こばなし

日々のよしなしごと

ガザからのメール

2009年01月06日 | ニュース
****転送歓迎*****

京都の岡です。
世界に向けてガザの状況を発信しているワーヘド教授に対し、脅迫電話がありました。

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==1==件名:ガザより
25の建物がイスラエルに空から攻撃された。建物はすべて地上レベルに崩れ去った。死者はすでに250名に達する。負傷者は何百人にものぼるが貧弱な設備しかないガザの病院では、彼らは行き場もない。
電気も来ないが、ディーゼル発電機でなんとかこれを書いている。世界にメッセージを送るために。携帯電話もすべて使用できない!
==2==件名:ガザより 27日午後6時
なんという光景だ。数分前、パレスチナ側のカッサーム・ロケットが飛んでいく音が聞こえた。続いて、もう一つ、そして爆発音。2発目は、パレスチナ人を標的にしていたイスラエルの機体から爆撃されたものと思われる。今、聴いたニュースによれば、イスラエルのアパッチ・ヘリが攻撃したのは、釣堀用の池のあるリクリエーション・グラウンドだという。シファー病院は、195人の遺体、570人の負傷者が同病院に運ばれていると声明を発表している。刻一刻と死傷者の数は増え続けている。これはガザ市だけの数字だ。ほかの町や村、難民キャンプからの公式の発表はない。自宅アパートの近くで末息子がスクール・バスを待っていたところ、以前、国境警備局があったところが攻撃された。息子が立っていたところから50メートルしか離れていないところで、男性二人と少女二人が即死した!真っ暗な夜だ。小さな発電機を動かして、ネットを通じて世界と交信している。
==3==件名:ガザより 27日午後8時
今宵、ガザの誰もが恐怖におびえている。完全な暗闇。子どもたちは恐怖から泣いている。死者は206人。遺体はシファー病院の床の上に横たえられている。負傷者は575名をうわまわるが、同病院の設備は貧弱だ。病院事務局は市民に輸血を要請している。教員組合は虐殺に抗議し3日間のストライキを決定。イスラエルの機体がガザ市東部を爆撃、大勢の人々が死傷した。犠牲者の数は増え続けている。瓦礫の下敷きになっている人々もいる。一人の女性は二人の幼い娘と一人の息子を亡くした。彼らは通学途中だった!
==4==件名:ガザより 27日午後11時
11:00pm。イスラエルのF16型戦闘機による、複数回にわたる新たな爆撃。ガザでは3つのテレビ局を視聴できるが、これは電力をなんとか確保できた場合の話だ。空爆はガザ市東部に集中。ある女性は10人の家族を失った。生き残ったのは彼女と娘一人だけだ。娘はメディアに向かって、何も語ることができなかった。何が起こったのか見当がつかない、と彼女は言う。町のいたるところでパニックが起きている。最悪の事態が起こるのではないかとみな、恐れている。エジプト、ヨルダン、レバノンで、この残虐な空爆に対するデモが行われた。死者数は、219以上にのぼる。225という説もある。
==5==件名:ガザより 空爆下、冷たい暗闇のなかで
今晩、爆破のせいで窓ガラスが砕け散った家庭にとっては冷たい夜だ。ガザの封鎖のため、窓ガラスが割れても、新たなガラスは手に入らない。私が居住するビルでは、7つのアパートが、凍てつく夜をいく晩もそうした状態で過ごしている。彼らは割れた窓をなんとか毛布で覆っている。何百軒もの家々が同じ境遇に置かれているのだ! 私に言えることはそれくらいだ。他方、ハニーエ氏は地元テレビでハマースについて話をした。彼の話は、士気を高め、ハマースは屈服しないということを再確認するものだった。死者の数は210に、重傷を負った者も200人に達した。今また、ガザの北部で新たな爆撃が!
==6==件名:ガザより ガザに対するイスラエルの攻撃を中止させる行動を!
今、10分のあいだに5回の空爆。標的は人口密集地域の協会や社会活動グループ。モスクもひとつやられた。もう30時間、電気が来ない。なんとか小さな発電機でこらえている。インターネットで世界に発信するためだ。
==7==件名:ガザより イスラエルから脅迫電話が!!
今しがた、イスラエルから何者かが電話してきた。末息子が応答したが、電話の主は、私が武器を所有しているなら、住まいを攻撃すると脅しをかけてきた。

(アブデルワーヘド、ガザ)


