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今夜も一杯 ! ヒロシのブログ

電子書籍で「新サラリ-マンの法則」 「笑いの宝庫」を出版しました。

結婚おめでとう

2007-07-07 10:12:51 |  人の縁は不思議
今日は七夕。息子が結婚する日である。思い起こすと、息子のエピソ-ドは山のようにある。ほんの一部だけを紹介すると

(1)沼津の病院で生まれた時は、自分が出張で、日本にいた米国人の友人達が出
  産祝いに駆けつけてくれた。この日以来、彼の人生の中でずっと外国人がいつ
  もそばにいる生活環境だったと思う

(2)息子には、米国人のゴッドファ-ザ-(名付け親)になってくれた独身の友
  人(ニュ-ボ-ルド)がいた。その数年後に彼も結婚しお互いの家族同士が米
  国で再会した。彼の娘が美人なのにビックリ。米国人でも手紙の中でミススペ
  ルが多い人がいることにショックだった。

(3)米国の友人で、日本で芸能人として大活躍していても、時折家まで息子に
   会いにきてくれたJ.Kベイツン。その他の外国人もいつも家の中に誰かい
   てくれてた。

(4)2~3歳の頃は米国人の小学生の姉妹(クリッサとケイトリン)が良く面倒を
   見てれた。その数年後に彼女達はミスペンシルバニアという輝くような美人
   になった。

(5)同じ年の京子ちゃんと、いつもアパ-ト内の砂場でママゴトで遊ぶのだが、
   最後はなぜか喧嘩。お互い接近した状態で、泣く事もなく延々とプラスチッ
   クのスコップや小さな洗面器でお互いに殴りあってた光景が今でも鮮やか。

(6)ままごとには本物の包丁を使っていたので、何度か近所の人が、包丁を持ち
   出してますよと連絡を貰う事が多かった。

(7) 息子を連れてデパ-トに買い物に行って、子供の遊び場に置いたまま、忘
   れて帰ってきて、気が付いて慌てて探しに行ったことも懐かしい。

(8)幼稚園生のときに、小学校の運動会に行って、母親と一緒の競技に参加した
   のだが、恥ずかしいのか母親の手にがぶりと噛み付いたままだった。

(9)小学校の時は、近くの派出所が無人の時間が多く、なんと派出所を遊び場所
   にしていて、警察官が、派出所は遊び場じゃないという事を教えるよう家ま
   で訪ねて来たこともあった。

(10)わずか1ケ月に3回も怪我で縫う事があり、知り合いの永易外科の先生から
   親の監督不行き届きだと怒られた事もあった。

(11)小学生の頃は、自分が海外への長期出張が多く、毎回出かける時に、自分が
   いない間は母親を守ってねという約束をしていくので、子供なりにいつも緊
   張していたのか、たまに帰国すると、安心してよく熱を出した。

(12)高校時代にボストンに留学したのだが、ESLを取らないですぐ授業を受け
   たいという本人の無茶な思いと親の考えの違いでボストンでは親子喧嘩をし
   た。

(13)米国の高校生が何を勉強するのか、教科書を見せてもらって感動したことが
   ある。最初は授業を聞くのに苦労したと思うが、よく頑張ったのか、成績も
   よくて、学校からはボストンの大学に進学させるようにと手紙を貰った。

(14)高校生でもしっかりしていた。下宿費をシェアしていた友人のパトリックが
   息子の生活は禅宗のお坊さんみたいな生活だと驚いていた。この頃から料理
   を作るのがうまかった。あのままボストンの大学に進学してればまた別の人
   生だったかも知れない。

(15)大学生受験の時は、英語だけで入学試験を受けれる大学を良く探したと思う
   し、学生時代はよい先生と先輩や友人に恵まれたようだ。

(16)卒業して、商社に就職したが、再び大学に戻りまた塾生として2年間過ごし
   た事も人生勉強には良かったと思う。親として塾の卒業式に参加できて嬉し
   かった。

