こばなし

日々のよしなしごと

トミー TOMMY

2006年03月04日 | 映画
ジャック・ニコルソンが歌う(歌おうとする)のを聴きたいと思ったり、アン・マーグレットが酔っぱらったようにベイクド・ビーンズの滝に打たれて跳ね回っているところを見てびっくりしたいと思ったら、『トミー』はまさにうってつけの映画だ。ザ・フーの素晴らしいロック・オペラは、たまたま監督ケン・ラッセルの映像に対する過剰趣味と抜群に一致、この1975年の映画は、ケン・ラッセル監督にとってもっとも代表的な作品となった。この作品は、ミュージカル的誇張がなされた発熱夢であり、それはピート・タウンゼントの、ロック叙事詩を描くという野心におあつらえのものだったのだ。内容は、表題の“耳が聞こえず、口もきけず、目も見えない少年”(ザ・フーのヴォーカル、ロジャー・ダルトリーが演じる)が、知覚を奪った子ども時代のトラウマを乗り越え、“ピンボール・ウィザード”となり、組織化された宗教の偽善に対してタウンゼントがしかける壮大な戦いの救世主というものだ。

ラッセル監督の影像催眠術にかけられ、観客は夢見状態になるにもかかわらず、ストーリーは驚くほど首尾一貫している。トミーのオデッセイは映画全体を覆う音楽を通じて描かれ、それぞれの曲、血が逆流しそうな「アシッド・クィーン」(ティナ・ターナーのはまり役)、善意の医者役のジャック・ニコルソンの一曲、そびえ立つエルトン・ジョンの「ピンボールの魔術師」、そしてダルトリーの自己覚醒的「僕は自由だ」といった曲が、トミーの成長の過程で軸となる章を表している。エリック・クラプトンや、(すごいことに)ザ・フーのドラマー、キース・ムーンらも登場している。 すべてを通じてケン・ラッセルは信心深いといってもいいほどタウンゼントのアーティスティック・ヴィジョンに忠実だ。初公開当時こそ、評論家は賛否両論だったが、今みると『トミー』はいかれた映画のマイナー・クラシックであり、創造力をかきたてるミュージカルの鬼才作品として価値があるのだろう。(Jeff Shannon, Amazon.com



最初は本当に「なんじゃこりゃ???」だった。
映画? ミュージカル?
予備知識もなにもない状態で観たから。
普通の台詞はひとつもなくて、全編歌、歌、歌。
唐突すぎな展開もあったりして、やっぱり「???」。

でもだんだん引き込まれていっている自分にふと気づく。
楽しくなってきている自分に気づく。
しかもわたしですら知っている有名人がゴロゴロ出てくるではないか!
ピンボールの魔術師が最高。

主人公が心の中で、絶えず叫んでいる言葉。

Feel me.
Touch me.
See me.
Heal me.


繰り返されれば繰り返されるほど、胸が痛くなる。
どんなに両親が息子を大事に思っていても、
彼らはトミーの本質を見ようとはしていない。
ましてや癒そうなんて、思ってもいない。
たとえ実際に触れていても、それは表面上だけのことだ。

最近は引きこもりが問題になっているけれど、
彼らが心のうちで叫んでいることも、
結局トミーと同じなのではないかと思う。


新聞でTOMMYのブロードウェイミュージカルが日本へやってくることを知る。
行きたいな~。でもお金と時間が…ない。
QUEENのミュージカルも行きたかったけど、結局行かずじまい。
とりあえずTSUTAYAにサントラないかしら。
行きたい場所が多すぎる。


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