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今夜も一杯 ! ヒロシのブログ

電子書籍で「新サラリ-マンの法則」 「笑いの宝庫」を出版しました。

東京の初冠雪  危険な歩道

2010-02-02 21:23:42 | 気がついたこと
今朝は都内も1センチ程度の積雪が残っていたが、すぐに溶け始めたので、歩き回る内に革靴がびしょびしょになってしまった。

写真のようにまだ雪が残った歩道を歩いていると、何度かスリップして転倒しそうになった。歩道のどこが滑りやすいのかと言えば、黄色の点字ブロックの上である。突起物の部分が雪のせいで一番滑りやすい。本来なら目の不自由な人が安全に歩ける場所が点字ブロックである。しかし、積雪時には点字ブロックが危険で歩かない方が良い道となってしまう。皮肉なものである。積雪時でも滑りにくい点字ブロックにする工夫が必要である。

三角形と四角形(その2)

2010-01-29 05:26:09 | 気がついたこと
究極のデザイン要素は○△□の3つだと聞いた事がある。この3つを組み合わせれば世の中にある形を全て表現出来るし、これ以外の形はまだ誰も発見していないらしい。かつて一世を風靡した赤塚不二夫氏が描いた漫画”おそ松”君に登場したキャラクタ-であるチビ太が手にしていた○△□の串刺しオデンは、究極のデザインという事になる。小さな部品で大きな形を作る場合、三角形の部品なら三角形を作るのは容易である。四角形も同様であるが、○はいくら○の部品を集めて並べても○の形は出来ない。

家具の場合で考えると、三角形はトゲトゲしいし、四角なら四隅の角で怪我をする危険性もある。球形は安全な形だが転がりそうで安定感がない。顔の形の印象でも、同様である。三角は神経質に見えて切れやすい印象だし、四角は押しが強い強情タイプに見え、丸顔は円満そうだが、相手の意見でコロコロ変わる優柔不断の印象が強い。

揉め事は三角形で考えれば解決の糸口を見つかりやすいと昨日は書いたたが、逆も真である。三角関係なら解決しやすい事でも、四角にすれば不安定になる。人間は2つの目と2つの耳を持っているので、目と耳を半分づつ使う3人で話をするのが一番気を使わなくても済むが、四人での話合いになると、どうも1人は蚊帳の外か外野席のような立場になる。何か意見をまとめる数人の会議でも少数の集まりなら、偶数での会議は避けるべきである。無意識にでも参加者は奇数になるようにすれば、決着はつき易い。円満決着というのはない。もし円満という形を望むなら、中身は空虚であるか、どんな形の意見が詰まっているのか想像も出来ないかのいずれかである。

遥か宇宙から地球を見れば完全な球形で綺麗に見えるが、近づいてみれば地球の表面は山有、海ありのデコボコだし、地球の内部には大陸規模の大きなプレ-トがあり、静かなプレ-トが動く時に大地震が発生し、大きな被害をもたらす。その地球に住んでいる人間は利害関係の生存競争を歴史的に繰り返している。















三角形と四角形

2010-01-28 06:26:28 | 気がついたこと
同じ長さで同じ形の板を4本準備し、釘を打って長方形を作ってみれば、グラグラしてしっかりしないが、斜めに筋交いを入れるとビクともしなくなる。専門的に云えば四角形でなくラ-メン構造なので強いという事になる。

世の中、3角形が一番強い。三角形でものを考えると分かりやすい。例えば社会生活をする上では三権分立がある。

立法権 国会が法律を作る。
行政権 内閣が法律に基づき政治を行う。
司法権 法律に基づいて裁判を行う。

これはお互いに牽制機能が働いているから、シンプルな関係で分かりやすい。絶対的に強い権利というのはない。さらに分かりやすく考えるならジャンケンをイメ-ジすればよい。グ-・チョキ・パ-の3つの関係は、お互いに牽制機能を持っている。絶対的な強さはない。

交通事故や借金や恋愛などの揉め事が発生すれば、加害者と被害者の2人だけの相対関係ではお互いに主張するだけで片付かない問題も、弁護士や仲介者を入れて三角関係になれば解決しやすい。

身の回りで問題が発生すれば、常に三角の関係を作るイメ-ジで考えれば解決の糸口を見つけやすい。


事務屋と技術屋

2010-01-24 17:25:57 | 気がついたこと
企業に入ると、事務屋と技術屋の2つの呼び方に大別される。文系の学校を出ると事務屋と呼ばれ人事/総務/経理/営業部門への配属が多く、技術屋の場合は開発/設計/現場部門に配属されるのが主流である。