(17)塾生のあいだの夏休みのアルバイトに行った外資系の会社に、卒業後に再び
   就職するのも人の因縁である。

   結婚、おめでとう。

日本拳法 最高師範 

2007-07-01 05:40:14 |  人の縁は不思議
今年の2月11日(建国記念日)に、日本拳法最高師範の森良之祐先生がなくなった。自分の誕生日の翌日で、たまたま伊豆に旅行している時に知ったが残念ながら葬儀に参列出来なかった。今までの自分の生き方に身内以外でこれほど影響を与えた人はいなかった。自分が大学3年のときに、コンピュ-タの勉強をしたくて1年休学して九州から東京に出てきた。当時は両親が東京にいたので、安心して上京したのだが、わずか1ケ月で、父親が名古屋に転勤になるというので、両親が相談して、どこかの家に居候させてもらうようお願いをしていたのを覚えている。その結果、JR中野駅の北口近くにあった、日本拳法の道場に居候することになった。この道場が日本拳法の本部道場で、師範をしていた森良之祐先生に最初に会った場所である。先生がまた42歳。奥さんと小学生の娘さん二人と一緒にこの道場に住んでいた。先生の第一印象は、白髪交りのロングヘアで、身体も大きいし、声も非常に大きかったのを憶えている。口を大きく開けてワハッハッ!と笑い声も豪快。日本拳法というのは、少林寺拳法とは違い、全身に防具を装着して試合をする。当時としては画期的なスーパ-武道だった。顔には面をつけ、腹部にはしっかりとした作りで金属入りの胴をつけ股当ても付ける、手にはグロ-ブ、足はシュ-ズを履く。突く、打つ、蹴る、投げると技はなんでもあり。飛びけりもあれば、ハイキックも寝技もありと現在のテレビで放映されるK-1やプライドに近い実戦格闘技と言った方が分かりやすい。当時は、先生の家族の生活も苦しい時で、貧乏な事を絶対に恥じないという精神には何度か教えられる事があった。練習生の型演技を写真に撮っては、どこが良くないのか練習生に説明する。撮影後は、近くの写真屋に現像を出すのだが、お金がないので、お金があるときに払うと言って何ヶ月も払えない時もあったが、常に堂々していた。外出しない限り、いつも道場の安楽椅子に座り新聞を読みながら、練習生の練習を時折見ていた。時折、おい、誰それと誰それがリングに上がって試合をしろと大きな声が飛んでくる。相手が同じ体格だとか、同じ初心者レベルなら分かるが、あるときに初心者である自分に身長も体重も大きい全日本の重量級のチャンピオンと戦えというのだから、ある意味滅茶苦茶である。相手のパンチの重さに耐えれず結果は当然数十秒でノックアウト負けである。しかし、不思議なものでこういう練習を毎日していると、強い相手と戦うこともノックアウトされることに恐怖感がなくなる。逆に強い相手に一撃でも与えてやろうという気力が充実して練習に力が入る。強くなる為には場数を踏むというのは本当に大事な事だと教えられた。先生が外出するときは風呂敷を愛用した。永田町の議員に日本拳法の普及に協力を求めに行くときも、中野の警察学校に逮捕術を教えに行く時も常に風呂敷に本や書類を詰めて持ち歩く姿が懐かしい。礼儀や挨拶の仕方にも人一倍厳しかった。その後サラリ-マンになってから、数年後に会社に拳法部を作ったのだが、部員の指導に頭を悩ましているときに先生に色々協力を頂いたし、海外で仕事をするようになって治安が良くない国に行っても怖いという思いを感じないまま快適な生活が出来たのも先生のお陰である。先生の次の言葉を今でも大切にしている。

拳法とは大生命力にふれるために小さい自我を撃破する道である。  森良之祐



バイシクル21 交遊録

2007-06-17 08:46:52 |  人の縁は不思議
2年前に雑誌社から依頼されて以来、毎月書いている自分自身の交遊録、今月号でやっと27人目まで到達。男女を問わず日頃お付き合いのある人達を記事で紹介してきた。興味ある人はお近くの本屋で立ち読み下さい。今月号は66ペ-ジに掲載されてます。購入してくれる人がいれば編集長になりかわりまして感謝です!

