日本酒メーカーの綾菊酒造(香川県綾川町)が、酒類や食品の製造販売などを手掛ける飯田グループ(大阪府)に全株式を売却し、事業を譲渡する方針を固めたことが10日、分かった。近年、日本酒の需要低迷などで売り上げが減少しており、新体制の下で経営の立て直しを目指す。綾菊ブランドは継承される見通しだ。
綾菊酒造は、県内の五つの蔵元が合併し、1945年に設立。清酒「綾菊」の醸造元で、「国重」は全国新酒鑑評会で13年連続金賞を受賞するなど醸造技術の高さには定評がある。
しかし、消費者の日本酒離れで、酒造をメーンとした経営は厳しく、売り上げはピークだった1981年の約12億円から約4分の1にまで低下。売り上げの減少で新たな投資もままならない状態となっていた。後継者がいないことなどもあって事業譲渡先を探す中、酒類関連の幅広い事業を展開する飯田グループの傘下となることで経営を再建し、綾菊ブランドを維持、発展できると判断したもようだ。
綾菊酒造は週明けにも全株式を飯田グループに売却する予定。寺嶋吉太郎社長ら現経営陣は退き、社長を含めた新たな経営陣を飯田グループから迎える。売却金額は非公表。
飯田グループは綾菊酒造の社名を継承。「綾菊」や「国重」などの商品の製造販売もそのまま続ける方針。約15人の従業員の雇用も引き継ぐという。
飯田グループは1923年創業。大阪府八尾市を拠点とし、関西を中心に酒類や食品の製造販売のほか、飲食店経営などを手掛ける。近年は地方の酒類関連企業の買収も積極的に進めている。2013年2月期の売上高は755億円。【四国新聞より】
“全株譲渡”早い話しが買収というやつですか。
ブランド名は残すということですが、加ト吉にマルナカと、地場企業の買収は残念である。
【日本酒の衰退】
私が酒造メーカーで働いていたのは30年程前ですが、この時期は空前の焼酎ブームでした。日本酒の売上は右肩下がり。日本酒復活の気配もありませんでした。
昭和30年代は造れば売れる日本酒も、40年代後半になるとビール、60年代には焼酎にと追いやられた。
平成に入り、越乃寒梅等の“地酒ブーム”もあったが、日本酒全体の底上げにはならなかった。
そして現在、芋焼酎を始めとする乙種焼酎ブームへ。日本酒復活はかなり厳しい状況だと思います。
日本酒というのは、各メーカーの生産量(石数)が決められていました(相当昔)。日本酒の受容が高まった頃(昭和30年代~)、生産量を上回る受容を補うために行われたのが“桶売り(桶買い)”というものでした。足りないメーカーは桶買い。小さいメーカーは生産量が少ないので、桶売りようの酒を造る。『生産量が決められてるのに?』って思いますが、これは瓶詰めされるのではなく、メーカー同士で桶(タンクローリ)で売り買いすることで認められていました(未納税)。
事実、灘、伏見の大手メーカーに桶売りが集中していたようです。
私のいた会社に綾菊さんは桶売りしていました。
桶売りというのも立派な売上なのですが、批判的な考え方もあったようです。
しかし、日本酒離れや少子化の上に若者の飲酒離れである。桶売り、桶買いで助けあう時代ではなくなった。桶買いメーカーは自社生産のみでいいが、桶売りメーカーにとっては厳しいと思います。
綾菊さんがどうだったかはわかりませんが、今の状況が続く限り、日本酒メーカーの苦悩は尽きない。
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