食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

イスラム教は悪か

2012-08-15 02:30:43 | 焚書/解体


欧州とアジアの間に現れた、強勢を誇る軍営の宗教が無かった場合の世界を考えてみたい。




産業革命以降、中世の支配者・オスマン帝国も領土を蚕食される一方となり武器性能が飛躍的に向上した欧州世界が広く全地球を植民地・半植民地化していった。

近代のこの例から判断しても
差別・弱肉強食の原理で動く百獣の王を脅かすライバルがいなければ、世界各地がより広範に引っ掻き回されたであろう推測は容易だ。生まれる場所が悪ければ私達も白人様に砂糖・タバコを献上するためだけに無賃金で酷使され人生を終えていたかもしれない。
キリシタン狩りをしていなければ今ごろ日本はスペインの植民地だった - 朝鮮歴史館


その先にもはや白人支配を阻む何物も存在しないと思われた時代、日本がロシアを破る激勝の報にアフリカ・イスラム世界は歓喜に沸き返ることになる。



アジア侵略に起因する戦後世界の一斉独立




悪者呼ばわりされてはいても私達は平等・共生の世界という理想を掲げた日本の先人の心を忘れる事はできない。そして特定の宗教のみを導くアンフェアな神を描く新約聖書の病理を暴き出す事が、痛みの時代の真の回顧になる気がしている。














ユダヤ人迫害史(14-19世紀)
●1306年 フランスのフィリップ王、ユダヤ人を国内から追放。
●1321年 フランスのギエンヌ州で、井戸に毒を投げ込んだと拷問を受けたユダヤ人が告白したため、5000人のユダヤ人が火刑となった。
●1348年 ユダヤ人がペストをばらまく犯人だとされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人の虐殺が起きる。
●1394年 フランスで第2回ユダヤ人追放。
●1421年 オーストリアからユダヤ人追放。
●1478年 スペインでユダヤ人に対する異端審問が始まる。
●1492年 キリスト教徒がレコンキスタ(スペイン再征服)を成功させると、スペインで徹底的なユダヤ人追放政策がとられる。
●1495年 リトアニアからユダヤ人追放。
●1497年 シシリー、サルジニア、ポルトガルからユダヤ人追放。
●1544年 宗教改革者マルチン・ルター、ユダヤ人を攻撃。
●1554年 「ユダヤ人集団隔離居住区 (ゲットー)」がヴェネチアに初めて設置される。
●1569年 ローマ教皇、教皇領からユダヤ人を追放。
●1648年 ポーランドでユダヤ人10万人が虐殺される(~1656年)。
●1727・
1747年
ロシアからユダヤ人追放。
●1839年 オスマン・トルコ帝国、ユダヤ人に市民権を与える。
●1881年 ロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大虐殺事件が波状的に発生。ユダヤ人十数万人が犠牲になる。


7世紀にエルサレムを征服したカリフ・ウマルはユダヤ教徒・キリスト教徒を庇護民(ズィンミー)に置いた(ウマル憲章)。現世界が
アラブ(イスラム)vsイスラエル(ユダヤ)に見えたとしても、両者が20世紀までミッレトの下摩擦の無い世界で共存共栄を果たしてきた事は忘れてはいけないと思う。紀元前に既に"神とはユダヤ人だけの神ではない"事を思い知っているユダヤ人が独善的に国家を建てる訳がない事実も。


オスマン帝国が欧州に向かって領土を拡大するなど社会の恥部・世界の恥部に厳しいイスラム圏の有益な怒りがいかに異教信仰を壊滅させる暴風雨を消霧させたかの比較宗教の視点に立つならば、日本人にとっては未だ"訳の分からない"中東の宗教に対する理解は立体的に膨らんでくれるだろう。

「われらはただ全世界への慈悲として、汝を遣わしただけである。」(コーラン21:107
画像借用元: Ricochet.com











コメント (17)
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