ガザからのメール DAYSから視る日々




1948年5月14日、イスラエルが誕生し、パレスチナ難民が発生した。この事件をパレスチナ人はNAKBA(大惨事)と呼ぶ。
この年、400以上もの村々が消滅、廃墟となった。故郷を追われた人々のほとんどは、難民キャンプでの生活を強いられている。
その過去を知らないキャンプ二世、三世が生まれ、増え続けている。
そして、いまなお、パレスチナ人が暮らす場所を破壊し、追放する動きは続いている。

NAKBA




画:パレスチナ問題(パレスチナモンダイ) 関心空間

24歳の決断

2008年11月26日 | ニュース
1983年、アフリカ西部の国ニジェールに、
1人の女の子が誕生した。
その子は、ハジャトゥ(Hadijatou)と名づけられた。

やがて、ハジャトゥちゃんは大きくなり、
12歳になったとき、
4人の妻を持つ男のところへ売られた。

その額、5万円。

ここニジェールでは、
奴隷の子は奴隷であり、
幼いときに、親から引き離され、
子どもたちは"物"として売買や贈り物に"使われる"。

ハジャトゥちゃんは奴隷として生まれ、
そして、奴隷として売られた。

それからの10年間、
ハジャトゥちゃんは、
家事と畑仕事、
そして、"サダカ(sadaka)"呼ばれる性的な奴隷として、
暴力と、性的暴行を受ける日々を送った。

だが、そんな日々も、ついに終わりを迎える。

2003年、
ニジェールの議会が奴隷の禁止法を可決。
そして、2005年、
ハジャトゥさんは自由の身となる。

このとき、"主人"はハジャトゥさんに、
"平民の権利"を与える代わりに、
自分の妻になることを要求したが、
ハジャトゥさんは、それを毅然と断った。

それは、ハジャトゥさんが、
生まれて22年目にして、
初めて手にいれた、
自由の選択だった。

やがて彼女は、ある男性と恋に落ち、
そして、結婚した。
もちろん、自分自身で決めたことだ。

しかしそれは、
幸せな結婚生活にはならなかった。
かつての"主人"が、
自分がハジャトゥさんと、
すでに結婚していると訴えたのだ。

ニジェールの裁判所は、
"主人"の訴えを認め、
ハジャトゥさんに対し、
「重婚罪」として懲役6ヶ月を宣告した。

子ども時代、青春時代を、
奴隷として奪われ、
愛する人との結婚さえ奪われた。

だがもう彼女は、その場でただ、
打ちのめされている"奴隷"ではなかった。

ハジャトゥさんは、2008年4月7日
ニジェールなど西アフリカ15カ国が加入する、
西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の裁判所に、
「2003年の奴隷制度の違法化にも関わらず、
自分たちを保護できなかったばかりか、いまだに奴隷制度を続けさせている」などとして、
ニジェール政府に対する訴訟を起こした。

24歳の女性、ハジャトゥさんは、
地元の弁護士、そして、Anti-Slavery Internationalなど、
奴隷の廃止を求める国内外の団体とともに、
自分自身と、
ニジェールに4万3千人いるといわれる奴隷たちの、
自由と権利のために、
国家の大臣や官僚たちと、世界を舞台に対決した。

その判決が、
先月、2008年10月に下された。

ECOWASの裁判所は、
ハジャトゥ・マニさんを
奴隷境遇から保護することを怠ったとして、
「奴隷制度はすでに根絶し、
もう存在しない」
…と主張していたニジェール政府に対し、
有罪の判決を下した。

裁判所は、「疑いの余地はない」と、
ハジャトゥ・マニさんが12歳で売られ、
およそ10年間、奴隷とされていたことを認め、
そして、ニジェール政府に対し、
およそ200万円(10m CFA francs)を、
ハジャトゥ・マニさんに支払うように命じた。

「この判決に、とても喜んでいます。
かつての私のマスターや、
もう奴隷など存在しないと主張する人たちに対峙することは、
とても大変なことでした。」

ハジャトゥ・マニさんは、
そう語っている。

「この保証金で、わたしは家を建てようと思います。

そして、農場を作り、家畜を育てて、
家族を養っていきたい。

それから、子どもたちが大きくなったら、
…わたしに絶対に許されなかった…
学校で教育を受けさせてあげられます。」

この国の奴隷制度の慣習として、
たいてい、奴隷の親から生まれた子どもは、
自動的に、そのマスターの奴隷となる。

ハジャトゥ・マニさんが、
この裁判に踏み切った理由は、
彼女の2人の子どもの自由を守り、
絶対に彼女のような人生を
歩ませないためだという。

世界の奴隷問題に取り組み、
ハジャトゥ・マニさんをサポートしてきたNGO
反奴隷インターナショナル
(Anti-Slavery International)によれば、
現在ニジェールでは、
およそ4万人が奴隷となっているという。