しかし、入社して10年を過ぎる頃から管理職候補に近づくと技術屋も文系の仕事もこなさなくてはいけなくなる。なぜか文系の人が技術屋に転向することは殆どない。よく考えれば、学生時代に勉強してきた事など、精々基礎的なものだけでしかも1~2年程度である。むしろ、企業に就職してからの方がはるかに長いのだが、学生時代の色分けのままで定年を迎える人の方が多い。

事務屋は繰り返しの仕事が多く、企業内規則に縛られた作業をずっと続けるのに大して、技術屋の場合は、繰り返し作業を通じて、何でもこなせる様に訓練されていく。いわゆる中堅となれば、規則に縛られない新しい仕事や創造力を求められ、新しい技術や知識を身につけないと1人前にはなれない。考えてみれば、学校を卒業後数十年もすると同じ企業にいても生き方は全然別である。

マクロ的に見れば、いずれの分野でも年数を経て業務に精通すればするほど、変人になっていく。いわゆる企業常識が完全に身に染み込み、一般社会の常識とはかけ離れた価値判断をする人のことである。専門用語が身につく代わりに、一般常識的な判断を失っていくのが殆どのケ-スである。工場を持っている企業となると、この2つの大別方法に加え、現場と事務所という分類が加わる。現場は安全面や効率の関係で軍隊的な規律が要求される。現場の責任者になるともう軍人と同じである。

しかし、分野とは別に自分の個性と価値観で生きていく人もいる。人との付き合いも好まず格好み気にせず、企業人から見れば奇人であるが、一般社会ではまだ常識人である。変人、軍人、奇人の集まりがエネルギ-となって企業を伸ばしていく場合もあれば、すべて変人の集まりになると、JALのような結末になり、軍人的な人が集まると、リスクの高いものを追っかけリ-マンショックの様な問題を引き起こす。奇人の集まりと言えば、IT系企業である。大人なのか子供なのか、話をしても価値観がよくわからない。しかし、世の中の常識人と話すよりは面白い。















経済学者と経済評論家

2010-01-23 09:05:46 | 気がついたこと
一昨年に米国発のサブプライムロ-ン問題が発生し、日本にも不景気の嵐がやってきたのはまだ記憶に新しい。思い出してみると、事件の直後には経済評論家や経済学者がマスコミに何度も出てきて、問題点や社会的影響を指摘していた。しかし、本格的な不景気に入ると、こういう輩はマスコミに出てこない。言い方を変えれば、経済が上手く回っている時や、上手く行かなくなりはじめた初期段階はコメント出来るが、本当に不景気になれば、何もコメントできない、対応策や解決策を持っていない現実を見ると、経済学者とか経済評論家とは何だろう?と思ってしまう。そもそも経済学なんて必要なのかという疑問がある。

経済を研究している人達は過去の問題を分析するだけである。これは歴史研究家と同じであり、自分に都合の良い仮説と理論を見つけようとする。将来に対してこういう方策を採れば安定して経済発展するとか不景気は起きない方法を見つけたという事実もない。つまり、彼等が未来に向かって何か出来るという可能性は何も期待できない。市場経済の中で何か異変が発生する場合は引き金となる変数(パラメ-タ)は何十もあると思う。それらが複雑に絡み合って悪循環のデフレに入る。しかし、難しい経済状況を少しでも解けるのは理工系の人であって、文系の人が複雑な変数が多い式を解けるはずがない。経済学者がいかにも経済分析をしたように発表するから、同じ失敗(デフレや不景気状態)を歴史的に繰り返してきた。思い込みだけで簡単な式にするのが経済学者の悪い所である。経済学は工学部の学生に勉強させる方がより効果的だと信じる。

チェンジを唱えて経済も活性化させると演説を行い大統領になったオバマ大統領。1年経過しても経済を活性化させられないのは、経済学というは、いざとなれば何の役にも立たない事を証明している。ノ-ベル賞でも物理学賞とか化学賞はその功績に普遍性があり分かりやすいが、平和賞と経済学賞だけは、普遍性はなく。その時代のパ-フォ-マンス賞だと思える。





