残照日記

晩節を孤芳に生きる。

果敢になるな

2010-11-25 14:13:56 | 日記

▼老子曰く、<敢てするに勇なれば、則ち殺し、敢てせざるに勇なれば、則ち活かす>と。(第73章)──老子が言うには、何事も勇敢(積極的)に行動すべきだとする者は人を殺し、不敢(消極的)を重視してそれを厳守する者は人を活かす、と。

▼孟子曰く、<人為さざる有り、而る後以て為す有るべし>と。(離婁篇)──孟子が言うには、人は先ず為してはならぬことをしてはならない。それを知悉した上で、為すべきことを為すべきである、と。

∇北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃した事件はまさに衝撃的だ。韓国からの経済支援や南北対話を進めていたことに逆行するような今回の砲撃の真意は、ドー考えてもよく分らない。専門家の分析によれば、金正日親子が主導した計画的な挑発ではないか、と考えられている。金正恩氏への権力継承を誇示・加速させ、かつ、対話の場に引きずり出したいアメリカへの威嚇もあるという。砲撃が、上記理由により引き起こされたとすれば文字通り“笑止千万な行為”で、北朝鮮のためにも更なる愚行を重ねることの無きよう願う。孰れにせよ関係各国の仲裁宜しく、一日でも速やかに「平和解決」することを希求するのみだ。

∇ところで、所謂“最初の一発”について、<韓国は北朝鮮が砲撃した際、同地域で軍事演習を行っていたが、北朝鮮を狙った砲弾の発射はしていないとしている。一方、北朝鮮は、韓国側が最初に砲撃したと主張している。>(11/23 ロイター通信) 孰れも先に仕掛けてきたのは相手方だと主張して譲らない。盧溝橋事件での“最初の第一発”を契機に、日中戦争が惹起された状況に酷似している。1937年、盧溝橋付近に於ける風はなく月のない七夕の闇夜の“第一発”が文字通り事件の引き金になった。日本軍側は中国軍が発砲したと主張し、中国側はそもそも中国兵営近くで示威的夜間訓練を行うこと自体が不当で、又、発砲の事実はないと反論した。

∇問題は「第一発」後にあった。実は「(事件の)4日のちの7月11日には、中国側は盧溝橋の引渡し、代表者の陳謝、責任者の処罰、抗日団体の取締りなどの日本側の要求を全面的に受け容れて、現地協定が調印された」(「昭和史」岩波新書)のである。この現地協定案を一蹴したのが国内強硬論派に押された近衛内閣で、協定調印と同日の11日、この事件を「北支事変」と称し、本国からの派兵措置を含む強硬声明が発表された──。中国全土に広がり始めた抗日・排日運動と侵略にはやる陸軍参謀本部。今回の砲撃事件も、金正日親子の権力継承を早急に成就させたい金政権と軍部による強硬措置、と見てよいのであろう。一触即発の危機は、いつも強硬路線派がその導火線を牽く。

∇最近尤もらしく叫ばれるのが“首相のリーダーシップ”欠如論。槍玉に上がるのが尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件やロシア大統領の北方領土訪問などに対する弱腰外交批判だ。曰く、中国を黙らせろ、ロシアにだまされるな云々、と。これらは皆、やられたらやり返すという「敢てするに勇=勇敢」を賛美する強硬路線だ。だが頭を冷やしてよく考えてみよう。中露を相手に本当に戦争が勃発したら、日本などあっという間に吹き飛んでしまう。無責任な強硬論を声高に主張する者たち、そして国民がその扇動に乗り、事の本質を見失うことこそ日本滅亡の道である。“報復措置”に汲々せず、関係国との協調対話によって、粘り強い外交を継続することしかない。老子が言う「不敢に勇」なる人々が声を挙げよ。孟子の言う、「不為(なさざる)」の哲学を忘れるべからず!


大同の世

2010-11-24 08:03:32 | 日記
∇厚生労働省の調査によれば、65歳以上の高齢者に対する家族からの虐待件数は、2009年度に1万5615件に達し、調査を始めた06年度以降で最多となったそうだ。児童相談所で対応した児童虐待の件数も4万4210件で過去最悪を更新した。「高齢者」「児童」といった弱者への虐待が年々増加している。しかも、高齢者虐待の加害者の4割が「息子」で最も多かった、とか、トイレに産んだばかりの乳児の遺体を遺棄した、などという鬼母のニュースが流れるたびに暗然たる気持ちになる。古典に載る“養老の滝”の孝行息子の話や、我が身を犠牲にして子を訓育し見守った慈母の逸話の数々は、遠い昔の架空物語となった。テレビをひねり新聞を開けば、やれ「知る権利」がどうの、大臣の問責決議、任命責任がどうのと喧しいが、国民の生活や人格はちっともよくなっていかない。中国古代の聖天子であった尭、舜、禹の時代が懐かしい──