そして、反奴隷インターナショナルは、この5年間に80人を、奴隷から助け出したという。

この判決が、ニジェール政府に、
奴隷問題の解決を促すメッセージとなることが、
期待されている。

ニジェール政府の弁護士は、
この判決を尊重すると語った。




関連サイト

反奴隷インターナショナル
(Anti-Slavery International)
http://www.antislavery.org





※この記事はmixi内『世界の肖像』コミュの内容に編集を加えて転載しています

24歳の決断
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29859859&comm_id=1808806&

24歳の決断(続)
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小枝とバナナの葉の十字架

2008年11月11日 | ニュース
アフリカ大陸の真ん中の国
コンゴ民主共和国

その国の4人の子のお母さん
アナタシアさん(30)は
BBCのインタビューで次のように語っている


「突然、わたしの家のそばで、
戦闘が始まりました。
午前3時ころのことでした。
銃弾が行きかい、あちこちで爆発が起こり、
人々が死んでいるのを見ました。
それを見て、わたしは確信しました。

今すぐ逃げなければ、
わたしたちも死んでしまう。

夫とわたしは子どもたちを抱いて、
家から逃げました。

まったく時間はありませんでした。
なんの仕度もできず、
わたしたちは、すべてを置いて逃げ出しました。

真っ暗な中、ゴツゴツした路を、
夜通し歩いて、キャンプにたどり着きました。
何一つ持ち出せなかったけど、
家族がみんな無事だったので、
神様に感謝しました。
でも、それからの暮らしは、とても過酷でした。
わたしたちは、雨の中、外で寝泊りし、
援助隊の人たちは、
『もうすぐ食料が届く』と、いつも言っていましたが、
結局、一度も届いていません。

それで、夫は、街まで働きに行きました。
そこで稼いだお金で、わたしや子どもたちに、
食べ物を買って来てくれるはずですが、
いまだに帰ってきません。

もう、本当に何もないのです。
すべてを置いて来てしまいました。

わたしは、仕立て屋をしていて、ドレスを作っていました。
でも、もう、そんなのは過去の話です。
とても大切なミシンも、家に置いてきました。
それも、盗まれてしまっては、
もう、「仕立て屋」などとは言えません。

今、わたしが、怖いのは、病気です。
ここでは、みんなが、とても近くで、密集して暮らしていますから。

もう一つは、レイプです。
兵士は、女性たちをレイプします。
そして、ほかの男たちも、
わたしたちをレイプします。

もし、わたしが、誰かにお願いできるとしたら、
平和の仲介をお願いします。
まず、平和です。
今すぐにでも、ここを出て、
自分たちの家で、子どもを育てたいのです。
まず、平和なんです。」


1994年
4月からの100日間に
80万人ものツチ族とフツ族の穏健派が
フツ族過激派に虐殺された
その後
ツチ族を中心に結成されたルワンダ愛国戦線は
ルワンダを奪還
制圧に成功
ルワンダに平和をもたらした

さらに
ルワンダ愛国戦線は
ルワンダとツチ族の治安を守るため
国外へと逃げたフツ族過激派を追撃
隣の国
コンゴ民主共和国へと軍隊を送る

それをきっかけの一つとして
石炭


ダイヤモンド
マグネシウム
タングステン
コバルト
ウラン
その他
現在の先進国社会を支えている
タンタル・コルタンなどの希少金属を有する
世界トップクラスの資源大国である
コンゴ民主共和国の富を求めて
周辺各国がコンゴへ派兵

「第一次アフリカ世界大戦」と呼ばれる戦争へと発展
1998年から2002年までの5年間に
戦闘と
それによって引き起こされた飢餓
病気などで
300万人とも400万人とも言われる人々が死んだ

その後
和平が結ばれ
2006年
史上最大級の国連平和維持軍の監視のもと
大統領選挙が行われたが
ルワンダ愛国戦線の幹部で
国連安保理制裁委員会が指定した制裁対象者でもある
ローラン・ンクンダ将軍などは
現在でも
ルワンダ国境付近のコンゴ民主共和国
東部で
コンゴ政府に対して反政府活動を展開
戦闘を繰り広げている


