バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

新約聖書の世界 50 新約聖書時代背景 10 新約時代の幕開け 10 ユダヤ教の成立 03 旧約聖書ギリシヤ語訳の誕生

2024-06-25 04:00:00 | 聖書入門 新約聖書
こうしてディアスポラのユダヤ人社会ができたのは、

先回も書きましたようにネブカドネザル王によるバビロニア捕囚、

そしてポンペイウスがユダヤ人をローマに拉致して

奴隷にしたことなどですが、このような政治的、

軍事的な外的理由のほか経済的な理由がありました。

それは国土が狭く、大国に挟まれたユダヤ人の住むパレスチナでは

戦乱が相次ぎ、たとえ異教の外国人支配下であったとしても

経済的に豊かなところに移り住む道を選択したのです。

それはエズラ・ネヘミヤ時代に聖地に帰還を許されても、

ユダヤ人の多くはバビロン帝国内に残ったのです。

また同じことがローマ帝国内でも起こり、

ヘロデ王国と言うローマ帝国傀儡政権ができる数百年前から

そのようなディアスポラのユダヤ人社会が誕生していたのです。

フィロによればその数は、アレクサンドリアでは、

5つの区分があったそうですが、このうち2つは

ユダヤ人ばかりだったとか他の区でも数が多く、

北アフリカでは100万人以上で、

ローマ帝国内では600万人とも推定されるとあります。

おそらくパレスチナには100万人しかユダヤ人はいないともいうのです。

そしてこの数字には異邦人で割礼を受けて、

ユダヤ教徒になった人も多くいたといいます。

そしてディアスポラのユダヤ人社会は移住した地で順応して生活しました。

特にヘブライ語から中東一帯の共通語であるアラム語。

そしてローマ時代にはコイネー・ギリシャ語を話すことになり、

遂には旧約聖書のギリシヤ語訳(注・01)が生まれました。

そしてディアスポラのユダヤ人社会は宗教的結束が強く、

聖都エルサレムを中心とした国際的な共同体、

連合体が強化されていきました。

そのためユダヤ人は他の民族や支配者から迫害が起こるようになりました。

アレクサンドリアの商人が友人に手紙を送り、

「ユダヤ人には気をつけろ・・・」と

書き送っているパピルスが発見されているほどです。

大プリウスも「ユダヤ民族は神々を冒涜している」とか

タキトウスも「万人に敵対する憎悪」とまで警戒しているのです。

しかし、ディアスポラのユダヤ人たちは、毎年、エルサレムに巡礼し、

祭事を守っていました。

エルサレムにはこうした人たちの専用の会堂も

用意されていたことが使徒言行録に書かれています。

使徒言行録
6:9 ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。


旧約聖書のギリシヤ語訳(注・01)
エジプト王ファラオの命でヘブライ人の経典(旧約聖書)をギリシア語に翻訳した聖書であると伝えられ、紀元前3世紀中頃から前1世紀間に、徐々に翻訳・改訂された。ラテン語読みであるセプトゥアギンタとも呼ばれる七十人訳聖書は、ヘブライ語からの現存する最古のギリシア語翻訳。キリスト教ではほぼ旧約聖書と同義。ユダヤ教では外典とされる。72の訳者が72日間で「律法」(モーセ五書)の翻訳をなしたという伝説によるという説が有力である(その構成については旧約聖書の項を参照のこと)。この72人の訳者とは、イスラエルの十二氏族(英語版)の各氏族から各6名ずつ派遣された長老たちとされる。72人の長老達による訳書がいつごろ、なぜ七十人訳と呼ばれるようになったかは定かではないが、1世紀の著述家であるフラウィウス・ヨセフスはその著作『ユダヤ古代誌』において70人の長老と2名の使者がアレクサンドリアに派遣されたことを記述しており、少なくとも1世紀頃には既に七十人訳の名称が広まっていたと考えられている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« このままでは有事の時に日本... | トップ | カインとセツの系図 08 二... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

聖書入門 新約聖書」カテゴリの最新記事