▼<堯(ぎょう)という聖天子は、仁徳や知徳にすぐれ、近づけば太陽の如き温かみがあり、遠く望めば天を覆う雲のように威厳があった。天下を治めること五十年。民衆が自分の政治に満足しているのか不満なのか、周りの家臣に聞いても朝廷の役人に聞いても分からない。そこでおしのび姿で街や村を回って、自分の目で確かめにでかけた。すると、街では子供のはやり歌に「今日もこうして無事に暮らせるのは、尭帝様のおかげです。あなたの徳の深いこと」と歌うのを聞き、村では老人が口に食べ物を含んで腹鼓(はらつづみ)をうち、足で地面を打って調子をとりながら次のように歌うのに出会った。「日が出りゃ働き、日暮れにゃ憩う。のどが渇けば井戸掘って水飲み、腹すきゃ畑を耕し食うだけさ。天子のおかげが何あろう」。すなわち世は天下泰平で、子供も老人も太平を謳歌していることを知って安心したということだ。>(「十八史略」)

▼<孔子が言うには、「大道の行われていた古代や、夏・殷・周三代の最も良かった時期を私は見たわけではないが、記録などによるとこうだ。─ 大道が行われた世は、天下は万民のものとされ、賢人・賢能を選挙して役職を与えて相互の信頼親睦を深めさせた。従って人々は自分の親や子だけを親愛することなく、老人は皆な安楽に身を終え、働き盛りの者は十分仕事を与えられ、幼少の者はすく/\成長し、衿寡孤独(かんかこどく)・廃失等の気の毒な人々は養い育まれた。男にはそれぞれに相応しい職業を持たせ、女は皆な相応しい相手に嫁がせた。財貨は貴ばれたが独り占めはせず、労力は他人のために使役することが重要視された。こういう心がけが行き渡っていたので、計略は用いられず、盗賊などの心配は無用なので、家の戸を鍵で閉める必要もなかった──これを『大同の世』という」と。>(「礼記」礼運篇)

分不相応

2010-11-23 08:28:09 | 日記
<子曰く、徳薄くして位尊く、知小にして謀(はかりごと)大に、力小にして任重ければ、(禍が)及ばざること鮮(少な)し(孔子が言うには、徳も無いのに高い位におり、知恵も無いのに計画ばかり大きく、力量が無いのに任務が重ければ、災いが身に及ばぬ筈が無い。>(「易経」繋辞下伝)

∇今朝の朝日新聞一面に、<参院予算委の集中審議で宙を見上げる菅直人首相>という添え書き付きで、菅首相の疲弊しきった写真が載っていた。“政治とカネ”問題で、とうに失脚すべき小沢氏・鳩山氏らが相変わらず居座り、現役大臣の失言、問題発言等々で野党に追求されっ放しの菅内閣。文字通り「内憂外患」「八方塞がり」「四面楚歌」だ。こんな状況を目にするたびに、冒頭に掲げた易の格言が頭をよぎる。世の中を見ると、不思議と、人徳・知恵&知識・力量不足の人が重役になりたがる。しかも神はそういう人をリーダーに選挙して、人間どもの平和をぶち壊すよう望んでいるような気がする。神々は徳知、力量あるリーダーを選びたがらない?

∇「旧約聖書」・創世記によれば、かつて世界中の人々は同じ言葉で話していた。 東方から移動してきた民族が、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。やがて 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合い、遂に「天まで届く塔のある町を建てゝ、有名になろう」と野望を抱くに至った。神が降りて来て塔のあるこの町を見て、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と言って、全地の言葉を混乱させた。人々は統一言語を失い意思疎通ができず、この町の建設をやめた。世界に多数の言語があるのはこの故である。(「バベルの塔」)

∇「優れた人物をリーダーにしたら、いずれ我々神の存在を危うくする、人々を平和にしてはいけない!」──分不相応の人物を大統領や首相、担当大臣に据えようとするのは、どうも神の意思に相違ない。だから世界中見渡しても首長に優れた人物が見当たらず、スーチー女史のように、真に民に平和を齎そうとする人は軟禁され、ノーベル平和賞受賞者の中国の反体制作家・劉暁波氏のように弾圧される運命にある。嗚呼、<人は名・位の楽しみたるを知りて、名なく位なきの楽しみの最も真たるを知らず。>(菜根譚前集六六) 我々凡人は分相応でいこう。「老子」に曰く、<その食を甘しとし、その服を美とし、その居に安んじ、その俗を楽しむ>と。