そんな戦闘の中
ウィマナさんも
エマニュエルくんと
その他の子どもたちをつれて
この金曜日に
この難民キャンプにたどり着いた
ウィマナさんにとって
これは
この1年余りの間の
17回目の難民生活だった

エマニュエルくんは
その直前まで
病院に入院していたが
危険は
そこにも迫ってきた

ウィマナさんは仕方なく
エマニュエルくんを連れ出し
安全を求めて
このキャンプへたどり着いた

だが
たどり着いたこの場所には
住む場所も
食べ物も
そして
水さえなかった

今でも
ウィマナさんたちは毎夜
野外で眠る

ウィマナさんには
エマニュエルくんを含めて
5人の子どもがいる・・・はずだった
しかし
この朝
エマニュエルくんは
1年
お母さんやお姉さんたちと生き
そして
食べ物がないために死んだ

子どもの埋葬のために掘られた小さな穴に
エマニュエルくんは
お母さんに見守られて
葬られた

その場所には
小枝とバナナの葉で作られた
小さな十字架がたてられた



コンゴ民主共和国では
戦闘
暴力
貧困
栄養失調
そして
医療の不足により
毎月
4万人以上が死んでいる

その半数が
5歳未満の子どもたちだ。



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関連リンク

BBC
Congo eyewitness: 'I saw them die'
4 November 2008
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7708329.stm

BBC
Photojournal: Tragedy in DR Congo
http://news.bbc.co.uk/1/shared/spl/hi/picture_gallery/08/africa_tragedy_in_dr_congo/html/1.stm

日本・外務省
国連安保理制裁委員会が指定した制裁対象者リスト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/congomin/taisho_list.html
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mixi内『世界の肖像』コミュニティの内容に
若干の編集を加えて転載しています
http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&id=36909910&comm_id=1808806







無知は罪だと思う

ダライ・ラマは好きだ

2008年03月18日 | ニュース
エルネスト・チェ・ゲバラが死んでから40年経つらしいですね

最近DAYS JAPANを溜め込んでしまっていて
12月号を読んだら書いてありました

ゲバラは若くして死んだから
キューバだけでなく
ラテンアメリカの英雄になれたって

キューバ革命の主流は
あくまでホセ・マルティの民族主義思想と
革命の最高指導者フィデル・カストロだって

正直ゲバラに関しては詳しくないので
あまり分からない
そのうち史実とか
読んでみたいとは思っているのだけど

でもゲバラは
自分が志半ばで
英雄になったこと
どう考えているのかなぁって
ちょっと思った



もう4月号は来てしまったので
5月号にチベットのことが載るだろう
楽しみだ



中国なんなのアレ!
ダライ・ラマが北京五輪を破壊しようとしてる!?
ハァ!?
そんなこと言ってる暇があるなら
はびこる不正や
環境破壊や
格差社会や
薬物依存や
エイズ問題のこと
なんとかしたらどうなのさ!!

自分たちがしてきたことの反動が起きてるだけじゃん
被害者ヅラして
人を殺してるくせに
本気でムカついた


わたしはチベットに精通してるわけじゃないし
チベット仏教徒でもない

だけどチベットの人々が信心深いことやや
チベットの景色の美しさは知ってる
チベットは行ってみたい国のひとつ

ダライ・ラマは好きだ
あったかい感じがする

僧侶が捕まって
それに怒って人々が暴れてると
ニュースで言ってた

当たり前だよ
チベットやインドや
タイの人たちにとって
お坊さんはとっても
大事な存在なんだもの

どうなってしまうんだろ
今後の動向が気になります



どこの国にも悪いことはあって
隠された悪い種があって
それを永遠に隠しておくことはできないのに

自分のことしか考えない
くだらない大人がたくさんいる

吐き気がするくらい腹の立つことや
胸をえぐられそうに悲しいことは
どうしたらなくなるんだろう

自分の悩みなんて
すごく薄っぺらで
くだらなく感じる


どうしたって
みんなが優しくは
なれないのかな

江ノ島バリSunset

2007年08月22日 | ニュース
18日

高校の友だちのC絵が教えてくれて、急遽一緒に行くことに。
江ノ島の展望台で去年も開催されたイベントらしい。
18時からバリ舞踊があるとのことだったので、それをお目当てに。

久しぶりに江ノ島を登る。
江ノ島を登るなんて江ノ島神社に行くときくらいで、
こんな夏の暑い人の多いときになんて来ないから、
ある意味新鮮。
お互い藤沢市民のC絵とうなずき合う。

