こばなし

日々のよしなしごと

バリ島のテロ

2005年10月02日 | ニュース
バリ島でのテロのニュースに驚く。
また狙われた繁華街クタと、高級リゾート地ジンバラン。
狙われているのは観光客。地元の人たちではない。それなのに巻き込まれた地元民。
狙われた観光客が、何をしたというわけでもない。

初めてバリに行ったとき、以前のテロの現場に行った。
そこには大勢の観光客が集まっていて、たくさんのメッセージが書かれていた。
「写真を撮りましょうか?」と気のいい白人さんに聞かれたけれど、断った。
そんな場所で、自分がニコニコ笑って写る気にはとてもなれない。

去年、ジャカルタのオーストラリア大使館がテロにあったとき、わたしはちょうどバリにいた。
宿のスタッフが教えてくれて、一緒にテレビを見た。悲惨だった。
その後日本人の二人組の男の子が同じ宿に一泊したらしく、朝ご飯の時に少し話をした。
その二人は「ジャカルタに行って大使館を見てくる」と言っていた。
もう一人わたしの部屋の隣に泊まっていた男の子は、「すげー」と驚いていた。
「こんなときにあえて行くっていう度胸がすごい」などとほざいていた。
わたしも驚いたふうに繕っていたけれど、本心は「こいつ馬鹿じゃないの」と冷めていた。
自分に何かできることがあるかもしれない、そういう理由で行くのなら話は違う。
大使館を見にいく? それだけ? ただの野次馬? もしかしたら自分も危ないかもしれないのに?
勇気と考えなしは違う。だから日本人は、バリ人にも馬鹿にされる。なめられてる。
旅をしている日本人は、大馬鹿者と、素敵な人。そのどちらかだ。

テロの意味をどうしても理解できない。
どうして罪のない人まで巻き込む必要があるのか。巻き込むほど重要なことなのか。
さらに自爆テロはもっと理解できない。
自分が死んで、敵国の人間が死んで、自分が浮かばれるとでもいうのか。
そんなことあるわけない。みんな浮かばれない。残された人も悲しむだけ。
人を殺して死んだら偉いなんて、そんなことは絶対にない。

自爆テロを実際に実行しているのは、組織の末端の人たちに違いない。所詮使い捨ての駒でしかない。
それに彼らは気づいていないし、気づいたところでどうしようもない。
さらわれて無理矢理やらされている人も、多くいるという。逃げ出せない状況。
そんな状況を作り出している人間が憎い。巻き込まれるのはいつも弱い人々。
本当に、くだらないことは多い。

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