歴史の捉え方

2010-01-17 12:18:26 | 気がついたこと
太古の時代から現代に至るまで、文明を発展させてきた先人の偉大な努力のお陰で人類は生き残ってきたように見える。しかし、生きた化石と呼ばれるシ-ラカンスのような4億年も前から生きている古代魚が昔と同じ姿でノンビリ泳いでいるの姿を見ると、人間の歴史は、生活空間の中の淘汰の繰り返しだけで、何も変わっていないとしか思えない。長い間、シ-ラカンスは化石が見つかるだけで生きた状態で見つからなかったので6千万年前に絶滅したと思われていた。だから、人類の文化の発展や生活様式の変化と云っても、シ-ラカンスの歴史と比較すると、部屋の模様替え程度の変化でしかない。

ロ-マの歴史家が「歴史は繰り返す」という有名な言葉を残しているが、歴史に関する言葉は幾らもある。身近なものでは「失敗は繰り返す」、「2度あることは三度ある」も歴史に関する断片的な諺であるし、ヘ-ゲルの有名な言葉「人は歴史から何も学ばないという事を歴史から学ぶ」という言葉も断片の1つである。さらに、マ-フィ-の法則では「歴史は繰り返す。 それが歴史の悪い面である」と....言葉を探すと幾らでも見つかる。

長い目で見ると、歴史というものをひと言で表現する場合は人は不変〈悪い意味で進化しない一面を持っている)という一面と、常に変遷(立ち止まらず変化し続けている)している生物的なものという2面性で捉えているが、いずれも間違っていると思う事が多い。

人類の歴史は常に勝者が敗者の歴史を抹殺するか歪曲化して後世に伝えようとする。正確な事実は後世に間違っても伝わっていない。むしろ間違った情報だけが生き残っていくのが歴史の真実だと捉えて間違いない。企業の歴史である社史も同じで、新しい経営者が都合の良い過去の事実だけしか残さないので、読んでも仕方のないものである。

 そうすると歴史というのは、以下のような表現も出来る。

   歴史は真実や事実は後世に伝えない、勝者が残した物から推量するだけである。
  
 子供の頃は偉人伝というものを何冊も読んだ。偉大な発見や発明をした人は凄いと思っていたが、それは後世の人が脚色した歴史であり、人としてどろどろした物を無視して書いた小説である事が大人になると判ってくる。歴史はロマンだと云われるのは、歴史書を書く人の想像力の豊かさによるところが多い。

シ-ラカンスが進化もしないで絶滅もせず現実に4億年も生き残っている現実を考えると、どんな歴史的な名言も薄れてみえる。



生きるヒント

2010-01-17 06:50:39 | 気がついたこと
昨日のNHK大相撲のゲスト解説者には野村克也前監督と舞の海の2人が出ていた。以前にも野球におけるピッチャ-とバッタ-との勝負の駆け引きの精神的分析の説明は面白いと思ったが、相撲においても野村氏は解説者から何か問われると独特の分析力を発揮していた.
聞いていて生きるヒントになった。

昨日は魁皇が勝ち、幕内通算で809勝まで記録を伸ばした。解説者が、魁皇に対して何故
この年令〈現在38歳)まで続けてこれたのかその理由を聞いた談話を野村氏に伝えた。
魁皇の説明は、特に理由はないが”負ければ悔しいと思う間は、現役を続けたい”との答えだった。その話を聞いた野村氏は、いつまでも勝つためには、勝ちたいというハングリ-精神を維持する大事さと、魁皇のような年令になると野球選手でも足腰の筋肉が衰える。常に太ももを鍛える努力をしないと、踏ん張れなくなると解説をしていた。

野球や相撲といったスポ-ツに限らず、負けても悔しさを感じず戦う気力がなくなれば引退である。完全燃焼できて引退が一番望ましい事であるが、そういう事は稀である。

 学ぶ作業

2010-01-13 05:57:34 | 気がついたこと
子供時代におもちゃのスコップで地面に穴を掘る遊びで学んだ事がある。深い穴を掘るには、最初に大きな穴を掘らないと、掘り進む内に穴の周囲が崩れてきて、なかなか作業が進まない。少し掘り進んでいく内に、肘より深い穴になると手が入っても掘った土を外に出せない事に気が付く。改めて表面部分の穴を広げる作業をしなければならない。
専門知識を身につける場合にも同じような作業が必要である。幅広い知識がないとなかなか深い所まで到達できない。さらに奥にあるものを見ようとすると、入口部が狭いと中が暗くて良く見えない。”広く、深く”というのは学ぶ時の基本である。