雑誌の名前は”バイシクル21”です。(定価700円)

鉄板焼きのお店  恵比寿

2007-05-27 21:31:51 |  人の縁は不思議
恵比寿ガ-デンプレイスの一角にあるウエスチンホテル東京の最上階に、鉄板焼きステ-キのお店”恵比寿”がある。先週は珍しく2回も行く機会があった。眺望が良くて、従業員の教育も行き届いてるのでいつも気分良くワインを飲みながら話も弾む。鉄板焼きとなると、六本木や新宿の瀬里奈、横浜インタ-コンチネンタルホテル、京王プラザホテル、ホテルニュ-オ-タニ等の中にある高級店が有名だが、店の雰囲気だけではなくて結局は、料理人であるシェフの腕で差が出るものだと思う。高級店になると、材料自体がすでに厳選されているのは当然であり、鉄板ステ-キのようにお客の前で調理するとなると、段取りの上手い下手が誰が見てもすぐ分かるし、手の動きに無駄がなければ見ていて動作が美しい。同じ材料と同じ調味料を使っても、年期だとか技術の差により、調理した味に大きな差が出るというのも面白い。料理とは人間性が出る不思議なものだと思う。

恵比寿に行くと必ず挨拶に出て来られる斉藤料理長のモット-である食の安全衛生と楽しめる食空間の提供という言葉が好きであり、若い頃の苦労話も聞いた事がある。やはりシェフの修行というのは辛いものだし厳しくて一人前になるのはいつになるのか見えない時代があったからこそ今の自分がありますという話も素直にうなづける。今のS料理長の自慢は、かってニュ-ヨ-クでシェフを経験したことや、皇太子一家の食事を作ったこともあるというのが良い思い出だと言う。そんな人が調理する料理を時折食べれる自分も幸運である。





 

杉本恵太が日本代表に選出される

2007-05-14 07:11:47 |  人の縁は不思議
2月25日のブログでも紹介した、名古屋グランパスのフォワ-ド、杉本恵太選手が昨日、Jリ-グ日本代表に始めて選ばれた。おめでとう!ついにやったね!
他にFWとして川崎Fの黒津、DFとしては柏Rの近藤直也と横浜Fの小宮山が初選出された。みんなおめでとう。6月のキリンカップでの活躍が楽しみである。オシムジャパンの中で頑張って、是非試合でピッチに立って貰いたい。

(彼の紹介記事はこちら)
http://blog.goo.ne.jp/awaytokyo/d/20070225

GW(ゴ-ルデンウィ-ク)はGS(グル-プサウンズ)

2007-05-06 07:20:04 |  人の縁は不思議
昨日は、連休中は休みなしの赤坂のライブハウスに行った。日替わりの特集メニュ-で、ほんとは一昨日のキャンディ-ズ特集の若い女性ボ-カルグル-プを見に行きたかったのだが、温泉を優先した為に行けなかった。昨日はGS(グル-プサウンド)祭りに参加した。20数名の団塊の世代の男性や女性客が集まってタイガ-スやテンプタ-ズ、ピンキ-とキラ-ズ等の曲を演奏したり歌うのだが、言い方は悪いがオジサンとオバサンが集まって騒いでるのは自分を含め不良中年グル-プそのもの...。生活に余裕がないと連休中の昼間からこんな大騒ぎが出来るはずもないと思うと安心はできる。男性客の頭は一様に白髪かほとんど髪がない状態だし、何人か出てきて歌う女性も、昔はステ-ジ衣装を着て歌ってれば可愛かったはず(多分?)と思われる容姿と慣れた手つきで踊りながら歌うのはある意味キュ-トである。変った客では、昼間は演歌の歌の先生をしているのだが、自分が好きなのはロックという女性。日頃のコブシを回す歌い方が抜けないのか、どう聞いていてもロックが演歌っぽいので苦笑せざるを得ない。沢田研二(59歳)と京都の高校の同級生だったという男性客はジュリ-の曲を歌うのが上手い上に,高校時代に彼の家に何度か遊びに行って、当時のタイガ-ズの記事や写真をファイルしたアルバムをジュリ-から見せ貰ったときの出来事を軽妙な話術で紹介する。感心したのは、ステ-ジに次々と出てくる人(結局は参加者全員なのだが)は得意なジャンルでは何曲も歌詞をみないで歌えるのが凄い。

