こばなし

日々のよしなしごと

ななかまどの赤は 紅葉の赤だったのか

2009年07月25日 | 日記
華道めも

七竃(ななかまど)
竜胆(りんどう)
孔雀草(くじゃくそう)



焼き肉たべた
飛騨牛!
うんまいー



佐藤友哉さんという作家さんの新作
「デンデラ」が読みたい
姥捨てされた老女たちが
共同体を作ってしぶとく生き残るサバイバルですって
おもしろそー

血なまぐさいの
案外すき
だって生きるって
血なまぐさい


読みたい本たくさんあるけど
読むの遅いからな



あとドラクエやりたい
9じゃなくてとりあえず5
パパスが死んじゃうとこぜったい泣く…ていうか5
泣きどころありすぎる

シレンぜんぜんだめー
かんたんモードとかあればいいのにー



一神教を信じる家庭に生まれなくてよかった

神さまみたいなものは
そこらじゅうにいるのに

だから誰も見てないなんてことはないんだよ
ちゃんと見られてるから

絶対神なんておかしい
絶対なんてこと
ありえないし

神さまはたくさんいて
でもおおもとはひとつの大きなエネルギー
これはヒンドゥー教の考え方だけど
けっこう正しいんじゃないかと思う

唯一神のサン・ヒャン・ウィディ・ワサ
まばゆい大きな光みたいなもの


あーなんか
また勉強したくなってきた








★「神」は「ゴッド(God)」ならず
 一神教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教など)のただひとりの神(ゴッド)を信仰する人々にとって、日本の八百万の神々など、とうてい理解できないらしい。狐を敬うお稲荷さん、学者(道真)を拝む天満宮、武将(家康)をあがめる東照宮、それどころか戦死者を祭る靖国神社など、来日した宣教師たちは狐につままれた気分だったろう。動物はおろか、原罪を背負った人間を信仰するなんて、もってのほかだった。
 しかし、日本人にとっては、『古事記』に登場する神々ばかりでなく、この世ならぬ能力や徳をもっていると感動すれば、人間はもちろん狐や石ころだって、みんな神さまになれるのだ。この宗教観の違いは、永遠に交わることがない。
 そもそも「ゴッド」を「神」と短絡に訳したことから不幸が始まった。一種のグローバル化をめざしたつもりだろうが、異文化の本質を見きわめないと、是正には途方もない時間を要することになる。人間というものは、意思の最終決定に論理よりも情緒を優先するからである。


ビギナーズ・クラシックス 古事記/武田友宏著・角川書店編