1936年2月26日に、大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校らは、「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンにクーデターを起こした。
彼らは元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、政治腐敗がなくなり農村の困窮が収束すると考えていた。
いわゆる2.26事件だ。
軍首脳は、当初反乱を是認する態度で、義軍として認めようとした。
しかし、川島陸相からこの報告を受けた天皇が激怒し、「朕自ら鎮定に当たらん」と言い出した。
このことによって、義軍は反乱軍となってしまった。
結果、民間人も含めた首謀者17名が銃殺刑となった。
その一人、磯部浅一は獄中で次のような遺書をしたためたそうだ。
「殺されてたまるか、死ぬるものか。千万発撃つも死せじ、断じて死せじ。悪鬼となって所信を貫徹するのだ。全幕僚を虐殺して復讐したい。。。。。。朕は知らぬと仰せられてはなりません。かりにも15名の将校を銃殺するのでありますぞ。何という御失政でありましょう。かくのごとき不明をおかされあそばすと、神々のお怒りにふれますぞ。いかに陛下でも、神の道をお踏みちがえあそばすと、ご皇運の涯てることもござります」
勝てば官軍、負けら賊軍ということなのだろう。
こうして歴史はいつも繰り返している。
さっきイスラム国から後藤さんに関する最後のメッセージが届いた。
24時間以内に捕虜の交換が実現しなければ、後藤さんとヨルダンのパイロットを殺すというものだ。
しかし、少しおかしいなと思う。
これまでの要求は、後藤さんとヨルダンにつかまっているテロリストとの交換だった。
そこに、パイロットまで含まれることになったのは、ヨルダンとイスラム国との合意が内々にまとまったということを示しているのかもしれない。
穿った見方かもしれないが、おそらくヨルダンは決断をしたのだろう。
だとすると、後藤さんは助かるのも近い。
そうあって欲しいものだ。
テロは良くないが、逆の立場からみれば復讐ともいえる。
そんなことの繰り返しを別の形で解決する知恵がないものだろうか。