冬の太陽

2010-01-13 04:54:04 | 気がついたこと
先日、曇り空で寒かったが久しぶり電車に乗って都心を離れ郊外へ出てみた。出発前は冬の田園風景を撮影しようと漠然とイメ-ジしていたら、茶色の枯れ草ばかりで他の色が見当たらない。まるでセピア色の世界である。夕方になると曇が厚くて太陽が見えない。夕焼けはまるでムンクの叫びの如くドンヨリした雲だった。


駄菓子屋的経営

2010-01-06 06:29:55 | 気がついたこと
子供の頃の駄菓子屋は夢があった。ドクドクしいまでの赤や黄色の菓子が所狭しと店頭に並べられていて、壁や柱にはブロマイドや当たりクジのセットが貼り付けられていた。お小遣いの10円玉で2つ位の商品を買うことが出来た。最近は、昭和レトロを再現したお店を時折見かけると、大人になった今でも何か買いたくなる。それだけ駄菓子屋のディスプレイは楽しい。

駄菓子屋感覚の陳列をしているお店と言えば、ドンキホ-テである。わざと所狭しと商品を並べ、客が商品を見つける楽しさを演出している。浅草寺境内の参道の両脇にあるお店も同様である。どうしても足を止めて何が置かれているか確認したくなる陳列方法である。

駄菓子屋的発想は、人の視線を集める営業の基本のような感じがする。

12月は酒飲み音頭の季節

2009-12-20 06:47:52 | 気がついたこと
学生時代は、何人かが集まって酒を飲むと酒飲み音頭を合唱したものである。
1月は正月で酒が飲めるぞ~、酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞ~
2月は豆まきで酒が飲めるぞ
3月はひな祭りで酒が飲めるぞ
4月は花見で酒が飲めるぞ
5月は子供の日で酒が飲めるぞ
6月は田植えで酒が飲めるぞ
7月は七夕で酒が飲めるぞ
8月は暑いから酒が飲めるぞ
9月は台風で酒が飲めるぞ
10月は運動会で酒がめるぞ
11月は何でもないけど酒が飲めるぞ
12月は忘年会で酒が飲めるぞ

12月の「忘年会」いう行事が無くなっても、誰も生活に困ったり、健康に悪いとか、文句を言う大人はいないと思う。ましてバテレン文化のクリスマスとは違い、子供には無縁の行事である。

無くても良い行事なのに、何故毎年12月になると忘年会をやろう!という言葉がでるのだろう?要するに酒飲みが発明した素晴らしい「世界に誇れる日本独自の行事」という事にしておこう。

リンカ-ンの言葉を借りれば、「酒飲みの、酒飲みによる、酒飲む為の行事」という格調(?)高い定義も出来る。

しかし、下戸や健康上の理由で飲めない人には辛い季節である。(健康で良かった~乾杯!~ 




迷惑行為とJIS規格

2009-12-19 06:11:45 | 気がついたこと
ここ2週間ほどで、東京も随分寒くなり外出する時はコ-トが欠かせなくなった。通勤時間帯の電車の中も着膨れ状態の人が増えたので、普段より一段とギュウギュウ詰め感がある。

昼間、電車に乗る時に、席が多少でも空いていればホッとする。普段は座りたいと思う事はないが、遠出をする場合、座れれば身体は楽である。しかし、7人掛けのロングシ-トに座ろうとした時に、楽々と座れるときと、窮屈なときがある。

肩幅が狭い女性が多いと楽に座れるし、肩幅が広い男性が多いと座っても窮屈感がある。日本人の平均肩幅をみると男性が40センチ、女性が36センチとなっている。7人掛けシ-トに座る場合、肩幅に加え両肩からはみ出す両腕があり、さらに冬服のように厚手の生地で肩パットが入るようなコ-トなら、着膨れで更に数センチは横幅が増える。

電車のロングシ-トを設計する場合、JIS(日本工業規格)のE7103で人間1人の幅は43cmと決められている。7人掛けなら301センチとなる。上半身が薄着の状態なら男性40cmプラス両腕、女性36cmプラス両腕でも、なんとか座れる。現実は薄着状態の、男性4人、女性3人の組み合せを想定しているようである。男性だけなら7人座るのは苦しい。まして写真のように体格が大きいパンダがいたり、態度の大きい人が多ければ7人掛けシ-トでも3人で一杯である。JIS規格も人間1人の幅を50センチと改定して座席を設計してくれれば、ゆとりのある席になる。



