書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

懐素・苦筍帖

2006-08-10 06:59:17 | Weblog
苦筍帖
「すこぶる佳い苦筍とお茶が手に入りました、お見えになりませんか」
気楽に書いた案内状とて無意識なのであろうが、
隅々まで神経が行き届いている。
強弱大小の筆致は自然体、心の篭った案内状だ。

懐素・自叙帖(777)

2006-08-09 07:38:54 | Weblog

懐素(725?736?~?)
無類の酒好きで興に乗ると壁、衣装、器具など至る所に書きなぐり、
狂僧と呼ばれた。
幼少から書を好んだが極貧であったため紙が買えず、
芭蕉の葉に書いては消し書いては消し、
遂には葉に穴が開いたという。

自叙帖(777)
古法草書の代表は王羲之、
新法草書の代表はこの自叙帖と言われる。
気のおもむくままに一気に書いたに違いない。
スピード感が迫ってくる。
書き始めのせいだろうか、よくよく眺めると、
スタート台に立った走者の息遣いが聞こえてくる。
焦る気を、抑えて抑えて、だろうか。



張旭・古詩四帖

2006-08-07 07:01:48 | Weblog

今までの草書とは全く趣が異なる。
いわゆる、酔書、狂書である。
筆を立てたり寝かしたり捻ったりしているのであろう。
酔狂でありながら見事なバランスを保っている。
潤滑、太細のバランスはお見事だ。
尚、書いてある文字は「区中実譁?喧既見浮」。