申命記
5:21 あなたの隣人の妻を欲してはならない。
隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。
この十番目の戒めで十戒は終わります。
そのラストがこのような言葉ですが、
まず、出エジプト記の十戒と比較してみましょう。
出エジプト記
20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。
出エジプト記では最初に「隣人の家」といい、その後で細分化されて、
「隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを」となっています。
この相違は何故なのかです。
申命記は、「隣人の妻を欲してはならない」と出エジプト記のように家ではなく、
妻を人格としてみています。
ですから他の欲することとは明確に区別しています。
出エジプト記では、「隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のもの」なので
妻も奴隷や牛、ろばと同じ扱いなのです。
それは妻を男の単なる所有物ではなく、人格として認めたのが、申命記の十戒の特色です。
それだけ出エジプト記が書かれた時から時代を経て、
しかも、状況も大きく異なった背景で申命記が書かれたことがよく分かるところです。
そして他のオリエント社会よりもイスラエルの共同体は、
妻を第一とし、女性の地位を高くしています。
妻は他のものとは別格扱いです。
そして「欲する」の言語の使い方も特別な動詞を用いていますので
内心の心の動きを問うているのです。
このことを更に徹底させたのが、イエスの語られた山上の説教です。
マタイによる福音書
5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
5:28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、
既に心の中でその女を犯したのである。
5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
5:30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」
5:21 あなたの隣人の妻を欲してはならない。
隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。
この十番目の戒めで十戒は終わります。
そのラストがこのような言葉ですが、
まず、出エジプト記の十戒と比較してみましょう。
出エジプト記
20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。
出エジプト記では最初に「隣人の家」といい、その後で細分化されて、
「隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを」となっています。
この相違は何故なのかです。
申命記は、「隣人の妻を欲してはならない」と出エジプト記のように家ではなく、
妻を人格としてみています。
ですから他の欲することとは明確に区別しています。
出エジプト記では、「隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のもの」なので
妻も奴隷や牛、ろばと同じ扱いなのです。
それは妻を男の単なる所有物ではなく、人格として認めたのが、申命記の十戒の特色です。
それだけ出エジプト記が書かれた時から時代を経て、
しかも、状況も大きく異なった背景で申命記が書かれたことがよく分かるところです。
そして他のオリエント社会よりもイスラエルの共同体は、
妻を第一とし、女性の地位を高くしています。
妻は他のものとは別格扱いです。
そして「欲する」の言語の使い方も特別な動詞を用いていますので
内心の心の動きを問うているのです。
このことを更に徹底させたのが、イエスの語られた山上の説教です。
マタイによる福音書
5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
5:28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、
既に心の中でその女を犯したのである。
5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
5:30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」