残照日記

晩節を孤芳に生きる。

譲る精神

2010-11-20 10:37:44 | 日記

<孟獻子曰く、馬乗を畜うるものは鶏豚を察せず、伐氷の家は牛羊を蓄えず。(孟獻子という賢人が言うには、出世して乗物の馬を飼える身分ともなれば、鶏や豚を飼育して民衆と営利を争ってはいけない。もっと偉くなって氷室を持つ身分になったなら、牛羊を飼ってはいけない。高禄の身分なのだから、民衆から買ってやりなさい、と)>(「大学」)

∇久し振りに本棚を整理した。もう多分読まないだろうと思われる書物は、どん/\書棚から排除して紐でくくる、再読すべき書籍を厳選して並べ置く。それを眺めてみたら、結局「四書五経」、老荘関連、仏書・聖書関係、日本の古典等々で占められていた。一番薄い書物が「大学」だ。儒学入門の書で、かつて「四書五経」の第一番目に読む本とされた。老生も繰り返し/\熟読した。上記<孟獻子曰く云々>は、「大学」末章に出る人口に膾炙した名句で、「大学」をこよなく愛読した二宮尊徳翁の「勤・倹・譲」の思想、特に「譲」の訓えに昇華した。

∇周知のとおり二宮尊徳 は 江戸後期の農政家。通称、金次郎。小田原藩・相馬藩・日光神領などの復興に大きな貢献を残した。我々が若かりし頃、殆どの小学校の門前には、薪を背負い、「大学」を読みながら歩く二宮尊徳像があった。「勤」即ち、自分の仕事に励み、「倹」即ち、分相応につつましく暮らし、「譲」即ち、不測の将来のために備えたり、幾許かでもよいから他人に譲る。この「勤・倹・譲」の実践が、自分をも他人をも幸せに導く、という処世訓である。「オレが、オレが」で、自分の属している集団や個人の利徳にばかり汲々している今日、「譲」の「他に譲る善行」を見つけ出し、称揚したいものである。<世に処しては一歩を譲るを高しとなす>(菜根譚)

▼<穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。 ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。> (「レビ記 」19・9─10)

▼<裕福な地主)ポアズは若者たちに命じて言った。「彼女(ルツ)に束の間でも穂を拾わせなさい。とがめてはならない。また彼女のために束からわざと抜き落としておいて拾わせなさい。しかってはならない」。こうして彼女は夕暮れまで畑で落ち穂を拾った。そして拾った穂を打つと、大麦は一エパほどあった。>(「ルツ記」2・15-17)

▼<大田は穀物が粒々実っている──空が曇ったと思ったら雨がサーッと降ってきた。いいお湿りだ。我が公田に雨がふり、ついに我が私田に及ぶ。見ればあちらには刈り取らない稚苗があり、こちらには稲束にしていないのがある。あちらに取り残しの稲があり、こちらには落ち穂がある。田畝に残ったものはすべて寡婦の利得だ。>(「詩経」小雅・大田)

▼<昔、公儀休は魯の家老だった。我が家に帰った際、妻が絹を織っているのを見ると、怒ってその妻を離縁した。又、家で食事をした際、葵を食わされ、怒って庭の葵を抜き捨ててしまった。「私は禄を食んでいる身だ。その上まだ農夫や織り娘の利を奪ってよかろうか」と。──古の賢人君子で位に列する者は、皆な是の如し。だから下の者はそうした行いを立派だとしてその教えに従い、民はその清廉さに感化されて貪ることはしなかったのである。>(「資治通鑑」)