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安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

新約聖書の世界 42 新約聖書時代背景 02 新約時代の幕開け 02 イスラエル王国の命運 01 王国の興亡 

2024-01-17 04:00:00 | 聖書入門 新約聖書
NHK大河ドラマでは今から1000年前の源氏物語を書いた

紫式部の物語「光る君」が始まりました。

1000年間を描いた大河ドラマは2作目だそうです。

また、日本史も1000年も遡ると資料も曖昧なものとなってしまいますが、

聖書の世界では紀元前1000年、

つまり3000年前の記録が聖書に正確に書かれているのは、

まさに神が存在している証になります。

今年の大河ドラマは、天皇史観、また陰陽師など

霊的にヤバい世界を描くことになりそうで、

本当に聖書の日本にならないと増々、世界の常識から遠のくようになります。

さて、新約時代の幕開けを語っていきます。

イエス・キリストの登場から遡る1000年前、名君、ダビデ王(注・01)が

イスラエル12支族(注・02)を統合し、

政治的にも宗教的にもイスラエルは強い団結を確立します。

そして息子ソロモン王(注・03)によって神殿が建設され、

栄華は極みに達しました。

しかし、彼の死後、王国は分裂し、預言者たちの警告にもかかわらず、

民の道徳的堕落は止まらず、

紀元722年アッシリア帝国によって滅亡(注・04)します。


ダビデ王(注・01)
イスラエル王国第2代目の王 (在位前 1000頃~961) 。ベツレヘムに生れた。彼についての記録は旧約聖書『サムエル記上下』から『列王紀上』2章までに詳しい。初代の王サウルの王宮に楽師として入り,サウルの嫡子ヨナタンと親交を結び,サウルの娘ミカルを妻とした。ペリシテ人との戦いで活躍し,国民的な人気が高まるにつれてサウルの嫉妬を買い,長い逃亡生活をおくった。サウルの死後王位につき,ヘブロンからエルサレムに都を移した。彼は契約の櫃を重んじることによって宗教的統一国家を目指し,また当時エジプト,アッシリアの二大強国が衰退していた機会をとらえて周辺の国家を隷属させ,エジプトからユーフラテス川に接する広大な領土を誇った。すぐれた武人であるとともに,音楽,詩歌にも秀でていた。少年時代ペリシテ人の巨人ゴリアテを石投げ器で討った話や,敵を手厚く扱ったこと,ウリヤの妻バテシバの入浴の姿を見てこれに欲情し,預言者ナタンの忠告に悔い改めた話などエピソードは多い。バテシバとの間に生れたソロモンが彼の死後王位についた。(ブリタニカ国際大百科事典)


イスラエル12支族(注・02)
旧約聖書では,イスラエルは,イスラエルおよびユダの独裁制の確立まで,イサクの次子ヤコブ (イスラエル) に由来する 12の支族から成る同族集団であった。その 12の支族の族長はヤコブの 12人の息子であり,おのおの,リアを母とするルベン,シメオン,レビ,ユダ,イッサカル,ザブロン。ゼルファを母とするガド,アシェル。ラケルを母とするヨゼフ,ベンジャミン。バラを母とするダン,ネフタリである。しかしヨゼフの子エフライムとマナセをこれに加えるときはレビを除いて 12支族とする。一般にはイスラエルの各支族の起源はきわめて複雑であるため,1つの家族から由来するとは考えがたく,ほかの種族から追放されたりしたものがそのなかに入り込んだり,そこから追放されたりという変動があったと考えられるが,いずれにしても 12という支族数は一定に保たれていた。(ブリタニカ国際大百科事典)

ソロモン王(注・03)
イスラエル・ユダ複合王国2代目の王。在位,前967年ころ-前928年ころ。ダビデの子。母はヘテ人ウリヤの妻であったバテシバ。幼名エデデヤ。預言者ナタンとその仲間に擁立され,異母兄アドニヤを退けて父の王位を継承,アドニヤ,軍の長ヨアブ,祭司アビヤタルなどを粛清して王権を確立した。ダビデが築いた大帝国を,北はユーフラテス川から南はガザまで支配した。帝国内にはメソポタミアをエジプトとアラビアに結ぶ国際通商路が縦貫していたため,莫大な関税収益をあげるとともに,エジプトとクエ(キリキア)とシリアを結ぶ仲介貿易や,フェニキア人の協力を得た紅海貿易にも従事した。アラビア半島南端のシバからは女王(シバの女王)が隊商を率いてエルサレムを訪問した。このように活発な商業活動によって巨富を集めたことから,〈ソロモンの栄華〉の伝説が生じた。しかし,ソロモンのはでな消費はこの莫大な収入をはるかに上回っていた。そこで,ソロモンはイスラエル全地を12の行政区に分割して徴税組織を整えただけではなく,民を強制労働に徴用した。その目的は,とくにエルサレムの宮殿と神殿の建築であった。このためにも,フェニキア人は技術者を派遣し,レバノンスギを送って協力した。しかし,20年がかりで宮殿と神殿の建築が終わったときに,フェニキアのツロ(テュロス)王ヒラムに借りた負債を支払えなくなったソロモンは,ガリラヤの町20を割譲しなければならなかった。また近隣諸国と友好条約を結んだ結果,エジプト王の娘など多数の外国の女を王妃に迎えた。彼は妻700人,側妻300人の大ハレムを所有していたと伝えられる。40年続いた治世後半に,敵対的な王朝がエジプトに出現したことがきっかけとなって,支配下にあった近隣諸民族が次々と反旗をひるがえした。とくにダマスクスのアラム人の独立によって国際通商路の支配を失ったことは,ソロモンの商業活動にとって大きな打撃であった。北方諸部族もヤラベアムに率いられて反乱したが鎮圧された。しかし,ソロモンが死ぬと,彼らはダビデ家の支配を脱して北イスラエル王国を建てた。このような内外の敵に備えて,エルサレムやメギドに要塞が建てられた。しかし,何といってもソロモンが果たした最大の業績はエルサレム神殿の建築であった。この神殿によって古代イスラエルの伝統が後代に伝えられたからである。ソロモンは知者としても著名であったことから,彼を《箴言》や《伝道の書》などの著者とする伝承も生じた。執筆者:石田 友雄(世界大百科事典)

紀元722年アッシリア帝国によって滅亡(注・04)
前8世紀にはメソポタミアにはアッシリアが台頭、
前732年にはアラム王国を滅ぼし、イスラエル王国にも迫った。イスラエル王国ははじめアッシリアに朝貢していたが、前724年ホシュア王がエジプトと結んでアッシリアに反抗すると、アッシリア帝国のサルゴン2世は遠征軍を送り、前722年に都サマリアを襲撃して、イスラエル王国を征服したため、王国は滅亡した。サルゴン2世は、イスラエルの残留民を強制的に移住させ、その跡に異民族を入植させた。これによって残留のイスラエル人と異教徒の混合が進んだ。一方の南のユダ王国は滅亡を免れたが、アッシリア帝国に従属し、貢納を続けて属国同様となった。その後、アッシリア帝国が滅亡、バビロニアに興った新バビロニアによって、前586年に都イェルサレムの神殿も破壊され、滅亡した。その時、多くのヘブライ人がバビロンに連行される「バビロン捕囚」の苦難を体験する。(世界大百科事典)


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