へそくり

2010-11-22 08:53:33 | 日記

○妻の居ぬ 庭に番(つがい)の 目白かな  楽翁

<妻は夫の約3倍の金額のへそくりをためている――。いい夫婦の日(11月22日)にちなんで、明治安田生命保険が実施したアンケートでこんな結果が出た。夫のへそくりは4年前より約2割減る一方、妻は3割以上増えた。同社は「将来への不透明感が増すなか、妻が不安を感じてためているのでは」とみている。>(11/22 朝日新聞)

∇調査は、20~50代の既婚男女を対象に行なったもので、へそくりがある人は45.3%。平均額は夫が約35万円に対し、妻は99万円だったという。このへそくりが「誰のために、何の不安に備えて」貯めているのかを知りたいのだが、残念ながらアンケートはそこまで突っ込んでいない。夫婦お互いの遊興費のためだとしたら、ガッカリもいいところだ。ところで、私事だが、この22日は妻が死去して4ヶ月目。我が亡妻は、へそくり上手で、山内一豊の妻に劣らぬ賢婦だった。“いい夫婦の日”、しみじみ生前の家内の「内助の功」を思い、その恩恵を深く感謝している。

∇余談ながら山内一豊の妻の話を一席。──逸話の初出は新井白石の「藩翰譜」である。「藩翰譜」は、白石(1657~1725)が、後の6代将軍徳川家宣の命を受けて元禄15年に脱稿した一万石以上の諸侯337家の伝記・沿革を記したものである。著者45歳の才徳充実期の著作だけに気迫に満ちた名文章で各家の数々の逸話が要所を押さえて盛られている。一豊の妻の話は「藩翰譜」の記述をもとに大いに流布し、儒学者・湯浅常山(1708~1781)の「常山紀談」をはじめ、明治時代には元田永孚謹撰による宮内省蔵版「幼学綱要」にも夫婦和順の代表的逸話として取り上げられた。

∇「藩翰譜」をもとに、逸話を忠実に訳すと次の通りである。──<昔、一豊が織田信長に出仕した初めに、東国一の名馬だと言って安土に引き来て馬を商う者がいた。織田家の家来達がこれを見ると、誠に無双の名馬だ。だが値段があまりに高くて、買うことのできる者は一人もなく、馬商人は空しく引いて帰ろうとした。その頃一豊は猪右衛門と言ったが、この馬を欲しいと思ったが買うことはどうしてもできない。家に帰って「世の中に貧乏ほど口惜しいことはない。自分は仕官の初めだ。これほどの馬に乗って殿様に見参できたら、殿のお褒めに預かろうものに」と。

∇妻はそれを聞いて「その馬の値段はどのくらいですか」と聞いた。「黄金十両といっていた」。すると妻は「それほど買いたいとお思いなら、その馬をお買いなされ。値をば私が差し上げましょう」と言って鏡を入れる箱の中から黄金十両を取り出して差し出した。一豊大いに驚いて、「ここ数年、貧しく苦しきことのみ多かったのに、こんな大金があるとも知らせなかった。いかに心強く隠し置いたことよ。まさかこの馬を買えるとは思いもよらなかった」と一方では喜び且つ恨んだ。妻が言うには、「おっしゃることはごもっともでございますが、このお金は私の父がこの家に嫁いで来た時に、下さったもの。

∇この鏡の下にお入れ下さり、『よくお聞き、この金は決して世間一般のことに使ってはいけない。お前の夫の一大事がある場合に使いなさい』とて頂いたものです。ですから家が貧乏で苦しむなどということは世間の常です。そんなことはどのようにでも我慢しても過ぎてしまいます。本当かどうかは知りませんが、この度京都にて御馬揃があるだろうと聞いております。もしそうであるならば、天下の見物です。貴方は仕官の初め、こんな時でなくては殿にも朋輩にも見知られるべき機会もありませぬ。良き馬に乗って見参されますようにと思えばこそ、このお金を差し上げます」と。一豊は即刻その馬を買い求めた。