久しぶりに来ると江ノ島もなかなか面白くて、
いろいろ見たくなってしまう。
いかせんべいを買ってもらって食べたなぁ、
なんて思い出にひたったり。
そして展望台は意外と近くて、
「あたしたち大きくなったね」と自画自賛。

着いてみたら、小規模でゆるそうなイベントであることが発覚。
でもすごくいい感じ。
バリの飾りつけに、お香が焚いてあるから懐かしいバリの匂いがする。
ござ席を確保して、お腹がすいたのでご飯を食べる。
カレーも良かったけど、ナシチャンプル(nasi campur:白ご飯に色んなおかずが乗っけてある)を注文。
懐かしいピーナッツソース味に、感無量。
帰りたくなってしまう。
みんな元気かなぁ…。
やっぱりインドネシア料理覚えたいなぁ。
とりあえずピーナッツソースだけでも!

おいしそうなハイビスカスのジュースも飲んだ。
バリ王族にしか許されなかった秘伝のクリームを、
王族が商売にして売り始めたというタマンサリのボディクリームを勧められる。
色んな種類があって、どれもものすんごくいい香り。
虫除け効果もあるリフレッシュのためのハンド&フットウォーター(柑橘系の香り)と、
サンダルウッドのボディクリームを購入。
安くしてもらっちゃった~♪
白檀(sandalwood)の香りってすごく好き。
試し塗りさせてもらった自分の腕の匂いを、
ついつい何度も嗅いでしまう。
ふはぁ…。


踊りが始まった。
出るのは全員日本人だから、
そこまでものすごくはないのだけれど、
なかなか楽しめた。

懐かしい音楽。
ああ~ガムランの音大好き!
とりあえずガムランのCDを買うか借りるかしようと思った。
懐かしさにぞわぞわしてしまう。

本物の踊りと、本物の音楽が恋しくなった。
やっぱり全然違うから。
それは仕方ない。
小さい頃から身についた伝統の踊りや音楽に、
外国人がかなうわけない。

ああ~バリ!!
帰りたい……(ノ_・。)


ナシチャンプルだけでは足りなくて、
OLIOLIというカフェに連れて行ってもらう。
ちょっとBGMとお客さんがうるさかったけど、
ワッフルに柚子蜂蜜ジュースは美味しかった☆
ご飯メニューも美味しそうだったので、
また江ノ島に来ることがあったら寄りたいなぁ。


そこでC絵が来年から、青年海外協力隊でルワンダへ行くことを知る。
アフリカ…そして酷い内紛のあった場所。
そこに2年間。
一応仕事内容は、復興のお手伝いということらしい。
ただ彼女は協力隊に対して、
ただ盲目な憧れを抱いているから行くのではなく、
今まで散々的外れなことをして人々の生活を壊し、
国の利益を優先させてきたJ○CAを知るために行くらしい。
多少は憧れもあるけど、知らなきゃ批判できないからって。
思ったことをズバズバ言う彼女の性格上、
納得のいかないことや無駄だと思えることがたくさんあって、
決して楽しいばかりじゃないだろうなぁ(笑)
そういうところがわたしは好きなんだけど。
暴露本が楽しみだわ(^~^)

C絵はすごい。
彼女を見てると、自分ももっとしっかりしなきゃと思う。
やりたいことをどんどん形にしていく。
彼女の目線は世界に向いているから、
久々に大きな話ができて嬉しかった。
大学時代は学部が学部なだけに、みんな世界に目が向いてた。
それが普通だったから、仕事を初めてからカルチャーショックを受けた。

お昼休み、テレビにアメリカ大統領Bッシュ氏が映ってた。
「大っ嫌い、こんな奴。
さっさとやめればいいのに」
そうボヤいたわたしに、
「好きでも嫌いでもないからよくわからないわ」
と言ってきた職場の方。
返す言葉もなくて、ポカンとしてしまった。
こんなにひどいこと、バカなことたくさんしてるのに?
戦争を勝手に始めてしまったのに?
武器商人とつながってるのに?

その人は決して悪い人なわけではない。
だけどそういうことが他にもたくさんあって、
びっくりした。
彼らの世界は驚くほど狭くて、幸せだ。
それはそれでいいのかもしれない。
でも自分がそういう風に生きて幸せかといえば、
そんなのは絶対に嫌。
何にも知らないで、
狭い狭い世界でのうのうと生きていたくなんてない。
そんなの吐き気がする。


わたしはわたしの目線で、
たくさん感じて、考えて、
自分にできることをしようと思った。


ね。


写真:ナーガ