日米地位協定

2009-12-17 05:30:48 | 気がついたこと
岸内閣時代の昭和35年に米国のアイゼンハワ-大統領との間で締結された日米安保条約。日米地位協定は、この条約とセットで、当時の自民党の強行採決で承認された。締結後、来年でもう50年になる。この条約の成立過程をウィキペディアから引用してみると、いかに日本が凄まじい時代だったか分かる。

(以下ウィキペディアより引用)
新条約の承認をめぐる国会審議は、安保廃棄を掲げる社会党の抵抗により紛糾。5月19日には日本社会党議員を国会会議場に入れないようにして新条約案を強行採決するが、国会外での安保闘争も次第に激化の一途をたどった。警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暗黒街の親分衆(=暴力団組長)の会合に派遣。錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光やテキヤ大連合のリーダーで関東尾津組組長・尾津喜之助ら全員が手を貸すことに合意。さらに3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請。ひとつは岸自身が1958年に組織した木村篤太郎率いる新日本協議会、右翼の連合体である全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会である。「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワー大統領の安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8千人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。彼らは政府提供のヘリコプター、セスナ機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた。  
(以上)

当時、米国の仮想敵国は共産主義国であったソ連と中国であり、共産主義の侵略から日本を守るためという理由で結んだものである。しかし、ソ連が崩壊し、中国は経済大国に変わった。安保条約の必要性も薄れた。いまやアメリカが一番仲良くしたい国は中国であり、ロシアである。

日米地位協定で米軍は日本の「施設及び区域を使用する」と定めている。協定は全部で28条あり、内容は日本に駐留する米軍への基地(施設・区域)の提供とともに、さまざまな特権を米軍・米兵に保障している。特に、日本全国で米軍が望むところはどこでも基地にできるという、まるで日米担保条約である。。日米合同委員会という組織で協議することを定めているが、その内容は国民には明らかにされていない。自民党政権から民主党政権に変わり、世界の情勢も変わった。米国との交渉においても、米国のペ-スで早急に結論を出す必要もなければ引き下がる必要はない。米国はどこかの国といつも戦争(ベトナム→イラク→アフガン)をしないと、国内がまとまらない国である。米国による趣味の戦争の為の基地を日本国内に置く必要はない。


 

逞しく生きる

2009-12-10 06:36:39 | 気がついたこと
久しぶりに友人に会って、最近は逞しい人が少なくなったという話題で盛り上がった。逞しいとは筋肉ムキムキという意味ではない。女性、男性という差もあまり関係ない。逞しいとは、自分に厳しく、人にやさしい人という事である。

戦後間もない頃の父親や母親は、子供を育てるのに文句を言わず、ひたすら働いた。サラリ-マンでも働く事が出来れば、家族を守るために仕事の事で家族に文句を言わず働き、電化製品がない時代の母親は掃除、洗濯、料理、子育てで1日が過ぎていく生活を何年かを過ごした。幼い子供からすれば、逞しい父親、母親に映ったはずである。

大人でも、自分が我慢すれば、回りが上手くいくと思って行動できる人は逞しく生きれる人である。個人で云えば、大人になるまでの生き方を否定する必要もないし、過去を変える事も出来ない。人は自分の生きてきた歴史の中で身に付けた考える物差しで判断して行動する。ただ、何事が起きても「どうにかなる」という楽観的に考える事は大事である。楽観的を貫くことは、決して諦めないという意思の表れでもある。

最近は若者だけでなく年配者からの”我慢が出来ず切れた”という言葉を聞く事もある。もう少し逞しくなってほしいものである。




パ-ルハ-バ-

2009-12-08 06:29:52 | 気がついたこと
68年前の今日、日本から6500km離れたハワイのオアフ島にあるパ-ルハ-バ-を日本海軍が奇襲し、ここから日米開戦(太平洋戦争勃発)となった。

しかし、3年と10ケ月後に日本は敗戦した。終戦後に生まれた自分としては戦争の善悪は別にして、日本が米国に負けたという悔しさだけは子供心にも大きかった。大人になれば戦争に負けないだけの技術力を身に付け軍事関係の仕事に付きたいという意識は持っていた。学校は工学系を選択し、社会人になれば軍事産業の会社に入りたいという目的を持っていたので、就職する前にミサイルやロケットを作っている会社を調べたが、技術のほとんどは米国からの輸入であり詳細はブラックボックス、米国は中身に関して日本に何も教えない、日本独自の開発も許さないという両面の政策を取ってきた為に入りたいと思える会社がなかった。毎年、12月8日になると、悔しさだけが甦る。