り立つと、そこには共同の温泉場がある。

温泉は露天風呂で、門田が持参した水着を着て入る。

ちょっと狭いが温水プールのようなものだ。

「あれ、藤村さんだ」、突然、温泉の湯気の中から門田が叫んだ。

そういえば、山歩会出身の女性が、ポカラからトレッキングにやってくるはずだと、道すがら門田が言っていたことを熊谷は思い出した。

藤村さんと呼ばれたスリムで日焼けした若い女性が、ネパール人のガイドを連れて、門田に会いに温泉場までやってきたのだ。

「こんにちは」と二人に向かって親しげに声をかけてきてくれた藤村と、熊谷は初対面だった。

同じ山歩会でも、二人の間にはずいぶん年の差があって、門田の紹介がなかったら、お互い話かけることもなかっただろう。

今は別々の組織に所属する世代の異なった3人が、ネパールの山間の小さな温泉場でめぐり合うなんて、人と人との出会いは不思議なものだ。

その夜、門田、藤村、熊谷の3人は一緒に1994年最後の夕食を食べた。

「その格好でお好み焼きの屋台をすればいいよ。ぜったいにここでやれば儲かる」と、門田は、藤村がかぶっていた野球帽を見て、はしゃいで言った。

「せっかく大晦日なんやから、豪華にやろうや」と、門田が怪しげなケーキを買ってきた。

油のかたまりのような生クリームがついた大きなケーキを一口ずつ食べて、3人とも吐き出してしまった。

「見かけはボン・ネージュ(注:山歩会OB天保氏が経営するケーキ店)のケーキやのに」と藤村。

門田は、「大晦日だからどうぞー、おいしいですよ」と言って、愛想いい笑顔で残りのケーキを全部近くにいた日本人女性のグループにあげてしまった。

食事の後、ネパールの人々が集まってパーティをしているところへ出かけた。

門田の知り合いというおばさんが、その場を取り仕切って阿波踊りのようなダンスをしていた。

婦人会の慈善パーティーだという。

おばさんに誘われるままに、門田が踊りだす。

本当のネパール人のように、手を振りながら踊る門田は、今まで見たことがないくらい楽しそうだった。

いい顔だな、と熊谷は思った。

うまい酒と、良い友人と、美しい自然に囲まれて、幸せそうだった。

無理をしてここまできてよかったとしみじみ思った。

熊谷にとって、ここに来るまでに失ったものも多かったけれど、得たものはもっと多かった。


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