なんとなくな日々

SL残日録(個人的なメモ帳)

雅号

2008年04月17日 23時59分30秒 | 本・雑誌
「そろそろ旅に」今井今朝子 2008/3 読む
・大坂から江戸に流れ初めて挿画を描く画工として初めてつけた雅号。
「雅号はなんといたしやす?」と訊かれて「一六‥‥いや、一九としよう」と即座に答えたのは、こうしたいい加減な世渡りがまるで博奕のようにおもえたからだった。昔よくした花カルタで一九は’ぶた’、つまりまさかの札で負ける数である。『九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く』という唐士の故事になぞらえたところもある。何事も順調に運ぶようにみえながら、最後の一歩、まさかのことで失敗(しくじ)った己が過去をわすれないようにするためでもあった。

・戯作者として初めて『心学時計草子』を書くにあたって雅号を改める。
「で、雅号はなんとなさいやす?一九では据わりが悪うござんしょ」~略~
「十遍舎一九、ではどうだ‥‥」
「なるほど。一に九を足しゃア十だ。こりゃ人が憶えやすくてようござんす」
~後に文字を十返舎と変えた一九にはさまざまな思いがあった。
蜂谷宗六からついに聞かせてもらえなかったあの蘭奢待(らんじゃたい)は、長い旅路の果てにたどりついた国で、たとえ十遍聞いても末枯れないという十辺(とがえ)りの名香だった。一九はおこがましいのを承知のうえで、自らの筆もまたそうありたいと願ったのである。(本文)

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