後深草天皇(1242-1304)
後嵯峨天皇の第二皇子、4歳で即位するが在位中は院政を敷いた後嵯峨上皇が政務を司った。
正元元年(1259年)に瘧病を患い17歳で亀山天皇に譲位。
年長の後深草院皇子熈仁を差し置いて亀山皇子世仁親王が立太子した。
以後、後深草天皇の血統である持明院統と亀山天皇の血統の大覚寺統との対立が始まるのだが、
これを怨みを持った後深草天皇は後嵯峨天皇の法事の折、
自らの指を切りその血で法華経を書写するなど執念深い方と伝えられる。
また非常に好色な天皇で有ったとも伝わる。
読み:
琵琶譜十六巻