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今夜も一杯 ! ヒロシのブログ

電子書籍で「新サラリ-マンの法則」 「笑いの宝庫」を出版しました。

大橋節夫さんの死去

2006-06-11 10:11:05 |  人の縁は不思議
今朝のテレビを見てると、ハワイアンの大御所である大橋節夫さんが6月7日に亡くなったと報道していた。ネットのニュ-スで見ると青山の善光寺で今日がお通夜で明日の6月12日の月曜日が告別式と書いてある。いまは別の場所にお店が移転しているが、このブログの左下にあるステ-ジで自分がギタ-を弾いているお店が、実は大橋節夫さんが経営していた渋谷のお店、”宮益坂ハニ-”だった。1年半前の事である。

写真に写っている楽器はほとんどハワイアン音楽を演奏するために揃えられたものである。時折節夫さんがお店に来るときは好々爺と言った方が似合っていた。家にはハニ丸という日本犬を飼っていて、犬の散歩は息子さんの一夫さんの仕事だった。”小さな竹の橋の下で”とか結婚式で演奏される”しあわせはここに”が大橋さんの作品では有名だが、歌手自身が作詞作曲するというシンガ-ソングライタ-の先駆者でもあったし、偉大な音楽家だった。当時の人気は本当に凄いものだったのを覚えている。ハワイに自宅がある歌手の尾崎紀世彦さんも、白いスニ-カ-にショ-トパンツ姿でいつもハニ-にやってきてはハワイ語で何曲か歌って帰る日も多かった。彼の一番のヒット曲である”また逢う日まで”は絶対に歌わない理由を聞いたことがある。お金を取るステ-ジでないと、プロは絶対持ち歌を歌ったらダメだという返事が新鮮に聞こえた。自分も写真のお店には、いつも酔っ払って行ってハニ-アイランダ-スの生演奏をバックにあらゆるジャンルの歌を歌った事を思い出した。明日の告別式は手を合わせに行こうと思っている。よく知っている人が死去と聞くと、どうしても今まで撮った写真をUPする気持ちもなくなり、書く文章も硬くなってしまうのが自分の感性の無さなのかも知れない。明日は雨でなければ良いな...。

サッカ-の話

2006-05-24 05:47:43 |  人の縁は不思議
昨夜は、ある人からサッカ-の真髄と魅力をあらためて教えてもらった。彼の話の切り口は、ディフェンスがすべき仕事が分かりますかというものだった。ディフェンスの仕事は、相手からボ-ルを奪い取るのが仕事ですよ。一人で奪えなければ二人、三人掛かりで取りに行く。同時に、相手が持っているボ-ルのパスラインを消し、点を入れられないように、ゴ-ルラインを常に消していくんですよ。聞いていて、あ!そうかと思った。更に試合での一番大事な事は、11名全員のイメ-ジの共有なんですよ。情報の共有だとか、戦術の共有だけでは勝てない、イメ-ジが共有できていれば、ゴ-ルする3手前の動きが何をすれば良いのか、2手、3手先が読めるようになるんですよ。更に、ピッチに立ってる選手は二次元の中で動くので、スペ-スが何処にあるのか、一瞬で判断するのは難しい。しかし、凄い選手はピッチの上でプレ-しながら、上空からのテレビ中継のごとく三次元の動きをイメ-ジしている。まさに司令塔の動きなんです、これを意識的に出来る選手は凄い。プロになれば、選手の間でのテクニックの差なんてほとんどありません、大事な事は勝ちたいという気持ちは技術を超えることを認識しているかどうかです。強いチ-ムと弱いチ-ムの差なんて、こんなもんですと最後に言われたときは、サッカ-って面白いものだとあらためて納得。Jリ-グに何年もいる人の話は、分かりやすくて良いなぁと思える夜だった。

シャンソン

2006-05-23 07:13:47 |  人の縁は不思議
久しぶりに生のシャンソンを聞いた。歌詞はいじいじしてるし、メロディが暗いので本当はシャンソンは余り好きじゃない。カラオケのつもりでお店に立ち寄ったので、歌っているシャンソン歌手の”広瀬敏郎”さんには申し訳ないのだが、広瀬さんにピアノを弾いてもらって自分の好きな歌”アンチェィンド・メロディ”を1曲だけ歌わしてもらった。プロ歌手のバックコ-ラスで歌を歌えるのは最高に良い気分。帰りに広瀬さんから12曲入りの最新のアルバム”君と旅立とう”をプレゼントにもらった。たまには銀座の夜も良いものだ。

