雲に隠れた富士山を見ながら、久しぶりに東京から帰ってきた。
自宅の部屋で迎える朝は格別だ。
窓を開けて自然の息吹を感じる。
どうも我が家の周辺は、鳥の住処になっているようだ。
そこかしこでいろいろな鳥の鳴き声が聞こえる。
その中に、鶯の声が混じっていた。
今年の初鳴きだ。
まだ春の浅い時期で、鳴き声も不確かだ。
一生懸命に学習しているのだろう。
微笑ましい朝のひと時だ。
さて、気になるニュースがある。
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安全保障法制の整備をめぐって、与党内の協議が続く中、自民党の高村副総裁は、21日、北九州市で講演し、現行の周辺事態法の改正について、
「周辺事態は地理的概念ではない。誤解されやすい言葉は取った方がいい」と述べた。
自民党の高村副総裁は「周辺事態法は地理的概念ではない。
どこで起こったかは関係なく、(わが国の)平和と安全に重要な影響があるか、そういう話だ。
誤解されやすい言葉だから、誤解されないように『周辺』を取りましょう」と述べ、周辺事態法の改正にあたって、「周辺」の概念を削除すべきだとの考えを示した。
また高村副総裁は、自衛隊の海外派遣を随時可能にするため新設を目指している恒久法での武器使用について、
「武力行使にならないような枠組みを作る必要がある」と述べ、新たな基準を作るべきだとの考えを示した。
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そうか、我々は誤解していたのか。
「周辺事態は地理的概念ではない」のか。
だから、「周辺」という言葉をとるということなのか。
確かに世界はグローバル化しており、遠い世界の事態が我が国の平和と安全に重要な影響を与えることもあるだろう。
でも、逆に言えば、遠い世界の事態の影響は回避するようにすべきなのではないだろうか。
すべきお節介と、すべきではないお節介がある。
何でも前のめりで、他国に出かけて行ってまでのお節介はすべきではないと思うのだが。
それよりも、もっと真剣に自国の周辺に目を向けた方がよいのではないのか。
わが国には、解決しなければならない案件が山積している。
のんびりした田舎にいると、そんな気がしてならない。