梵我一如(ぼんがいちにょ)
ネパールは、2008年に王制が廃止され、共和制となった。晃とキクがネパールを訪問した頃は、まだ王制の時代だった。
「興味深い話ですが、ネパール王は、戴冠式に十六弁菊花紋章とユダヤのカゴメ紋章を縁取った着衣を身に着けていました。このカゴメ紋章は、伊勢神宮の石灯籠にもみられるもので、ダビデ紋とも呼ばれています。十六弁菊花紋章は、ご承知のように、現在の天皇家の家紋と同じですね。」
こう、晃は言いながら、机の上にカゴメ紋を書いて見せた。
ネパールの文化は、ヒンドゥー教と仏教の融合によって形作られている。ヒンドゥー教は、紀元前数千年前のバラモン教を起源とした宗教で、宇宙の生滅流転をつかさどる神々を信仰している。また、ネパールには、釈迦が生誕した聖地ルンビニがある。これらが混然一体となり、独特の文化を醸し出している。
「1963年に、当時東海大学に所属した長沢和俊を隊長とした学術登山隊が、西ネパールで十六菊花の浮彫りが施された石碑を発見したということです。残念ながら、大部分の碑文は磨滅して解読不能だったそうです。ずいぶん昔から、何らかの交流がネパールと日本の間にあったということでしょうか。」
中国語からサンスクリット語・ヘブライ語に通暁している晃にとって、東洋と中東を結ぶ交通の中継地としてのチベット・ネパール文化には、大きな好奇心を有していた。
「バラモン教の聖典ベーダや、インド哲学の奥義書ウパニシャッドに書かれているように、宇宙の中心生命である梵と、個人の中心生命である我の究極的な一致を説く、バラモン教やヒンドゥー教・仏教の啓示である梵我一如という宇宙観は、考えるだけでワクワクするような面白さがありますね。つまり、実態としての個を形成している我が、宇宙にあまねく存在する梵という真理と同じものである、ということを悟ることによって、すべての苦しみから解脱できるという教えは、いつの時代にも当てはまるのではないでしょうか。」
私たちの周辺には、数えきれないくらいの事実が存在し、おそらく実体という意味ではそれらはすべて正しいのだろうと思われる。100人いれば、100の実体があり、100の事実を作りだしている。個々の人にとっては、それが正しいことなのだ。世に多くの宗教が存在するのも、このことに起因している。しかし、宇宙の真理は一つしかない。つまり、個々の実体は、宇宙の真理を異なった目や、異なった立場から見ているに過ぎない。だからこそ、『色即是空、空即是色』なのだ。それは、空しさを説くものではなく、覚醒を導くものなのだ。ヒマラヤの山々を眺めていると、こうした解脱の境地に次第に近づいていく気がする、と晃は穏やかに語った。
つづく
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