プレイバック

2006-05-13 17:31:24 |  人の縁は不思議
昨夜は時折行くイタリアンレストランで店長から懐かしい名前を聞いた。先日も子供のPTAのOB会で他のメンバ-と一緒にその人が来られたと言う。考えれば、今は子供二人を設けて、もう47歳。若い時はなんとなく太りやすい体型のように思えたが、一度も傍で見たこともないので、イメ-ジだけである。それにしても、彼女が歌う曲は、昨年の2月4日のブログにも書いたが、海外で車を運転するときには、最高のBGMであり、ドライブが楽しくなった思い出が多い。当時を知っている人なら、一度は会って見たいと思う人は一杯いると思う。三浦さんと結婚してからは、ほとんどマスコミに登場することもないので40歳以下の人は、知らない人が多いはず。彼女の歌手時代の山口百恵の名前が懐かしい。何度か来ているようなので店長には、次に来店したときは電話で教えて,飛んでくるからとお願いだけはしておいた。

締め切り

2006-04-14 21:17:46 |  人の縁は不思議
昨日までに雑誌社に送る原稿を仕上げるつもりだったが、なにもアイデアが湧いてこなくて結局昨夜は飲んでしまった。今日になって督促の電話を貰い、あわてて、後輩をネタに原稿を作りはじめた。同じ大学の1年後輩だった彼の名前の下側をうろ覚えだったので、断片的なキ-ワ-ドを入れて検索したら、いきなり顔写真が出てきて驚いた。工学部の応用物理学科だった彼が、サラリ-マンの道を選ばす今は音楽家。学生時代はバンドでドラムしか担当していなかった彼が、今はキ-ボ-ド奏者であり作曲家。世の中なにがあってもおかしくない時代だが、個人的には凄い人生である。しかし、彼のおかげで、有名なミュ-ジシャンに何人も会った事があるが、ほんとに学生時代と同じように、いつも接してくれるのはありがたいと思っている。

さくら吹雪

2006-04-08 17:00:52 |  人の縁は不思議
今年最後の花見に行ってきた。満開時期もすぎて、軽いそよ風でもハラハラと桜の花びらが落ちてくる。写真の桜の木の横では、一升瓶を20本近くもブル-シ-トの上に並べて、参加メンバ-が来るのを待っているパ-ティもいた。そうこうしているうちに突然、空が暗くなり通り雨が来た。近くに、時折立ち寄る和食屋があったので、雨宿りをしながら昼食を取っていると、背の高い女性が子供を二人連れて入ってきた。後に続いて、年配の女性が二人、最後に背の高い年配の男性が入ってきて、目が合った。挨拶をすると、着ていた濃いエンジ色のセ-タ-をつまんで、赤いチャンチャンコみたいでしょうと言う。かっての投手、金田正一氏だった。昭和8年生まれなので73歳。3歳年下の長島さんの年齢と比較しても、本当に若い。雨は1時間程度で通りすぎ、青空が見えてきたので、外に出てみた。

Hangover

2006-03-30 07:53:16 |  人の縁は不思議
今朝は久しぶりの二日酔い。アメリカで最初に覚えた英語がhangover(二日酔い)だった。9.11で破壊されたワ-ルドトレ-ドセンタ-ビルの36階が仕事のベ-スで、タクシ-でニュ-ア-ク空港まで行って、そこから全米各地を訪問する毎日の生活。夕方ニュ-ヨ-クに戻って酒を飲みに行くのが楽しみだった。当然、勢いが付くと飲み屋のハシゴも当たり前。当時のニュ-ヨ-クは夜の12時過ぎて飲み歩くのは、日本人くらいで、いろんな場所で日本人に会う。当時日本でペドロアンドカプリシャスというバンドがあり、その女性のリ-ドボ-カルの人にあったのが8番街のお店の”花”というピアノバ-。1週間で1度以上は見かけるし、少しハスキ-な声で、2~3曲を歌って帰る人だった。一度だけ”銀座の恋の物語”をデユエットしたこともある。この店に行くと、いつも午前2時まで飲んで、翌朝は完全に二日酔いの頭痛状態。それがニュ-ヨ-クの朝を実感できる毎日だった。数ケ月後に彼女が五番街のマリ-でブレイクした時にはしゃいで飲みすぎでまた二日酔になったことを思い出した。