幾つかのバンドの内、歌はそこそこだったが55歳前後に見えるMC(しゃべり)の上手い男性のセリフが印象深かったので覚えている。髪の毛は剃っていて、妙に言葉の押し出しが強いのだが、嫌味とか俗世間的じゃない。3つほどの言葉を大声で叫んで、ステ-ジから客席に指を指しながら質問していく。

 いいかぁ~!、まず50を過ぎれば怖いものはない!イェ-!(みんな拍手)
 50も過ぎるとほとんど融通が利かネェ~! イェ-(なんとなく苦笑)
 50を過ぎれば歌詞も覚えてねぇよ~! イェ-(全員爆笑)

”いまから個人的に質問するよ!、君は幾つかな?エッ。聞こえない。幾つ?50歳?まだまだ若いな、俺の生き方を見習えよ!。”結構、俺って素敵に生きてるよ”と説教口調。

”そこの髪の毛の白い人も見た目は55歳ぐらい?エッ、もっと上?。58歳?。すみません、1つ上の大先輩~!。今後ご指導ご鞭撻の程宜しくお願いしま~す。”と相手に向かって合掌して、うやうやしく礼をする。こんな喋りを曲の合い間に次々と入れていく。

 
こういう時代感覚がずれた人達の中にいるのも好きである。多分、彼の本職はお寺の住職だとおもう。妙にすがすがしい顔と声をしているし、バンド名がそのものずばりの"煩悩ズ"。そういえば思い出した、元麻布3丁目のお寺の住職で歌はうまくないが、ハワイアンが好きで、法要の後の説教もスチ-ルギタ-を弾きながらすることもあるという住職とも渋谷の店以来随分会ってない。麻布十番で田能久(たのきゅう)という郷土料理のお店も経営してる。店の名前も彼が好きな加山雄三の映画、若大将シリ-ズの映画で加山雄三(田沼雄一役)の実家のすき焼き屋”田能久”から取っている。今度電話をして赤坂に招待をしてみよう。

こういう年齢の人はほんとにエネルギッシュというかエネルギ-を持て余しているのが現実だなと思えた1日だった。来週もまた、何人かギャラリ-を連れて演奏に行こうっと!

横山ノックさん死去

2007-05-03 22:45:50 |  人の縁は不思議
本日、横山ノックさんが咽頭ガンでなくなったことをネットニュ-スで知った。かってと言っても40年前だがノック、フック、パンチという3人組で「漫画トリオ」を組んでいていて、「パンパカパーン パパパッ パンパカパーン!今週のハイライト!」というイントロに始まる社会風刺のネタを売り物にしていた。丁度彼等が解散する前の1967年に九州に来た時にアルバイトに、2日間だけ漫画トリオの付き人をしたことがある。当時、平凡太郎が座長で、小桜京子や関敬六といったお笑い芸人のドサ回りの舞台興業があり、その幕間のつなぎに「漫画トリオ」が出演していた。市民会館の舞台に出るのに当時としては珍しい白いエナメルの靴を履いて舞台に立っていた。残り二人のメンバ-であるうちの一人の上岡竜太郎を見ていても、3人でいてもほとんどお互いに会話をしないし、舞台に上がる前にも打ち合わせをしない。さすがプロの漫才家となると、確認しなくてもネタをこなせるものだと感心したし、むしろ仲が悪いのではないかと思うくらいだった。当時のノックさんは、タコ入道のようなヘアスタイルで、オデコのところはア-ルデコ風に髪の毛がクルクルと回ったような付け髪のヘアスタイルが売りだった。

