残照日記

晩節を孤芳に生きる。

働くこと

2010-11-10 09:24:32 | 日記
<早すぎる就活、経済界で見直し議論 大学側から悲鳴──新卒者の採用活動の時期を見直す議論が経済界で本格化してきた。就職活動の早期化と長期化で、大学3年生後半から授業が成り立たないという教育現場の声が強まっているためだ。……>(11/10朝日新聞)

∇これじゃあ、大学に通う意味はない。大学を就活の目的手段に置くというのなら、学校側もいっそのこと、従来の文学・経済学部、理工学部等々とは別に「就職活動部」というのを設けてはどうか。例えば、千葉大学・就職活動部。更に分科させて、理工系就職活動部、メーカー系就職活動部、商社専門就活部、マスコミ専科学部等々としてもよい。専門学校と異なるのは4年制。2年生(2回生)までは、従来の教養課程をより充実させた形で「進路選択予備過程」と称し、就職活動に必須の文系・理工系の最低重要事項を徹底的に仕込む。3、4年生は、自分の決めた就職先に直接応用可能な専門知識を修得できるゼミを専攻させる。企業に就職してからすぐ役立つ即効性を狙うのだ。そして従来の学部は、真の学問を追及する学生のみに絞る。……

∇人は遊んでばかりいてはダメ、食べていくために働かねばならない。イソップ物語の「アリとキリギリス」の指摘するところである。夏に食料を集めなかったキリギリス(セミ)に、アリは「夏を歌ってすごしたのなら、せいぜい、冬を踊ってすごすことですね」とあざ笑った。(「新書館」版) この寓話は一般的に、所謂「転ばぬ先の杖」「働かざる者は食うべからず」を訓えていると解釈される。あざ笑われたキリギリスはその後どうなるのか。某書によれば、世界中の殆どの国(146カ国)では、“奢者必衰”の譬え通り、アリは餓死したキリギリスを食べたと教えているそうだ。自分の老後の用意をしておかなかったキリギリスを助けるには及ばぬ、自業自得だ、と子供にキチンとそこを教えよということらしい。(厳しい~!)

∇尚、イソップ物語の解釈は時代により、或いは国により、随分と異なっている。その一つが、冬になって親切なアリは、結局キリギリスを哀れんで食べ物を与えた。(福祉政策を重視する政府やボランティア団体等があるから大丈夫だよ!) 他に、<アリは働き過ぎで過労死した>、といういかにも現代的な解釈を勧説する向きもある。(ホームレスそれも又良しではないか!) 又又、竹内靖雄著「イソップ寓話の経済倫理学」(PHP研究所)は、市場社会の「交換」の原理に従って、<歌が得意なキリギリス(セミ)はそれを商売にしてカネを稼ぐことを考えればよいし、消費者であるアリは働いて稼いだカネをその歌を楽しむことに使えばよい、これで話はめでたしめでたしとなる>と言っている。上記寓話をどう解釈するかは、その人の人生哲学次第による。若者たちよ、「働くことと大学生活」の意味をよく考えよう。