連載記事

2006-03-25 08:43:47 |  人の縁は不思議
昨年4月から毎月,ある専門雑誌に記事を書き始めて丁度1年が経過した。毎回、900文字程度が定番で時折5000文字程度も書く。記事を書ける機会に恵まれてることは自分が生きている事を証明する手段であるのと、頭のトレニ-ングにもなる。自分の文章が本という形になって、毎月手元に送られてくると、うれしさと、こんな文章で良かったのかなという思いも出てくる。ペンネ-ムでなく本名で掲載しているので、読んでいる人が興味を持って、ネットで名前を検索すれば、”今夜も一杯”のこのブログになんとなく到達する。多分、真面目な記事を読んだ人が、このブログを見れば、随分落差がある人だと思うはず。この雑誌の、他のペ-ジでは、時折有名人のインタビュ-なども掲載されているので、そういう人も自分の記事を読んでると思うとなんとなく気恥ずかしくなる。そういう幸せを毎月味わえるのだからありがたいものだ。

津軽じょんがら節

2006-01-12 00:13:52 |  人の縁は不思議
津軽三味線の話題をラジオで放送していたのを聞いて昨年の今頃、赤坂のバ-で偶然に津軽三味線の演奏を聴いたのを思い出した。手帳を見ると1月21日の事だった。若手演奏者が、三味線を持ってマネ-ジャ-と一緒に飲みに来ていたのだが、自分を入れてたった3人の客のために,それまで飲んでいた水割りを横において30分程演奏してくれた。津軽三味線は三味線の中でも太棹なので、低音の響きが良い上に、楽器もテクニックも素晴らしい。自分でも時折ギタ-で演奏する曲目をリクエストしてみた。目の前で津軽ジョンガラ節を熱演してくれたときは左手の運指と右手のバチさばきの目にも留まらぬ速さに感動した。若いだけあって、三味線でいろんなジャンルに挑戦している片鱗として、松田聖子のスイ-トメモリ-をジャズっぽい編曲で弾いてくれた時は、三味線でこういう曲を演奏するのも良いなと改めて認識させられた。まだ若干20歳で、これだけの能力と感性を持っているのがうらやましくもあり、今後の活動に対する期待感も十分感じさせてくれた。彼の名前は新田昌弘くん。サッカ-選手だったラモス瑠偉が、監督の試験を受けて合格祝いに招待されて演奏した帰りだったと話をしていた記憶がある。新田昌弘君のホ-ムペ-ジは次のアドレスです。
http://www.nittaoyako.com/top.htm

彰往察来(しょうおうさつらい)  

2006-01-04 15:25:25 |  人の縁は不思議
今年もらった年賀状の中に、彰往察来の4文字が入ったものがあった。論語らしいのはわかるが、意味がまったく判らないのでネット検索で引くと、(往をあきらかにして来を察す)つまり過去を良く調べれば、未来を展望することが出来るという意味だとわかった。有名な企業のTOPからの年賀状だが、企業の中で取締役以上の立場に達すると、不思議だが論語の中から4文字言葉を引用して、座右の銘にしている人が急に多くなる。意味合いは違うが、相撲の世界でも、横綱昇進が決まって、相撲協会からの通達の使者に対しての新横綱が答える返事も4文字漢字が多い。難しい言葉より、より判りやすい日本語を使用する努力も今後は必要だと思う。まず彰往察来と言えば判る人は少ないと思うが、同じような意味の温故知新なら知っているはず。この意味の反意後に重温旧夢(ちょうおんきゅうむ)という言葉があるが、読んで字の如く、昔の夢をもう一度と願うことである。論語読みの論語知らずにならないよう、たまには論語の本を買って読まなくてはという気持ちになったが、今更”子曰く....”と声に出して読みにくいものだ。

