懐かしの四谷3丁目にきました。

四谷3丁目交差点の北西角、消防博物館と四谷消防署。その隣のマンションのところにはかつて四谷セイフーがありました。24時間営業スーパーの先がけでした。

北東角には昔はむさし堂という写真店、古今亭志ん朝のCMで知られた錦松梅、とんかつのかつ新がありました。錦松梅は今もあります。

南東角は目立ったお店はないですが、平成初期には丸正ブックストアがありました。

南西の角。24時間営業のスーパー丸正のビル、きしめんの尾張屋、粕漬けの魚久があります。太田プロも四谷3丁目です。

昔の三業地、四谷荒木町の入り口、車力門通りです。

車力門通り。遠くに見えるのは曙橋の超高層マンションです。バブルの頃に建設が始まり、かなりの期間、工事はストップしていました。

金丸稲荷神社。ここに神社があることは知っていましたが、今回初めて神社の名前を確認しました。

神社横の荒木町公園



荒木町のどん底、津の守弁財天。昔、高須藩(現在の岐阜県海津市)松平摂津守の屋敷があったため津の守と名付けられました。



策の池。「むち」と読みます。荒木町のすり鉢の底、高須家屋敷の庭の名残です。高須家の頃はもっともっと池は大きかったようです。
第10代高須藩主松平義建の次男は尾張藩第14代藩主徳川慶勝、三男は石見浜田藩主松平武成、五男は高須藩第11代藩主から尾張藩第15代藩主、御三卿一橋家当主(松平義比→徳川茂徳→徳川茂栄)、七男は会津藩主松平容保、九男は桑名藩主松平定敬、十男の義勇は高須藩第13代藩主となった。兄弟揃って幕末徳川体制の保全に努めました。
明治期には荒木町は置屋、料亭があって花街として賑わいました。新宿の十二社と似ています。

すり鉢の底から尾根道へ戻る階段

尾根道の甲州街道(新宿通り)と谷道の靖国通りを結ぶ津の守坂。正面の塔は防衛省のアンテナ、正面のビルは昔のアジア経済研究所(千葉・幕張に移転)、現在は中央大学の校舎です。


津の守坂を通る都バス。三宅坂・東京女子医大・抜弁天・新宿西口を結ぶ路線です。本数は少ない。確か昔は新橋まで行っていたと思います。

有料老人ホーム。2000年以降にできたと思います。



マンションの新築工事。マンション人気の高いエリアです。直木賞作家の半村良は「銀座・赤坂のホステスは四谷に住み、新宿のホステスは中野あたりに住む」と書いていました。最近の銀座の女性は築地・佃島などの超高層マンションに住んでいると私は思います。

新宿歴史博物館へといく通り

博物館の隣にもマンションができます。


「信州高遠藩」展を開催中です。

昔の四谷見附橋の高欄


高遠藩の歴代藩主。保科正之は2代将軍・秀忠の隠し子、3代将軍・家光の異母弟で、生まれてすぐに保科家の子となり高遠藩主を継ぎました。その後、出羽山形、会津へと移り、会津松平家の祖となります。




高遠は桜の季節に2度行きましたが、城跡はじっくり見ていません。近々是非行きたいです。

四谷3丁目交差点の北西角、消防博物館と四谷消防署。その隣のマンションのところにはかつて四谷セイフーがありました。24時間営業スーパーの先がけでした。

北東角には昔はむさし堂という写真店、古今亭志ん朝のCMで知られた錦松梅、とんかつのかつ新がありました。錦松梅は今もあります。

南東角は目立ったお店はないですが、平成初期には丸正ブックストアがありました。

南西の角。24時間営業のスーパー丸正のビル、きしめんの尾張屋、粕漬けの魚久があります。太田プロも四谷3丁目です。

昔の三業地、四谷荒木町の入り口、車力門通りです。

車力門通り。遠くに見えるのは曙橋の超高層マンションです。バブルの頃に建設が始まり、かなりの期間、工事はストップしていました。

金丸稲荷神社。ここに神社があることは知っていましたが、今回初めて神社の名前を確認しました。

神社横の荒木町公園



荒木町のどん底、津の守弁財天。昔、高須藩(現在の岐阜県海津市)松平摂津守の屋敷があったため津の守と名付けられました。



策の池。「むち」と読みます。荒木町のすり鉢の底、高須家屋敷の庭の名残です。高須家の頃はもっともっと池は大きかったようです。
第10代高須藩主松平義建の次男は尾張藩第14代藩主徳川慶勝、三男は石見浜田藩主松平武成、五男は高須藩第11代藩主から尾張藩第15代藩主、御三卿一橋家当主(松平義比→徳川茂徳→徳川茂栄)、七男は会津藩主松平容保、九男は桑名藩主松平定敬、十男の義勇は高須藩第13代藩主となった。兄弟揃って幕末徳川体制の保全に努めました。
明治期には荒木町は置屋、料亭があって花街として賑わいました。新宿の十二社と似ています。

すり鉢の底から尾根道へ戻る階段

尾根道の甲州街道(新宿通り)と谷道の靖国通りを結ぶ津の守坂。正面の塔は防衛省のアンテナ、正面のビルは昔のアジア経済研究所(千葉・幕張に移転)、現在は中央大学の校舎です。


津の守坂を通る都バス。三宅坂・東京女子医大・抜弁天・新宿西口を結ぶ路線です。本数は少ない。確か昔は新橋まで行っていたと思います。

有料老人ホーム。2000年以降にできたと思います。



マンションの新築工事。マンション人気の高いエリアです。直木賞作家の半村良は「銀座・赤坂のホステスは四谷に住み、新宿のホステスは中野あたりに住む」と書いていました。最近の銀座の女性は築地・佃島などの超高層マンションに住んでいると私は思います。

新宿歴史博物館へといく通り

博物館の隣にもマンションができます。


「信州高遠藩」展を開催中です。

昔の四谷見附橋の高欄


高遠藩の歴代藩主。保科正之は2代将軍・秀忠の隠し子、3代将軍・家光の異母弟で、生まれてすぐに保科家の子となり高遠藩主を継ぎました。その後、出羽山形、会津へと移り、会津松平家の祖となります。




高遠は桜の季節に2度行きましたが、城跡はじっくり見ていません。近々是非行きたいです。
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