残照日記

晩節を孤芳に生きる。

<初動空白の70分>

2010-11-26 11:33:22 | 日記
▼<幾は動の微にして、吉凶の先ず見(表)るゝものなり。君子は幾を見て作(立)ち、日の終るを俟たず。>(易経・繋辞下伝)──幾とは兆(きざし)。そもそも幾とは、事のはじめの微妙な動きであり、事が吉となるか凶となるかを示唆する前兆である。故に君子はその幾を見て、必要な措置を講じ、日を終えるのを待たず、ただちにこれを実践に移すのである。

∇<北朝鮮砲撃─首相官邸に空白の70分間>、その間、職員数十人がいたものの、政治家は不在だった? という“初動空白の70分”問題が国会を沸騰させている。野党側は「国民が心配している最中に首相官邸は空っぽ。首相は公邸で国会対策の話をし、国家より党のことを考え対応していた」「治安対策を担当する岡崎国家公安委員長が、連絡を受けた後も警察庁に登庁しなかった」「発生から関係閣僚会議を開くまで6時間。危機管理にあまりにも無頓着だ」等々と批判している。確かに、最近発生した諸々の外交対応を鑑みると大きな不手際が目立つ。政府は勿論のこと、与野党すべてが不断の危機管理意識を高め、深耕させ、スピーディな実践対応ができるシステムを作り上げることが焦眉の課題であると思う。それには先ず、中国古代伝説聖王の如く、大臣・議員諸兄たちが率先して、より職務に精励することが不可欠だろう。

∇孔子が言うには、「夏王」であった禹については、私が非難すべき欠点は全く無い。飲食を薄くして孝を鬼神(天地の霊神)に捧げ、祭礼に着る衣服は質素にし、宮室(住まい)を卑しくして力を灌漑水路に捧げた。(「論語」泰伯篇)──「史記」にその奮闘ぶりを<身を労し思いを焦がし、外に居ること十三年、家門を過ぐれども、敢えて入らず>と記されている。朝から晩まで、仕事、仕事。家族から離れて工事現場に寝起きすること十三年。家の前を通っても立ち寄ることなく、洪水対策一筋に身を捧げた、というのである。その甲斐あって、治水に大きく効をおさめることができた。一国を預託された首相・大臣・議員ともなれば、家庭を顧みず、寸時たりとも、国民の安寧・幸福を実現すべく政務に尽くすべきだ、ということだろう。

∇しかし、今の世は「夏王」の時代とは比較もできぬ程複雑で、難題・急務が膨大量ある。内閣全員が首相官邸に押し詰めただけで事が片付く訳ではない。有能なる人材を揃え、高度に構築されたシステムを以て、的確に初動・機動されることが重要である。何にも増して優先するのが人材を得ること。「史記」に有名な「捉髪吐哺(そくはつとほ)」という熟語が生まれた故事が載っている。<周公が息子の伯禽を戒めて言うには、私は現在の成王にとっては叔父にあたる国家の重役である。その私でさえ、天下の賢人を失ってはならぬと。人が訪ねてくると、一度沐浴して洗髪する間にも、三度中断して髪を捉(にぎ)り、一度の食事中に、食べかけのものを三度吐き出して人と会っている。それほど気を使っても、まだ優れた人物を見逃しているのではないかと心配でならない。お前も魯公となったからには、国君だからといって決して驕ってはならぬ、と>。

∇人材を得て何をするか。「高質な分業」である。「論語」に曰く、<孔子が言うには、鄭(てい)の国の外交文書は大変勝れていて、落ち度が無かった。命令書作成に当っては、卑ジンが草稿を作り、世叔が検討し、外交官の子羽が添削し、子産が脚色したからだ>と。(憲問篇)── 有能な人材が、それぞれの役割をキチンとこなせば、首相官邸での「空白の70分間」も大騒ぎする必要は無い。首長は幾を見て作(立)てばよい。北朝鮮砲撃の矛先が、即刻日本への砲撃に繋がるわけでは無いのだから。最近は些細と思える事柄でも、野党側がヒステリックな口調で内閣を問責し過ぎる。「知りたがる覗き見志向」を「知る権利」と取り替えて、メディアがそれを助長する。そろそろ与野党共々腰を落着けて、“喜怒を色に形(あら)わさず”、とドッシリ行きたいものだが、どうだろう。

∇今から約1800年前、中国では所謂「三国志」の時代が終わり、魏が蜀・呉を滅ぼして国を晋と号した。そしてそれも束の間、晋は辺境の匈奴に滅ぼされ、南京に逃れて東晋王朝を築いた。北方では苻堅が一帯を鎮めて前秦という国を建国し、東晋を降すべく百万の大軍を動員して南征に乗り出した。その時、彼らを「淝水の戦い」で大敗させたのが東晋の名宰相・謝安(320~385)だった。謝安の大度量ぶりは「十八史略」を引用する。< 前秦の侵入するや、東晋では官民ともに震え上がった。だが、謝安は平然として客と碁を打ち、別荘を賭けて勝負していた。戦勝報告が入った。謝安は報告書を読み終わると、それを座の側に置いたが、<喜色無し>(別に喜ぶ様子もなかった)。客が報告書の内容を尋ねると、「何、小僧どもが賊を打ち破ったそうで、と。> まあ、大将たるものこれくらい肝が据わっている必要もある。もっとも、碁客が帰るや、<謝安部屋に入り喜ぶこと甚だし。下駄の歯が折れたのにも気がつかなかった程>だったとか。