牡蠣の会が終わった

2005-12-28 06:59:37 |  人の縁は不思議
久しぶりにのんだ日本酒。ラベルが”牡蠣に合う酒”というお酒でした。本来なら参加メンバ-が100名以上でも不思議でないのに、お店のキャパシティの関係で今年は34名に制限してると聞いていた。ところが現実は50名近くが来られたために、後から来た人は立って飲んでいた。いつものメンバ-が1年に1回集まるのは本当にいいもの。女優、議員、冒険家、カメラマンや、マスコミ関係者に経営者。話題もアフリカやベトナムの現状から、面白いビジネスまで。よくもまあ、なんで60歳や70歳のお年寄りがまるで40歳過ぎの年齢のごとくエネルギッシュなのかと考えさせられる。結果的に今回のメンバ-で話をして面白かったのは三野正洋さん。最初に名詞を交換したが、そのままポケットへしまってしまい、話をしていたが、よく色んな事を知ってるなと思いながら聞いていた。牡蠣の会が終わって、名詞の肩書きを見れば作家と書いてある。ネットで調べたら40冊以上も書いてる。改めて作家というのはものしりだと思った。 お茶の水博士のようなヘヤスタイルの和田勉氏に自分の写真を撮ってもらったのが今回の最大の収穫かな。いつも出席する三木睦子(故三木武夫首相の奥様)さんが来られてなかったが、88歳というご高齢なので体調が心配になる。

マウイ島

2005-12-27 06:57:23 |  人の縁は不思議
当たり前の事だが、インタ-ネットの検索機能は素晴らしいと改めて思った。昔、こんな人がいたなぁと思って、うろ覚えの名前と住んでた島の名前を入れたら、住所と電話番号とフルネ-ムもちゃんと出てきた。英文ヤフ-恐るべし(当たり前か)。マウイに住んでるアメリカ人だが、もう10年近く会いに行ってない。カフルイ空港から車で15分位の所の町ワイルクの中に建築事務所を構え、自宅は標高3066mのハレアカラ山のふもとにある。最初に知り合ったのは、彼が独身時代の30年前。日系の女性と結婚してハワイに住みはじめて、設計会社を興して仕事を始めた。彼が自宅を購入した時に、お祝いを持ってアメリカ本土から初めてマウイ島を訪問した。新築の家の回りに植えたバナナの木に毎朝、毎夕の水撒きを楽しんでた。長女も中学生で、下の男の子があどけない小学生で自宅の地下室を子供部屋にしていたので一緒に寝たのを思い出す。その2年後にまた訪問したときは、高校生になった長女はもうすっかり大人の顔つきで驚いたし、下の子はソバカスだらけの顔になっていたのもビックリした。年末年始にハワイに出掛ける人のニュ-スを見るたびにマウイ島を思い出す。マウイ島はウインドサ-フインをする人には世界最高の場所もある。判らなかった電話番号も判明したし、来年くらいは、また会いに行こうかな。とりあえず、メ-ルだけでも今日中にしておこう。

牡蠣の会 、まで後4日

2005-12-23 11:51:54 |  人の縁は不思議
かきの会が今年は12月27日に青山で開催される。三重県の的矢湾で取れた新鮮な牡蠣を使って、生、焼き、テンプラと牡蠣のコ-ス料理を味わう会である。お店を借り切ってやるパ-ティなので、席数で定員が決まってしまう。今年の席数は34名。主催者は野呂芙美子(国際芸術文化振興会の専務理事)さん、いつも本当に面倒見の良いお姉さん、参加者の年齢も45歳~約80歳過ぎと多彩で楽しい。昨年は隣が信楽焼振興協会の奥田会長だった。信楽焼といえば居酒屋の入口で見かける、酒瓶を持った狸の焼き物しか思いつかなかったが、奥田さんの自慢は、かってイラン国王、ヨルダン国王、イラクのフセイン大統領の等身大の焼き物を作ったことで、作る前に本人と会ってインタビュ-した時の話が特に興味深かったので覚えている。信楽焼も最近は、扉サイズのレリ-フを組み合わせた大壁画で空港や公共の場所に展示できるよう新しいジャンルに挑戦してるという情熱的な話しぶりを思い出す。今年で4回目の参加だが、一昨年はJR東海の”そうだ京都に行こう”のCMを作ったプロデュ-サ-が隣の席だったので製作苦労話を聞いてるのが楽しかった。実は、自分で牡蠣を食べる会に参加してるのに、牡蠣が大嫌いという困った状況なのである。約4時間のパ-ティの中で、最初の約2時間が牡蠣料理だけ。その時間さえなんとか、耐えて乗り切れば肉料理に変わる。参加者の殆どは牡蠣コ-スが終わる頃には満腹状態。無理して食べれる年齢じゃないだけに、肉料理に変わっても手を付ける人は殆どいない。肉は独り占め状態になってしまう。あと4日が待ち遠しい。パ-ティでの苦労は昨年の12月25日のブログの”かきの会”に書いてます。

