「禍福はあざなえる縄のごとし」について

2022-08-21 19:38:07 | 日記
「禍福はあざなえる縄のごとし」このフレーズは福(幸せ)と禍(災い)が互い違いに起こり訪れるというイメージだ。が、福と禍の訪れは同じ頻度であり同じ長さ(期間)にある、そういう意味にも解釈できる。つまり、禍と思われる状態が現状も含めて人生上に長く居座っているとするならばそれと同等の頻度と長さで将来のある時期に福と感じられる状態が必ずやってくる。それだから今、禍の状態あると思えばこれから先、近い将来には福がやってくる、グ~ンと楽しみになってくる。ただ、親からの虐待や予期しない事故などで人生の前半期(乳幼児期~思春期)に自らの意思とまったく無関係に大切ないのちを失う事態に遭遇した場合は個人のターム(生存期間)のみで禍福を考えるのは難しい。ヒントを得たのが中島みゆきの楽曲「時代」のフレーズ。つまり、「過去世」と「現世」と「来世」の三世を一繋がりの「いのちの活動期間(240~300年)」と捉えるとわかりやすい。その期間内にいのちの輪廻転生する過程に禍福のバランスがあるのだろうと期待する、もちろん仮説ではあるが。きょうの楽しかったことは、○縁あって出会った本「いつか死ぬ、それまで生きる」(伊藤比呂美著)が手に入ったこと、○Amazon配信『想い出のスティーブ・マックウィーン』(米1990年 ドキュメンタリー)父親に見捨てられた少年時代からトップスターへ駈け上るまでの苦難な生涯を描いたもの、○納豆+焼き魚シリーズ、続けていることだ。(10,790歩)