ごめんあそばせ

2007-04-01 05:37:31 |  人の縁は不思議
ある取材の下打ち合わせで恵比寿のウェスティンホテルに出かけた。ロビ-で60歳過ぎのご婦人が急いでいて、自分とぶつかりそうになり、相手の口から出た言葉が”ごめんあそばせ~”。
もうすっかり死語だと思っていたに、何十年ぶりに聞いただろう。「~あそばせ」「~なさいませ」が良く使われていた時代は、少し上流階級の綺麗な女性が使うものだという漠然とした思いがあった。しかし、そのご婦人の”ごめんあそばせ”のセリフは、”私だけが悪いのじゃないのよ”とか"お先に失礼!"と言ってるように聞こえてしまったのは何故だろう。美人じゃなかったせいなのかなぁ......。


ホテルの最上階にある鉄板焼きの”恵比寿”。ここの料理長が写真の斉藤さん。調理をする動作に無駄が無く、流れるような動きを見ているだけで気持ちが良い。久しぶりに鉄板焼きに日本酒という組み合わせの食事をした。

(お知らせ)
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二人のシェフ 加賀田京子さん

2007-03-24 14:36:03 |  人の縁は不思議
このお店のオ-プン時からの古い付き合いで、自分が通う好きなお店の1つ。右側のお姉さんの京子ちゃんがフランス料理の料理長、左側が弟さんの龍之介さんで和食の板長を担当している。今日は前菜にお姉さんが調理するホワイトアスパラのソテ-、メイン料理は弟さんが作る鰆料理を頼んだ。ホワイトアスパラは、今からが旬で、ビ-ルやシャパンの飲み口に合う最高の味。一方の鰆料理は、なだ万で7年間修行を積んだ弟さんが担当するだけに、一味どころか二味も三味も違う日本料理。1つのお店でフランス料理と和食の組み合わせを味わえるのは心地よいし、何か得したような気分になれる。

時折、料理番組にも出演する京子ちゃんが協同乳業と一緒に開発している乳製品は次のURLをクリックすれば見えます。お店でも素晴らしいデザ-トを作ってくれます。
http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/4921/kagata-d.htm

今朝のおはよう日本 オ-ルディズ天国

2007-03-24 08:25:07 |  人の縁は不思議
今朝のNHKのニュ-ス「おはよう日本」を見てると、毎週行く赤坂のお店(写真の店)の特集があった。マスタ-の戸田(中央の人)さんを始め見慣れた人ばかりが出てくるので面白い。いわゆる団塊の世代の人が、自分達の青春時代を思い出して歌ったり演奏するのに気軽なお店であり、このお店がきっかけで、数バンドが集まって、コンサ-トをしている風景も放映された。本人も演奏するし、自分が演奏している時には拍手してくれる塚原さんが、跳馬で「塚原飛び」、鉄棒で「月面宙返り=ム-サルト」を開発し、かつて数々の金メダルを取った本人だと番組で説明しているのを聞いてビックリ!。人の縁はほんとに不思議!。最初にこのお店を紹介してくれたMr.Kさんに感謝です。

三味線の名手、新田昌弘くん

2007-03-10 07:32:19 |  人の縁は不思議
昨日に続きパソコンのメモリにある写真デ-タの整理の続きです。まだUPした事がない写真が結構残ってる。今年22歳になる津軽三味線の演奏家の新田昌弘くんとの写真も残ってたのでUPします。童顔なのでほんとに可愛い顔をしてる。彼の写真と経歴は
http://www.nittaoyako.com/nittaoyako/profile/masahiro.htmlをクリックすれば分かります。