トンボと蝶々

2005-11-17 20:37:28 |  人の縁は不思議
1987年に、米国のカリフォルニアのパ-ムスプリングスで風力発電の仕事をしている時に、日本からT大学のA教授が、やってきたことを思い出した。機械を見に来たのではなく、自分と一緒に仕事をしていた米国人のお年寄りのエンジニアに会いに来たのである。会った時にA教授は、伝説の人に会えたと言って彼の手を握りうれしくて泣いていた。彼は世界で最初に人力飛行機を設計して飛んだ航空力学の専門家の間では有名な人だと言う。彼といつも一緒に仕事している自分としては、老人だが優秀な設計者という程度しか認識していなかったので、そんな凄い人だとは知らずに正直驚いた。A教授は一晩しか現地に滞在しなかったが、ホテルでバ-ボンウイスキ-を飲みながらの話は興味深くて楽しかった。外見は学者というには、日に焼けた顔とガッチリした体格で、行動がエネルギッシュなのを見てると、さすがT大の名誉教授となると、やわな身体では研究が出来ないものだと、妙に感心してしまった。飲みながら、熱っぽく語る中身は、トンボと蝶々の飛行能力に関してだった。トンボの凄さは空中停止(ホ-バリング)をヘリコプタ-のようにプロペラを回転して静止しているのではなく、4枚の羽根をせわしなく上下に動かして空中停止をしているのが不思議でもあり研究に値するものだとか、蝶々は、羽根をゆっくり閉じたり開いたりするだけで、空中を飛行する能力を持っている、更に、まっすぐ飛べないくせに、ヒラヒラしながらちゃんと目的の場所まで飛行できる特殊能力があるという事を計算式を立てて、シュミレ-ションしてみたとか、この特殊能力を解析して航空機に応用すれば、画期的な航空機が出来るので是非挑戦したいとも言ってた。しかし、身近なトンボと蝶々について、彼等の飛行能力なんて事を考えたことがなかったので、、夜遅くまで興味深く話を聞いてた。その数ヶ月後、自分が帰国したときにテレビでA教授の顔を何度か見る機会があった。米国に来る2年前の95年に起きた御巣鷹山の日航機墜落の航空機事故調査委員会の委員として出演していたからである。その後は、夏の恒例行事だった琵琶湖の鳥人間コンテストの委員長としても長く出演されていたので、トンボと蝶々の話は夏が来れば思い出す。しかし、蝶々みたいな飛び方をする飛行機なら、乗っててもグラグラして飛行酔いしそうだし、とても快適だとは思えなかったのがその時の本音である。

台北市立國楽団日本公演

2005-10-07 23:30:34 |  人の縁は不思議
10月5日のブログにも予告編を書いたが、今夜新宿文化センタ-に行って来た。7時から9時までの台北市立國楽団日本公演の予定曲目を終了後のアンコ-ル曲は、なんと日本のアニメのドラエモンのテ-マソングとちびまる子チャンの2曲だったから、観客が手拍子で盛り上がった。台湾の伝統楽器によるオ-ケストラというキャッチフレ-ズだったが、普通のオ-ケストラの第一、第二バイオリンが胡弓奏者で、ビオラとチェロとコントラバスのパ-トが台湾独自の民族楽器だと思えばわかりやすい。今回、コンサ-トの誘いをくれた寒雲さんも60名のオ-ケストラをバックに合計で4曲を歌いあげた。1曲毎に和服、民族衣装、パンツフアッションと豪華衣装が次々と変わり、ステ-ジはさながら紅白歌合戦の雰囲気で、さすがプロ歌手だと思わせる雰囲気を保っていた。公演終了後に楽屋で数分間話したが、そばで見れば見るほど小柳るみ子そっくりで美人である。彼女に確認するとお母さんも6年前に人間国宝になっていて、来年の日本公演には同行してくるとの返事だったので来年が楽しみである。今日のコンサ-トで特筆すべきは、口笛奏者が出てきてオ-ケストをバックに2曲を演奏したが、口笛というより楽器という方が近いくらい、色んな音が出てくる。唇音楽の奏者の名前は李貞吉(リ-チェンチ)これだけのレベルならニュ-ヨ-クのブロ-ドウェイでも通じると思うくらい秀逸だった。多分、今から日本でもCMなどで売れそうである。本日の聴衆の中には知り合いの数人の国会議員と芸能人が来ていたが、アンコ-ルの時だけは、子供のように楽しく拍手をしていたので微笑ましかった。