残照日記

晩節を孤芳に生きる。

大事を争え

2010-11-27 12:04:53 | 日記
∇約5兆900億円の経済対策を盛り込んだ10年度補正予算が26日夜成立した。今後臨時国会は「相次ぐ閣僚への問責決議」「政治とカネ」等々の問題で与野党が激しく対立したまゝ12月3日の会期末まで続く。それにしても今国会の論戦は史上最低レベルの内容で終始した。<国会は「大事争うべし」>と題して、< 成果においても、審議の質の面でも、今国会の惨状は目を覆うばかりである。論ずべき重要課題は多いのに、傾聴に値する議論がほとんどない>と今朝の朝日社説が切り捨てている通りである。尖閣諸島沖の事件も、この度勃発した北朝鮮による韓国領砲撃をめぐる事件も、ビデオの流出や公開、政府初動の遅れ等“些事”に議論が集中し、肝心の「今後の対中露外交戦略」や国内問題等については少しも掘り下げられていない。

∇「天声人語」氏も言う。<国会は言論の府のはずが、このところ口論の府になり下がっていないか。そんな趣旨の投書が東京で読む声欄に相次いでいる。……テレビの国会中継は質問者のパフォーマンス会場みたいだと、投書氏らは嘆く。とりわけ野党の若手に目立つようだ。「ヒステリック症候群とでも称すべき態度」で「大げさな物言いや、汚い言動で罵倒」する。そうした場面が続くことに、「これでは一種の低俗番組」と厳しい。わが印象も相似たりだ>と。(11/26付) 投書氏の中には老生も含まれ、紙面に掲載された分が導火線役を担った。何はともあれ、「国会」なのだから、外交・安全保障問題のみならず、国内の経済政策・社会保障政策等々をも論題に上げ、実のある論議をして欲しいものである。

∇さて、朝日社説は、<小泉純一郎元首相がよく引用した言葉に「大事争うべし、些事構うべからず」がある。権力者の逃げ口上にも使われかねず、現にそう使われもした。しかし、昨今の国会論戦を見るにつけ思い出される警句ではある>で締められている。古典をよく読んで引用好きだった小泉氏だが、この言葉に原典は見つからない。敢て憶測すれば、「史記」項羽本紀に出る<大行(たいこう)は細瑾(さいきん)を顧みず>、を私流に表現したのかもしれない。<大事業を成就しようとする者は、ささいなことにはこだわらない>(大辞泉 )と言う時によく使用されるからだ。元々は、項羽と劉邦が会見した名高い「鴻門の会」で、項羽の臣下が劉邦を殺害せんと企てたのを見抜いた劉邦の側臣が彼に脱出を促した言葉である。

∇紀元前200年頃、乱れた秦政権打倒のために立ち上がったのが有名な楚の項羽と漢の劉邦だ。最初に要地である関中攻略を果たしたのが劉邦軍だった。他方項羽は、秦政権最強の軍団を激戦の末破り、関中を目指して進軍してきた。ところが函谷関に到着してみると、既に劉邦が守備しかつ咸陽を攻め落としたとの情報が入った。激怒した項羽は鴻門に軍を敷き、大軍を以て劉邦軍を撃破する計画を立てた。総攻撃の前夜、項羽の叔父により両軍和解の折衝が行なわれた。それが秦の首都・咸陽郊外で行なわれた「鴻門の会」である。酒宴が催された。劉邦殺害の危機が迫る。参謀・張良らは劉邦遁走の計を図った。その時、項羽に挨拶もせず去るのは失礼に当らぬか、と躊躇する劉邦を、部下のhankaiが叱った言葉が<大行は細瑾を顧みず>である。

∇この言葉のあとに、<今、まさに刀俎(とうそ)たり、われは魚肉たり、なんぞ辞するをなさん>と続く。「大事の前の小事です。今の我々は俎上の魚同然です。こんな危険な時に、何で挨拶がいりましょうぞ」とせかしたので、劉邦は「然り」として遂に逃げ去ったのである。──朝日社説が、小泉氏がよく引用した「大事争うべし、些事構うべからず」という言葉は、<権力者の逃げ口上にも使われかねず、現にそう使われもした>と書いているが、<大行は細瑾を顧みず>もまさに遁走時の理由付け口上であった。今、我が国はまさに非常時だ。「鴻門の会」ならぬ「国会」を乗り切るには、菅内閣も<大行は細瑾を顧みず>と大言壮語して、当面のドタバタ劇を切り抜け、内閣改造を試みたり、万策を尽くして再起を図ったらどうか。