彼がウイスキ-の水割りを飲みながら30分程演奏してくれた時に撮った写真。お得意の津軽ジョンガラ節から、松田聖子のスイ-トメモリ-まで、色んなジャンルの楽しい曲を弾いてくれた。若いというのは素晴らしい。世界に津軽三味線の素晴らしさを伝える演奏家の一人だと十分かんじさせてくれた。
今週は娘を連れてのハシゴ酒でこの店にも立ち寄った。酒が飲める娘を連れて、色んなお店を回って楽しく勉強をさせるのが父親役の義務(権利?)かも。




二人のヒロシ

2007-03-09 07:04:08 |  人の縁は不思議
パソコンのメモリにある写真デ-タを整理してると、2年ほど前に撮影した写真を見つけた。お互い同じヒロシだし、年齢も近いので気が合うタイプ。写真の左側が黒沢博さん。お兄ちゃんが映画俳優の黒沢年男。彼が昔寺内たけしとバニ-ズのメンバ-の時はギタ-とボ-カルを担当、その後、ヒロシ&キ-ボ-というデュエットを組み、カラオケでも有名な”3年目の浮気”というレコ-ド出した。黒沢さんは、エルビスプレスリ-のモノマネでは、日本ではピカ1の実力を持ってる。たまには、電話をして横浜まで飲みに出向いて行こうかな。

大人のオアシス 前野博司

2007-02-27 05:34:26 |  人の縁は不思議
新曲を練習しては、毎週お店に行って演奏するのが気分転換の1つ。お陰でレパ-トリ-も随分増えてきたし、不思議な事に仕事の方もうまく回る様になってきた。このお店が赤坂のTBSの近くにあり、夜の8時からオ-プンというのも、大人の店という感じである。最初の頃は、自分で弾いてアンプから出てくる音が大きくて内心ビックリしてたが、リ-ドギタ-はボリュ-ムをもっと上げて下さいというお客さんが結構いるので、もっと音量を上げても良いんだとやっと思えるようになってきた。良く働き良く遊ぶ!をモット-に、こんな大人のオアシスがあるので毎日が楽しい。ここを紹介してくれたMR.K.さんに感謝!!

プロモデル

2007-02-26 00:24:28 |  人の縁は不思議
前回のブログに一緒に写真掲載出来なかった恵太の嫁さん。身長もあり、さすがプロモデルだっただけに姿勢もよく,写真写りも堂に入ってる。日曜日は朝から、夕方まで東京見物に付き合った。話をしても素直な子で,娘が一人増えたみたいに思えた楽しい二日間だった。

杉本恵太

2007-02-25 05:05:45 |  人の縁は不思議
昨夜は息子みたいな年齢の杉本恵太選手(名古屋グランパスのFW)夫妻が急遽上京するという連絡があり、宿泊予定のホテルで夜9時にジョイントした。外は寒いし、まだ幼い娘さんを連れての旅行なので、ホテル内のレストランで一緒に食事をしながら、午前零時近くまで楽しいひと時を過ごした。特に子供時代にソロバン塾に行きたくないので、どうやって塾をさぼろうかというアイデアだとか、結果的には珠算の2級を取得して、暗算も得意になったとか、ブラスバンド部にも所属していたのでサックスは得意だという話も面白かった。もっとも、11時過ぎには娘さんはソファ-で寝てしまったが。昨年は、グランパスのフォワ-ドとしてヨンセンとの2TOPで活躍した。今年も大いに活躍を期待されているが、やはり近い将来に海外でプレ-してみたいという夢を熱く語ってくれる。またJリ-ガ-として、子供達に夢を与えるためと、自分自身に活躍のプレッシャ-を掛けるために、高価だが良い車と良い家を買ったという発言には思わず心の中で拍手を送りたくなった。日本代表にも是非選ばれてもらいたい。同行してきた奥さんも、スタイルが良くて、妊娠7ケ月なのに身奇麗にしていて感じが良かった。(次のブログに写真で紹介します)今日は一緒に東京見物。

  写真:寝ている娘さんを左手に抱えた杉本選手との2-ショット