創世記
4:9 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」
カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
4:10 主は言われた。「何ということをしたのか。
お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
4:11 今、お前は呪われる者となった。
お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
4:12 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。
お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
4:13 カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。
4:14 今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、
わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、
わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
4:15 主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、
カインにしるしを付けられた。
4:16 カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。
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イエスを売ったユダについて、今回、考えましょう。
ユダの最後は、自殺ですが、では地獄に行ってしまったのでしょうか。
新約聖書にはそのことは一切、触れられていませんし、
むしろルカによる福音書を読めば分かりますが、
最後までイエスはユダの救いのために労しておられました。
ゆえに最後のところでユダの死でさえもキリストの愛が及び、
その中にあったとしかいいようがありません。
そこにカインのしるしを見るのです。
カインの保護は神の主権にありますので、神の主権を犯すことは
クリスチャンはできません。
そのことから自殺という問題も同様、神の主権に関することでありますから、
自殺は神の主権を犯すことであり、絶対に許されないことなのです。
神は創造者であり、創造者なる神を立てている私たちは自殺という
神の主権を犯してはならないのです。
人生を自殺で自己完結してはならないのです。
では自殺した者は救われないのかでしょうか。
その問題の前に言えることは、神を否定したという事実は変わりません。