∇程なく都で馬揃があった時、信長公がこの馬を御覧になって大いに驚き、「あっぱれなる名馬じゃ。誰の馬か」と仰せられた時に臣下の者が「これは東国第一の馬だと言って商人が引いて参ったのですが、余りに価格が高いため誰も買うことが出来ませんでした。商人が空しく帰るはずのところを山内が買い得たのであります」と言った。信長公はそれを聞かれ、「値段の高い馬である。今日天下に信長の家中でなければ買うことの出来る人はおるまいと思って、奥州からはるばる出かけて来たのを空しく帰したならば無念の至りだ。山内とやらは年久しく浪人であったと聞く。家もさぞ貧乏であろうに、その馬を買い得た事の神妙さよ。しかもそのことによって信長の家の恥をも清め、同時に武士としての心がけが非常に深いことよ」と感心なされること並々でなかった。これより山内は次第に出世したということである>。──

∇巷間流布する話では、一豊の妻・千代の「内助の功」が金銭的な部分のみ取り上げられているが、「藩翰譜」が次の書き出しから始まっていることを見逃してはいけない。<慶長五年秋、徳川家康公が上杉景勝を追討の時、山内一豊は先陣にいて、下野宇都宮に至った。こうした中、京都方面に謀反の兵が起こった。各国の飛脚が到来して事の急を告げたのだが、事件の様子がはっきり分からず、妻子や家臣を大坂においた他の大名たちは慌てふためいた。一豊だけは慌てなかった。一豊の妻が相当な賢夫人であったから、物の役に立つ家臣を送ってよこしたので、詳細を知ることができたからである>と。 一豊の妻が、「へそくり上手」だけではない才媛であったことを物語っている。


逆転の発想

2010-11-21 09:52:24 | 日記
<はやぶさ>川口教授に「財界賞」──経済誌「財界」を発行する「財界研究所」は、広く社会に貢献した人や活躍した経済人を表彰する10年度の「財界賞」の特別賞に、世界で初めて小惑星イトカワの微粒子を採取した探査機「はやぶさ」を地球に帰還させたチームを率いた川口淳一郎・宇宙航空研究開発機構教授と、大阪府の橋下徹知事を選んだと発表した>(11/18 毎日新聞)

∇鬱々たるニュースが続く中、爽やかな話題も幾つかはある。その中の一つが小惑星探査機「はやぶさ」の快挙だ。今年6月、地球に帰還した「はやぶさ」のカプセル内の微粒子の大半が、小惑星「イトカワ」のものであることが判明した。小惑星の物質を直接入手したのは世界初だそうで、太陽系の成り立ちに関する手掛かりが得られる、と期待されている。尚、フリー百科事典「ウィキペディア」によれば、<イトカワは、太陽系の小惑星──1998年、マサチューセッツ工科大学・リンカーン研究所の地球接近小惑星研究プロジェクトにより発見された。日本の小惑星探査機「はやぶさ」の探査対象となったことから、日本のロケット開発の父・糸川英夫の名前を付けるよう命名権を持つ上記プロジェクトにに依頼し、それが承認された>、という経緯を持つ。

∇老生には宇宙開発のことはさっぱり分らないので、それがどれほどの快挙なのか、実はよく分らない。それよりこのニュースで思い起こしたのが、“日本のロケット開発の父”糸川英夫博士のことである。糸川博士(1999年没)は航空工学・宇宙工学者でペンシルロケットの開発者として知られる。東大退官後組織工学研究所を設立し、バレエ・占星術・チェロ・ヴァイオリンなど様々なことに挑戦されたことでも有名である。著書『逆転の発想』はベストセラーになった。老生が耽読したものに、「荒野に挑む」(ミルトス刊)がある。「ネゲブのベングリオン大学」の砂漠と荒野への果敢な緑化挑戦活動を衝撃的に伝えた感動的な著書である。

∇読者に曰く<逆境を逆手にとって人の住める天国に変えてみせよ>と。<北海道と東北地方に住む民よ、雪害というのをやめて、雪恵と考えなさい。火山に近い民よ、火山灰を災害と言わず、地下からの贈り物と考えなさい。そして、南方の島の暑さと湿気に愚痴を言う人は、熱と湿気が賜物なのだと受けとめて、世界一、住みごごちの良い場所に作り変えなさい>。人間には創造力という賜物が残されている、創意こそ、人間が神から賜った最も大切な賜物だ。逆境を逆手にとるには「発想の転換」をせよ、と。──上記「財界賞」での川口氏の受賞理由は「エンジン停止などのトラブルに見舞われながらも懸命の工夫、チーム一丸の取り組みで日本中に感動と元気を与えた」こと、橋下知事は「地方からの改革の流れを作った」点を評価した、とのことである。思い切った「逆転の発想」と地道な努力の継続、現在我々に求められる“活性化”の原点だろう。