ハバクク書
3:1 預言者ハバククの祈り。シグヨノトの調べに合わせて。
3:2 主よ、あなたの名声をわたしは聞きました。
主よ、わたしはあなたの御業に畏れを抱きます。数年のうちにも、
それを生き返らせ/数年のうちにも、それを示してください。
怒りのうちにも、憐れみを忘れないでください。
3:3 神はテマンから/聖なる方はパランの山から来られる。
〔セラ/その威厳は天を覆い/威光は地に満ちる。
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最近、福井県立図書館でアメリカのキリスト教を取り扱う
数冊の本を読みました。
どうも日本人が書くアメリカにおけるキリスト教の把握が、
まず例外なく傍観的で、それを日本の上にもたらされるように
希求した本は1冊もありませんでした。
確かに分析は学問的で説得力もありますが、
どこか冷めていて私たちとは関係がないことだと捉えているのです。
その原因は私の持論であります日本教だと思います。
日本教の本質は人間教なので上記のようなハバクク3節にあるように、
聖なる方はパランの山から来られその威厳は天を覆い、威光は地に満ちる、
というような天からの突入をこの国の上にという切望は一切ないのです。
しかし、アメリカに吹き荒れた何度もやってきたリバイバルは
このハバククの預言の通りであり、そして使徒言行録2章の出来事でした。
私はこれまでクリスチャン生活60年間なのですが、
この間、毎年の聖霊降誕礼拝に参加してきましたが、
ペンテコステを日本の上に起こしたまえという
叫びのメッセージを聞いたことがありません。
日本ではどこか冷めていて、歴史的なものという過去形なのです。
しかし、聖霊降誕のペンテコステは世界中に巻き起こってきました。
ではそのペンテコステどのように訪れたのでしょうか、
それはハバククにあるようなことが、
そのことを待ち望むイエスの弟子たちの上に突然、起こったのです。
使徒言行録
2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。
2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。
突然、天からの突入で神の栄光がその場に突入し、
キリスト教会が誕生したのです。
そして教会の証言が燎原の火の如くエルサレムを覆い、
ローマ帝国を焼き尽くし、全ヨーロッパ、そして全世界に拡大していきました。
私は無教会に23年間、在籍していましたが、
元祖である内村鑑三がアマスト大学に学ぶのではなく、
アメリカのリバイバルの火を受けた神学校に学び、
その火を持って帰国していたら日本は
世界に大きな貢献をしたに違いないと私は確信しています。
それであれば、ほぼ異端に限りない洗礼、聖餐等を否定した
無教会など生み出さなかったことでしょう。
内村鑑三の「一日一生」にある「初夢」は、
ペンテコステの霊においてしか実現できないのです。
むしろ内村はペンテコステを避けてしまったことが大きな悲劇でした。
それは内村だけではなく、今日の教会の牧師たちも同じなのです。